「わしはな、その点で迷いに迷った。その揚句、
武の道は将軍家に委そうと思った。
朝廷は学問・芸能の道をとる」
「「それこそ江戸の思う壺でっせ。
武の道を捨てたら、政も捨てなあきまへん」
「捨てたらええがな」
院は気楽そうに云われたが、実は断腸の思いでいられることを岩介は直感した。
「岩の云う通り、幕府の思う壺かもしれん。けど
幕府は学問・芸能の恐ろしさを全く知らへん。
そこが付け目や、今に見てみい。
朝廷が政も武も捨てた京都は、見るかげもなくさびれる思うとるかもしれんが
その逆になる筈や」
昂然と院はそう宣言された。
(花と火の帝~下~より)
この本で一番感動したところだ。
まさに後水尾院の「英断」だったように思う。
「おもう事なきだにやすくそむく世に あはれ捨て々もをしからぬ身を」
静岡県立美術館で開催予定の「伊藤若冲 アナザーワールド」
こちらは先日板橋区立美術館に貼ってあったポスター。
4月もいろいろと多忙でいつ静岡に行けるか?微妙な状況…
展示内容等が全て同じかどうかは分からないが
千葉市美術館でも静岡の後の同展覧会が予定されている。
2010年5月22日(土)~6月27日(日)
静岡に行けなかった場合の保険があるのは嬉しいこと(笑)
こちらは先日板橋区立美術館に貼ってあったポスター。
4月もいろいろと多忙でいつ静岡に行けるか?微妙な状況…
展示内容等が全て同じかどうかは分からないが
千葉市美術館でも静岡の後の同展覧会が予定されている。
2010年5月22日(土)~6月27日(日)
静岡に行けなかった場合の保険があるのは嬉しいこと(笑)
緞帳紹介
大山忠作作『朝陽の富士』
「この緞帳は大山忠作作『朝陽の富士』でございます」から始まって
幕間に席にいると、著名な日本画家のデザインによる緞帳紹介を拝見できる。
原画を忠実に再現し、なお且つ間口27m、高さ6mの舞台の緞帳であるから
思わずどうやって織り上げるのだろう?とその技術力にただただ驚くばかりである。
どれも美しい日本の四季を感じさせ、舞踊などで引幕とはまた違った演出効果を生んでいる。
大山忠作作『朝陽の富士』
「この緞帳は大山忠作作『朝陽の富士』でございます」から始まって
幕間に席にいると、著名な日本画家のデザインによる緞帳紹介を拝見できる。
原画を忠実に再現し、なお且つ間口27m、高さ6mの舞台の緞帳であるから
思わずどうやって織り上げるのだろう?とその技術力にただただ驚くばかりである。
どれも美しい日本の四季を感じさせ、舞踊などで引幕とはまた違った演出効果を生んでいる。
定式幕
歌舞伎を上演する劇場に常設されている引幕のことで
この三色を見ると誰でも歌舞伎とお煎餅を連想しますね(笑)
江戸の中村座、猿若勘三郎が、幕府の御用船の音頭取りを行った褒美に
拝領した帆布の柄を引幕に使ったのが、
そもそもの「定式幕」の始まりともいわれている。
幕府の認定の格式ある芝居小屋だけに、引幕が許されていて、
それ以外の芝居小屋や見世物小屋では上下に開閉させる緞帳を使っていたので
格下の芝居を「緞帳芝居」と呼んでいたらしい。
中村座は下手から白・柿・黒ですが、歌舞伎座は下手から黒・柿・萌黄、
ちなみに国立劇場は黒・萌黄・柿。
歌舞伎座は江戸三座の内の森田座の配色で、国立劇場は市村座の配色。
恥ずかしながら私は、そんなことも「歌舞伎検定」を受験するまで知らなかった(汗)。
そういえば、歌舞伎検定のロゴにもこの三色のマークが入っている。
開幕近くに柝がなって、この幕が開ける準備でゆらゆらとゆらめき出すと
私の気持ちはいつも高鳴る。
歌舞伎を上演する劇場に常設されている引幕のことで
この三色を見ると誰でも歌舞伎とお煎餅を連想しますね(笑)
江戸の中村座、猿若勘三郎が、幕府の御用船の音頭取りを行った褒美に
拝領した帆布の柄を引幕に使ったのが、
そもそもの「定式幕」の始まりともいわれている。
幕府の認定の格式ある芝居小屋だけに、引幕が許されていて、
それ以外の芝居小屋や見世物小屋では上下に開閉させる緞帳を使っていたので
格下の芝居を「緞帳芝居」と呼んでいたらしい。
中村座は下手から白・柿・黒ですが、歌舞伎座は下手から黒・柿・萌黄、
ちなみに国立劇場は黒・萌黄・柿。
歌舞伎座は江戸三座の内の森田座の配色で、国立劇場は市村座の配色。
恥ずかしながら私は、そんなことも「歌舞伎検定」を受験するまで知らなかった(汗)。
そういえば、歌舞伎検定のロゴにもこの三色のマークが入っている。
開幕近くに柝がなって、この幕が開ける準備でゆらゆらとゆらめき出すと
私の気持ちはいつも高鳴る。
傾奇から歌舞伎へ
歌舞伎座の扉が開くと、そこには世界遺産でもある壮麗な芸術の世界がある。
そもそも歌舞伎の原点は「出雲の阿国」であることは誰でも知っているが、
その阿国の出現がやがて「遊女歌舞伎」→「若衆歌舞伎」→「野郎歌舞伎」へと
変遷していくことは、歌舞伎検定や京都検定のテキストにもある。
林屋辰三郎著の「歌舞伎以前」によると、
世の中もまだ定まらず、民衆の心も刹那的な欲求を求める時代
「1603年春、京都に現れた阿国は
『異風ナル男ノマネヲシテ、刀、脇指、衣裳以下殊異相』であったという
女性の男装という性の倒錯の上に、異相を伴うものであるから
それはたしかに妖気にみちたものである。」とある。
その阿国が評判をとると模倣がたちまち現れ、遊女の一座が四条河原で興行を始める。
舞台は脇もつれも地うたいもみんな遊女だそうだから、傾城町の延長である。
そこで、「女歌舞伎」に禁令が出て「若衆歌舞伎」になるのだが、
これもまた同じことだった。
このところ読んでいた後水尾院関係の本にもこのころの風紀の乱れについての
多くの記述があり、これらが原因をなし「猪熊事件」なども起こったようだ。
そして成人男性に演じさせる野郎歌舞伎の時代がくるのであるが、
そうなると男性が女性を演ずる上で、技術的な工夫や研鑽が必要となってくる。
今まで主に「容色」を愛でていたのが「技術」を愛でる方向に替わっていった。
こう考えてみると、よくぞ当時禁令を発してくれましたということになる(笑)
単に「容色」を売り物の芸能では、ある時点できっと廃れていただろうし、
長い歴史の中で数々の名優を輩出することもなかったであろう。
歌舞伎座の扉が開くと、そこには世界遺産でもある壮麗な芸術の世界がある。
そもそも歌舞伎の原点は「出雲の阿国」であることは誰でも知っているが、
その阿国の出現がやがて「遊女歌舞伎」→「若衆歌舞伎」→「野郎歌舞伎」へと
変遷していくことは、歌舞伎検定や京都検定のテキストにもある。
林屋辰三郎著の「歌舞伎以前」によると、
世の中もまだ定まらず、民衆の心も刹那的な欲求を求める時代
「1603年春、京都に現れた阿国は
『異風ナル男ノマネヲシテ、刀、脇指、衣裳以下殊異相』であったという
女性の男装という性の倒錯の上に、異相を伴うものであるから
それはたしかに妖気にみちたものである。」とある。
その阿国が評判をとると模倣がたちまち現れ、遊女の一座が四条河原で興行を始める。
舞台は脇もつれも地うたいもみんな遊女だそうだから、傾城町の延長である。
そこで、「女歌舞伎」に禁令が出て「若衆歌舞伎」になるのだが、
これもまた同じことだった。
このところ読んでいた後水尾院関係の本にもこのころの風紀の乱れについての
多くの記述があり、これらが原因をなし「猪熊事件」なども起こったようだ。
そして成人男性に演じさせる野郎歌舞伎の時代がくるのであるが、
そうなると男性が女性を演ずる上で、技術的な工夫や研鑽が必要となってくる。
今まで主に「容色」を愛でていたのが「技術」を愛でる方向に替わっていった。
こう考えてみると、よくぞ当時禁令を発してくれましたということになる(笑)
単に「容色」を売り物の芸能では、ある時点できっと廃れていただろうし、
長い歴史の中で数々の名優を輩出することもなかったであろう。
食事予約所
写真は東側の食事予約所である。
西側にもあり、そのとなりに吉兆の予約所もある。
開演前に幕間の食事の予約を受けたり、お席で頂くお弁当やおやつなどの販売していて、
インターネットでの予約もこちらで精算することになっている。
そのため、開演前にはかなりの混雑で忙しいのであるが、
特に決められた順番の列がないわりには、
受付の方が巧みであるから、若干の順番が違ってもトラブルなく、
御客様もみんな鷹揚な感じでそれが歌舞伎座らしい。
一度数量限定の「おでん定食」を頂いてみたかったのであるが、
夢で終わってしまいそう(笑)
写真は東側の食事予約所である。
西側にもあり、そのとなりに吉兆の予約所もある。
開演前に幕間の食事の予約を受けたり、お席で頂くお弁当やおやつなどの販売していて、
インターネットでの予約もこちらで精算することになっている。
そのため、開演前にはかなりの混雑で忙しいのであるが、
特に決められた順番の列がないわりには、
受付の方が巧みであるから、若干の順番が違ってもトラブルなく、
御客様もみんな鷹揚な感じでそれが歌舞伎座らしい。
一度数量限定の「おでん定食」を頂いてみたかったのであるが、
夢で終わってしまいそう(笑)