真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

離苦求樂(苦を離れ樂を求める)その三

2022-09-23 09:42:07 | 離苦求樂(苦を離れ樂を求める)

十悪業の要点だけを申し上げます。

先ず身の業から考えて見ましょう。

殺(せつ)とは、生き物を殺して自分の為にすることです。

これは殺生養身(せっしょうようしん)と申し一番恐ろしい業であり、大きな罪です。

又殺生には直接殺生と間接殺生があります。

ある人は生き物を買ってきて自分で料理を作りました。

これは直接殺生です。

又、別の人はすでに殺したものを買ってきて料理を作りました。

これを間接殺生と申します。

直接殺生も間接殺生も同じ罪です。

盗(とう)とは

孟子曰く

非其有而取之者盗也。(其の有〈もつ〉に非ずして之を取る者は盗なり。)

人の者を盗ることだけが盗ではありません。

自分の物になるべき物でないものを受け取る、これも盗です。

淫(いん)とは、色情因縁のことです。

正式の夫婦以外の関係は皆淫です。

次は、口の業です。

悪口とは、人の悪口を言ったり、人をののしったり、人の是々非々を言うことです。

両舌とは、二枚舌のことです。口の中には舌は一枚しかないのに二枚舌ということは、人のありもしないことを言ったり、甲の是々非々を乙に言ったり、乙の是々非々を甲に言って喧嘩を引き起こしたりすることです。

綺語(きご)とは、事実でないことを、人の気持ちを引くように話して言いふらすことです。

妄語(もうご)とは、噓のことです。

この中でも、一番守らなければならないのは悪口です。

これは絶対修道する人は言ってはなりません。

清口の愿を立てたが、もし悪口を言ったならば、もう既に清口ではなく、汚れた口になってしまうのです。

お釈迦様は五分律経(ごぶりっきょう)の中で、悪口を言うことは身を傷つけることと全く同じだ、と申されました。

昔も今も修道者には切磋琢磨(さっさたくま)があるわけですが、釈尊の弟子達も袈裟を着た修行者でありながら、お互いに悪口を言い合っていたので、お釈迦様は、次の物語をなさいました。

「私が過去に修行していたお寺の横に大きな湖がありました。

その湖の中には、大きな亀がいました。

その大きな亀は大きな鷹(たか)と友達でした。

日照りが續(つづ)いたある年、その湖の水が全部乾いてしまい、亀は生きることが出来なくなってしまいました。

そこで亀は、鷹に

『湖に一滴も水が無くなって、私は今にも死にそうです。なんとか助けてください。』

と頼みました。

鷹は考えたあげく何とか助けようと思いました。

しかし、

『もう一日待ってください。明日、必ず来てあなたを助けましょう。』

と言ってそこを飛び去りました。

その次の日、二羽の鷹が木の枝を口にくわえて飛んできました。

そして、二羽の鷹は亀に

『この枝の丁度真中のところをしっかりくわえてぶら下がりなさい、我々が両橋を加えて飛ぶから‥‥。』

と言いました。

ところで、この亀はよくこの鷹の悪口をいう亀だったのです。

そこで鷹は

『今日こそお前は悪口を言えないぞ、もし、この枝をくわえているのに悪口を言ったら、口が開いて落ちてしまい、そして、死んでしまうだろう。』

と鷹は亀に言いました。

すると亀は、『助けてくれるなら、今日は絶対に口は開きません。』

と二羽の鷹に誓いました。

ある村の上を通りかかった時、村の子供たちが大きな声で

『あれ、今まで見たこともないものが空を渡って行く。』

というので村の人達が全部そこに集まり、手を叩きながらこの様子を見たわけです。

この様子を見た亀は、腹が立ち

『お前たちには何の関係もないのに、何を言っているのか。』

と大きな口を開けて喋ったところ、亀は落ちて死んでしまいました。

お前達も何時も人の是々非々を言い合い、お互いに切磋琢磨しているけれど、私達の一番大事なことは、生死の問題です。

この問題を解決する為に、我々は修道しているのであって、小さいことを引っぱり出して、是々非々を論じ合って何のいい結果があろうか。

以後は絶対に悪口を言って、自分の身を傷つけるようなことをしてはならない。』

と、この話を結ばれました。

続く

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