苦とは、仏教で苦海のことを申します。
人はこの世に生れたその時から、苦海の中に投げ出されているのです。
そして、この苦海を泳ぎ回っているわけですが、いつまでも苦海に迷っていたのでは、極楽の境地を味わうことはできません。
お釈迦様は、苦海を娑婆世界(しゃばせかい)と申されました。
これは梵語(ぼんご:天竺〈てんじく〉の言葉)でございますが、中国語では、堪忍(かんにん)と申します。
要するに、この世とは、耐え忍んで行く所である、という意味です。
しかし、人々は、苦しみを厭(いと)い、楽しみを得ようとしています。
一般社会の人々の考える樂とは、好きなものを着て楽しむ、美味しいものを食べて楽しむ、立派な家に住んで楽しむことなどですが、その為に反って苦しみの原因を造っているのです。
我執是因、惑業是縁。=我執(がしつ)は是れ因なり、惑業(わくごう)は是れ縁なり。
我執とは、自分に執着することです。
これが因果の因となるのです。
そこに惑を生じ、それによって行われるものが、すべて業(ごう)です。
この惑・業の二つが縁になって、苦しみが生じてくるのです。
自在為我。=自在は我を為す。
般若心経の中に観自在菩薩という言葉がありますが、自らにある菩薩が本当の自分である。
本当の自分の中に苦しみがあるのではなく、苦しみは外部から来るのです。
又本当の我は、年齢によって変わるものではありません。
続く