十悪業の要点だけを申し上げます。
先ず身の業から考えて見ましょう。
殺(せつ)とは、生き物を殺して自分の為にすることです。
これは殺生養身(せっしょうようしん)と申し一番恐ろしい業であり、大きな罪です。
又殺生には直接殺生と間接殺生があります。
ある人は生き物を買ってきて自分で料理を作りました。
これは直接殺生です。
又、別の人はすでに殺したものを買ってきて料理を作りました。
これを間接殺生と申します。
直接殺生も間接殺生も同じ罪です。
盗(とう)とは、
孟子曰く
非其有而取之者盗也。(其の有〈もつ〉に非ずして之を取る者は盗なり。)
人の者を盗ることだけが盗ではありません。
自分の物になるべき物でないものを受け取る、これも盗です。
淫(いん)とは、色情因縁のことです。
正式の夫婦以外の関係は皆淫です。
次は、口の業です。
悪口とは、人の悪口を言ったり、人をののしったり、人の是々非々を言うことです。
両舌とは、二枚舌のことです。口の中には舌は一枚しかないのに二枚舌ということは、人のありもしないことを言ったり、甲の是々非々を乙に言ったり、乙の是々非々を甲に言って喧嘩を引き起こしたりすることです。
綺語(きご)とは、事実でないことを、人の気持ちを引くように話して言いふらすことです。
妄語(もうご)とは、噓のことです。
この中でも、一番守らなければならないのは悪口です。
これは絶対修道する人は言ってはなりません。
清口の愿を立てたが、もし悪口を言ったならば、もう既に清口ではなく、汚れた口になってしまうのです。
お釈迦様は五分律経(ごぶりっきょう)の中で、悪口を言うことは身を傷つけることと全く同じだ、と申されました。
昔も今も修道者には切磋琢磨(さっさたくま)があるわけですが、釈尊の弟子達も袈裟を着た修行者でありながら、お互いに悪口を言い合っていたので、お釈迦様は、次の物語をなさいました。
「私が過去に修行していたお寺の横に大きな湖がありました。
その湖の中には、大きな亀がいました。
その大きな亀は大きな鷹(たか)と友達でした。
日照りが續(つづ)いたある年、その湖の水が全部乾いてしまい、亀は生きることが出来なくなってしまいました。
そこで亀は、鷹に
『湖に一滴も水が無くなって、私は今にも死にそうです。なんとか助けてください。』
と頼みました。
鷹は考えたあげく何とか助けようと思いました。
しかし、
『もう一日待ってください。明日、必ず来てあなたを助けましょう。』
と言ってそこを飛び去りました。
その次の日、二羽の鷹が木の枝を口にくわえて飛んできました。
そして、二羽の鷹は亀に
『この枝の丁度真中のところをしっかりくわえてぶら下がりなさい、我々が両橋を加えて飛ぶから‥‥。』
と言いました。
ところで、この亀はよくこの鷹の悪口をいう亀だったのです。
そこで鷹は
『今日こそお前は悪口を言えないぞ、もし、この枝をくわえているのに悪口を言ったら、口が開いて落ちてしまい、そして、死んでしまうだろう。』
と鷹は亀に言いました。
すると亀は、『助けてくれるなら、今日は絶対に口は開きません。』
と二羽の鷹に誓いました。
ある村の上を通りかかった時、村の子供たちが大きな声で
『あれ、今まで見たこともないものが空を渡って行く。』
というので村の人達が全部そこに集まり、手を叩きながらこの様子を見たわけです。
この様子を見た亀は、腹が立ち
『お前たちには何の関係もないのに、何を言っているのか。』
と大きな口を開けて喋ったところ、亀は落ちて死んでしまいました。
お前達も何時も人の是々非々を言い合い、お互いに切磋琢磨しているけれど、私達の一番大事なことは、生死の問題です。
この問題を解決する為に、我々は修道しているのであって、小さいことを引っぱり出して、是々非々を論じ合って何のいい結果があろうか。
以後は絶対に悪口を言って、自分の身を傷つけるようなことをしてはならない。』
と、この話を結ばれました。
続く