真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~七十、修養の工夫(くふう)

2022-08-27 19:36:04 | 性理題釋

七十、修養の工夫(くふう)

止まるを知りて而る後に定まるあり、とありますが、仏教では禅定(ぜんじょう)と申し、妄念(もうねん)を起こさぬことを禅(ぜん)と言い、坐して本性(ほんしょう)を見つめるを定(じょう)と申します。

止まるを知ることは、明師(めいし)の指点(してん)を受けなければ、止まることを知ることは難(むずか)しい訳であります。

定まるとは聖人であっても増(ま)さず、凡人(ぼんじん)であっても減(へ)らず、定まって変わらざる所の意味を申したのであります。

下句(かく)の、而(しか)る後に能く静かなり、能く安らかなり、能く慮(おもんばか)り、能く得(う)るとあるのは、すべてこの「能く」の字を用いております。

文字の上で固(もと)より定まるありと申したのは、増(ま)さず、減(へ)らず、垢(あか)つかず、浄まらざる境地であります。

又能くの字は一分の力をかりた言葉であります。

力には大小や長短の分別がありますが、静(しずか)・安(やすらか)・慮(おもんばかる)・得(うる)の修行法に於いても、原(もと)より性はことごとく同じでありますけれども、その用いられる力の同じでない事に因って、得る所の涅槃(ねはん)の妙徳(みょうとく)も亦同じではありません。

故に修行法には三乗(さんじょう)の法があり、蓮台(れんだい)にも九品(ぼん)の蓮台があると申すのであります。

続く

 

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