真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~四十二、縁份(えんぶん)

2024-05-31 17:21:49 | 性理題釋

四十二、縁份(えんぶん)

縁份とは、前世の根本を説くのであります。もしも一人の人が原人で仏子であれば、天性は昧(くら)からず、人が聖道を説くのを一度聞けば、信心が直ちに起こるのであります。

聞けば即ち修めるのであって、このような人を仏様と御縁ある人と申すのであります。 

所謂(いわゆる)份とは、言い換(か)えますと即ち爵位(しゃくい)であります。

御縁ある人が、道を求めたならば常に道を心にして、人より後に落ちることを恐れ、功徳を積んで少しも怠(おこた)りません。この人は終に必ず成道することが出来ますが、成道された後に、その功徳の果に按(よ)って爵位を定めるのであり、これが縁份があるというのであります。

聖言の一つを以て申すならば、『知って学ばざるを無縁となし、学んで実のざらるを無份という』と申しております。

前人の聖者は『幼くして学ばざるは、成長して能なきなり。壮年にして学ば坐れば、老いて憂うるなり』と申され、また『謂う勿(なか)れ、今日学ばずとも明日ありと、今年学ばずとも来年ありと。日月逝(ゆ)けり、歳(とし)我に与えず』と申されました。

此処に為すべきことをなさなかったならば、必ず後に後悔が生ずるのでありますから、立派な人間として後悔することがないようにしなければなりません。

もしも、後悔するような時にはいかにあせっても道を修める事は出来ないのであります。

続く

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