真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~(一)天道降世の由来と御利益

2022-08-27 19:38:09 | 天道推奨

人間は孤独である

我々は過去に長い因果の輪廻を繰り返し続けて参りました。

行(ぎょう)、住(じゅ)、坐(ざ)、臥(が)、視覚(̻しかく)、聴覚(ちょうかく)等を通じて邪でないものはなく、言うことも行うこともすべて良心に愧(は)じることばかりであります。

今や世における犯罪と過失は日を追うて激化の一途を辿って行くのみであります。

それぞれの異なった行動は違った性格を作り、やがては別々の運命を生むに至ることは当然であります。

相互に搦(から)見あい縺(もつ)れ合った運命は宿命因業(しゅくめいいんごう)となって今生を左右し、行動を歪め間違った方向に導いていくものであります。

従って同じ人間であっても同一的に似たものはなく、つまるところ、孤独であり偏狭的(へんきょうてき)であります。

それは、輪廻の受け方に相違があり、従って表れた現象が千差万別に変化していくのは避けられない法則であります。

所が物質に迷わされた人々は同じでないものを場合により、時に応じて軽々しく自分の心の定規で勝手に同じだと信じたり、思いこんだりしています。

そしてやがて真実の姿にぶつかって始めて、相違を見出し、慌(あわ)てたり、酷(ひど)く憤怒(ふんぬ)、憎悪(ぞうお)したりして短い人生の貴重な時間を浪費しているのであります。

眞諦(しんたい)を理解していないから「諸行(しょぎょう)は無常(むじょう)なり、是れ生滅(しょうめつ)の法なり、生滅(しょうめつ)、滅し己(おわ)って寂滅(じゃくめつ)を楽と為す。」の理に徹せられずに妄想(もうそう)し、顛倒(てんとう)してゆくだけであります。

人間の平等は、共に神様から霊(たましい)を授けてもらったことと、同じ天下に住む人類同志であることのみに限って云えるだけで、因果の道から見て、その過程に於(おい)て決して一元的でなかったし、そうもできない有様になって居ります。

始めから自己の心を尺度として、萬有(ばんゆう)に当て嵌(は)めていこうとする所に誤解や曲解が生じて参ります。

だから常に期待はずれになって悩み苦しみ、嫉妬(しっと)や怨恨(えんこん)に身心を焦がしている哀れな存在であります。

眞諦(しんたい)を得た人は夙(つと)に無常の理を悟り、俗塵(ぞくじん)に染まった本性の還元に勤め、霊の覚(めざ)めを得、正しいものに合わせて凡(あら)ゆるものの差異を無くすべく、修錬して行くものであります。

そうすれば自然的にすべての面の真の在り方を観じ得て無理なく多方面に和し、対立を無くした徳の力は大いなる調和を広く確立できるのであります。

そして毎日が法悦(ほうえつ)と幸福であり満足に送られるものであります。

更に上(かみ)に天道(てんどう)を仰ぎ、下(しも)は衆生を救う聖なる道に身を委(ゆだ)ね、心を傾(かた無)けられることができるのであります。

淵源(えんげん)六万余年の歴史を有する天道は、只今、三期の世に至りまして普(あまね)く人類全般の霊魂と生命を救う天命を帯びて佈伝(ふでん)されました。

この驚くべき事実は正に世界への一大福音であります。

新たなる時代に応じた聖賢を選抜する時に、われわれは数多い人類の中から特に縁あって至宝の授記(じゅき)を得受(とくじゅ)する機会に恵まれました。

人間に生れてこれに勝る歓喜(よろこび)と幸運はありません。

続く


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