真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~五十一、何故色欲を戒めぬ

2024-06-27 22:45:36 | 性理題釋

五十一、何故色欲を戒めぬ

天地が交わって万物を生み、男女が交わって人を生みますが、これが即ち造化であります。

仏教と道教では、人を憫(あわれ)み、妻子の愛情にくくられて一生涯身を脱(ぬ)け出すことが出来ぬ故に、妻をめとらぬようにされました。

近年道が普渡されてからは、人倫に背かざれば、父子が同じ家庭に住み、夫婦が同居して、学者は学術の研究を誤らず、百姓は田を耕す事を妨げぬばかりか、工員は工作を誤らず、商人は経営の日時を誤らぬよう勤める訳であります。

半聖半凡(はんせいはんぼん)と称して、俗人としての生活をしながら聖人の道を修めるのであり、真心で家庭に由る内的な、試煉を受けながら修煉するのであります。

故に君子の道は夫婦(陰陽)にはじまると申されました。

所謂(いわゆる)色慾を戒めるとは、節操(せっそう)を保つ事であります。

若し早くから覚られた方は家庭の絆(きずな)を恐れ、まだ病にかからぬ先に予防するようなものであります。

然しながら既に家庭を持った方は、更に私慾を克服(こくふく)して勤め、又節倹して、一層撫育(いっそうふいく)しながら、一動一静に於いて善を以てこれを誘導するならば、上には先祖に愧(はじ)ず、下には子女を誤らぬのであります。

どうぞ孝の字を見てください。上は老の字で、下は子の字であります。

もしも、人々に家庭をなくせしめるならば、五十年後の宇宙間は、即ち空の場となるでありましょうから、何の道を論ずることができましょうか。

続く

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