真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~二十、入道後の精進

2022-11-26 20:53:35 | 性理題釋

二十、入道後の精進

もし、前進しようと思えば、入道してから、先ず信心を穏やかに立てるべきであり、信ずるということが修道の母であって、又功徳の源泉ともなるのであります。

人がもし信ずることなければ、占いも合わないと申すのに、修道する所に於いて、なおさら信心が必要となる訳であります。

人々は皆天性を具えておりますので、仙仏方と同体でありますが、だだ迷いと悟りに因(よ)り一つではありません。

故に聖凡の差別があります。

頭は円(まる)く、足は方(型)をなし、天地を象(かたち)どり、一呼(吐く息)一吸(吸う息)は陰陽を象どり、二眼は日月と同じく、五臓は即ち五行であり、喜怒哀楽は即ち風雷雲雨で、仁義礼智は本より元亨利貞(げんこうりてい)に通ずるのであります。

赤子は生まれ落ちると、天地と同体あります。

堯・舜・孔・孟の聖者も常の人に変わりありません。

理を明らかにした方は、仙仏であり、理を悖(さから)う者は鬼魂となるのであります。

故に理に率(したが)って修める事を道と申しますが、これが一定した不変の理であります。

続く


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