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ダイレクトメソッド

2010-12-24 17:09:00 | 日本語教育
春庭のBC級ニッポン語教育研究13「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「直接法(ダイレクトメソッド)の語学教育」

2003/12/18 0: 1 katuyuki22 中国の学生の話をきくと「大地の子」を思いうかべます。
という足跡をいただきました。

 「大地の子」は、春庭にとっても特別な思い出の作品。春庭が出演しているからです。
 出演といっても、俳優としてではなく、ただのエキストラ。長い作品の中で、ほんの5分間くらい画面に映ります。

 中国の大学で教えていたとき、大地の子のロケが行われました。
 仲代達矢と渡辺文夫が、家族の墓参りをするというシーン。

 日本に戻ることなく満州の地に倒れた妻や子をしのんで、皆で泣きながら家族が埋められていると推定される場所に墓を建てる、という場面です。
 春庭は、日本からの墓参訪問団の一員という役まわりのエキストラでした。

 エキストラが中国の方ばかりだと、日本からやってきた訪問団という設定が本物らしく見えない、というNHKの判断で、急遽日本人の教師がエキストラにかり出されたのです。

 ほとんどの先生はテレビドラマのエキストラなどに興味をしめさず、やりたいという人に限って、はずせない授業があったりして、私のところまで話がまわってきました。

 春庭は、好奇心のかたまり。喜び勇んでエキストラに参加しました。

 私と男の先生がふたり。男の先生にはひとことずつセリフが与えられたけれど、私は「墓参団に参加するという設定と年格好が合わない」というので、セリフなし。

 セリフなしでもめげない春庭。主役のうしろに立てば必ずカメラワークに入ると計算して、仲代達也のうしろに立ち、墓参りのシーン撮影に臨みました。

 結果、今年の夏再放送されたロングバージョンの回では、5分間くらい写っています。
 ショートバージョンのビデオの場合、満州墓参団のシーンはカットされているので、映りません。

 25年前、ケニアに滞在していたときは浅野ゆう子の友だち役で『熱中時代スペシャル版』にエキストラ出演。
 10年前の中国では『大地の子』にエキストラ出演。家族へのなによりのおみやげです。

中国で半年間教えている間、中国語を勉強したのですが、最後まで上手になれませんでした。

 え、中国語できなくて、どういうふうに中国の大学で教えるの?と、質問されることもあります。
 中国語ができなくても、英語ができなくても、日本語教えられるのです。

 日本語の授業って、いったいどんなふうにして、外国人に日本語を教えていくのか、見たことある人もいるだろうし、まったく知らない人も。

 一番わかりやすいたとえとして、子どもが中学校に入学して英語を習う際に、英語圏から来た「TA=ティーチングアシスタント」がついたクラスを思い浮かべてください。

 私たちの世代では、日本人の先生が、英語をカタカナ読みした、日本語なまりそのままの英語。カムカムエブリバディ世代の先生に教わりました。

 現在では、英語教育理論をきちんと身につけた外国人教育者を採用している学校が少なくありません。

 TAは、英語だけで、英語の授業を行うことが多いです。少しは日本語を知っているとしても、授業ではなるべく日本語を使わないで、英語だけで教えるのです。

 また、小学校での英語教育も始まろうとしているところです。英語の先取り研究授業、または総合学習「異文化理解教育」として、英語の授業を行っている学校もあります。
 この場合も、TAが英語だけで英語教育を行う場合があります。
 
 日本語教育では、この「英語だけを用いた英語教育」を逆にした「日本語だけを用いた日本語教育(直接法)」が最も広く行われています。

 どのように日本語だけで日本語をわからせていくか、については、「話しことばの通い路」のウェブログハウス春庭「ステップバイステップ日本語教授法」の「最初の授業」に、くわしく書いてあります。読んでね。

 私は、サバイバル日本語として、最初の日に、自己紹介「わたしは○○です。どうぞよろしく」と「○○、ください」を導入する。そして、日本語の音節の発音練習と、ひらがなの読み方(あ行からな行くらいまで)をインストールする。

 英語は、第二言語習得理論の上で、音声から導入する方法が確立しているが、日本語と英語は異なる。

 10/18「いろは歌留多」で説明したように、日本語は開音節の発音で、音節文字であるため、文字と発音を同時に、最初から指導するやりかたが、効率的。

 2日目に「いくらですか」と、数字の数え方を導入(導入というのは「インストール」の教育用語)ひらがなの「な行~わ、を、ん」
 3日目に濁音、拗音、促音、長音。

 「ひらがな」導入のとき、最初はあ行とか行だけでできている名詞を練習する。色カードをみせながら「あか」「あお」、「貝」の絵をみせながら「かい」自分の顔を指し示したり、顔の絵を見せて「かお」を練習する。駅の絵や写真を見せて「えき」

 発音練習ができたら、音声と文字を結びつける。

 さ行、た行の発音ができれば、音の組み合わせもふえて、いろんな単語を絵カードで教えられるようになる。

 そうしたら、「~ください」を導入。八百屋や肉屋、コンビニにいることを想定して「とりにく、ください」「はむ、ください」「ぱん、ください」などを練習する。私が店員の役をして、買い物ごっこをする。

 留学生が、うまくできたら大いにほめて「Now you can buy anything at the Japanese shop.」などと、おだてます。

実際には、まだまだ運用できないことがたくさんあるのだが、「日本語で買いたい物が注文できた!」という喜びを味わうことが大事。

明日は、授業の実践例を紹介しましょう。
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2003年12月19日


心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成教育研究「日本語教授法」私の趣味は日記を書くことです
(12/19)
春庭のBC級ニッポン語教育研究14「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「授業の実際ー動詞の名詞化を教える①」私の趣味は日記を書くことです

 春庭が「ニッポニア教師日誌」に書いた一番新しい授業実践報告の中から、日本語文法「動詞の名詞化」を、どのように学習者にわからせるか、というのを転載紹介しましょう。

 日本語教師の資格取得をめざす日本人学生の「日本語教授法」というクラスで紹介した、春庭日本語授業のデモンストレーションです。

 日本語教授法は、「どのようにして日本語を教えるか」を教えています。教員免許の「英語科教科法」とか、「国語科教育法」などに相当する授業です。

 以下は、『話しことばの通い路』フリースペースちえのわ『七味日記2003/11/26 ニッポニア教師日誌』に記載した授業実践の転載です。興味が持てたら、七味日記の他の「ニッポニア教師日誌」も、どうぞご覧ください。

 「動詞の名詞化」を教える授業。直接法(ダイレクトメソッド)と、媒介語(この授業の場合は英語)を用いて文法を説明するのを組み合わせた折衷直接法による授業例

 最初に、基本の理論から。
 英語の動詞はrun がrunning に、walk が walking に、という現在分詞の形で、動詞を名詞としてもちいることができる。
 日本語はこれを取りいれ「ランニング」など、そのまま外来語として使用している。

 日本語の動詞を名詞的用法で文にするには、助詞「の」形式名詞「こと」が用いられる。
 泳ぐという動詞を名詞化(nominaraization)すると、「泳ぐこと」「泳ぐの」どちらも使う。
 「こと」と「の」の使い分けなど、留学生には混乱が起きやすい文法項目だ。
 
 「泳ぐのが好きです」は、「泳ぐことが好きです」と、言うことができる。しかし、「私の趣味は泳ぐことです」という文を、「私の趣味は泳ぐのです」と、言うのは不自然だ。

 そのあたりの文法事項を、きちんと把握していないと、もし、留学生が「私の趣味は泳ぐのです」という発話をしたときに、教師として対処できなくなる。
 「日本語ではそう言わないんだから、つべこべ言わないで覚えろ」と言うしかなくなる。

 名詞化の「の」は、コピュラ「だ」「です」と共起しないことを、教授者が把握している必要がある。

動詞の名詞化の説明(「S.F.J」文法解説に基づく)

1,Attaching「の」 or「こと」(tha fact)that ro V-ing to the end of a sentence in it's plain form allows it to function like a noun.
動詞の基本形(辞書形=国文法でいう終止形)のうしろに、「の」、「こと」(できごと、事実の意味)を附属すると、名詞と同じ機能を持つ。

2 ナ形容詞(国文法でいう形容動詞)や、名詞+ナの単語は、「の」を附属させる方が、「こと」を附属させるより、好んで使われる。

 例:「春さんが元気なことを知りませんでした」より「春さんが元気なのを知りませんでした」のほうが、よく使われる。

3 「の」is preferred to 「こと」in sentences involving ~好きだ/嫌いだ/いやだ/上手だ。
~好きだ/嫌いだ/いやだ/上手だ/下手だ、と、組み合わせるばあい、「こと」よりも「の」の方が好まれる.

例:雨の日にでかけるのはいやですね。>雨の日にでかけることはいやですね

4「こと」only is used in the following type of sentence. ( N は N です)

例:私の趣味は本を読むことです(「私の趣味は本をよむのです」は、不適切)

 cf:「だれがなんと言おうと、私はいくのです」という場合の「の」は、また別。「いくんです」「だれが撮っても上手に写るんです」の「の」や「ん」は、説明的終助詞(explanated finel particle)の、「の」である。

あ、話がややこしくなった。逃げないで次に展開する授業実践を読んでね。春庭、授業中に「横綱土俵入り」を披露しているから。
07:26 コメント(0) 編集 ページのトップへ
2003年12月20日


心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成教育研究「の/こと」
(12/20)
春庭のBC級ニッポン語教育研究15「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「授業の実際ー動詞の名詞化を教える②」

 12/19に、形式名詞「こと」助詞「の」による動詞の名詞化(Verb nominalization)の理論編を書いたところ、dionさんから「『体言止め』と同じですか」という足跡質問をいただいた。
 いいえ、「体言(名詞)止め」と、「動詞の名詞化」は、同じではありません。

 体言止めというのは、文のおわりが名詞で終止することを言います。「働けどはたらけどわが暮らし楽にならざりじっと手を見る」という短歌は「見る」という用言(動詞)で終わっています。これに対して「今年も何もいいことがなかった。泣き濡れて砂をつかむ私の手。」という文では、「手」という名詞で文が終わっています。これが体言止め。

 動詞の名詞化とは、動詞の形を変えて名詞にすること。「こと」をつけると、動詞「する」が、名詞「すること」に変化します。これが動詞の名詞化。

 もうひとつ動詞を名詞化する方法は、動詞の連用中止形名詞。「行く」が「行き」という名詞になり「行きも帰りも立ちっぱなし」と、名詞として用いることができる。「のぼり、下り」「読み書き」なども、動詞連用中止形名詞です。

 いつもならパソコンの前でいつまでもメールをやりとりしている学生が、明日からの冬休みめがけ、一目散に帰っていったので、留学生センターのパソコンがめずらしく使われていませんでした。
 それで、仕事が終わってから学生用のパソコンで足跡をチェックでき、dionさんの質問に気づきました。足跡ページに書いてあるとおり、昼間は春庭授業中、質問が書いてあっても、足跡をチェックできず、答えられません。質問があるかたは、ミニメールでお願いします。

 敬愛する九州のドクターからも、助詞「が」について説明せよとの御下問が。明日お答えします。
 年末年始特別更新。12/20、12/21,12/22 更新します。12/23,、12/24,更新しません。12/25,12/26、更新します。12/28、12/29,12/30、更新しません。12/31、2004/01/01,01/02,、更新します。01/03,01/04,01/05,01/06,01/07 、更新しません。
 2004/01/08から、通常の平日更新、土日祝日更新なし。

 さて、「動詞の名詞化を教える授業」の続き。
 「私が、『こと』と『の』を導入するときは、こうやります」というサンプル。あくまで一例であり、さまざまな授業方法が存在する。

 以下の授業実践は、直接法(日本語だけで授業をする)に、媒介語(このクラスでは英語)を加えた、「折衷直接法」の授業である。

1,文字カードを準備。
 カードに「ピンポン」「バレーボール」「バスケットボール」「テニス」「ボクシング」「すもう」「Swimming」「Walking」「Watching」「Standing」「Taking photograph」などと書いてある。

2,日本語学習者をふたつのチームに分ける。カードを配り、ふたり一組になってジェスチャーを出題し、相手チームに何をしているか、あてさせる。あたったら、ポイントゲット。
 これは、カードの語句の意味を理解しているかどうか、確認するための遊び。

 「泳ぐこと」「写真をとること」などは、ジェスチャーで当てられるが、「立っていること」「見ること」などは、ジェスチャーが巧みでないと、答えが出にくい。ただ、じっと立ち続けるジェスチャーでは「立っていること」という答えが出ないのだ。

 「すもう」のジェスチャーなどは知らない学生もいるので、できそうな人にあてておく。学生ができないときは、教師がジェスチャーすると、みな大喜び。私は調子にのると、横綱土俵入りのジェスチャーまでサービス。

3,「Please answer. Do you like sports. 答えてください.スポーツが好きですか」スポーツが好きそうな学生に質問する。学生は「好きです」と答える。

①テニスが好きそうな学習者に質問「テニスが好きですか」学習者の答え「はい、好きです」

②女子学生に質問「ボクシングが好きですか」好きだと答えたら「ボクシングができますか」「いいえ、できません」「そうですか、○○さんは、ボクシングができません。○○san can not play boxing.」

① わざと、すもうができるか聞いてみたりする。冗談で「できる」と答える学生がいたら、「Let's play the game. I am Takamisakari You are Asashoryu.」と、のせる。ふたりで、立ちあい「みあって、見合って、はっけよいのこった」と、立つまでをジェスチャーでやったり。がっぷり四つに組むのは、ちょっと遠慮。(昼間だからね)

4,教師「○○san do you like TV watching ?」
  学生「Yes I do」
 教師「そう、好きなのね。日本語で言ってください」
 学生「好きです」
 教師「Please say full sentence.」
 学生「わたしはテレビを見るが 好きです」

5,教師「今の日本語は正しい日本語ではありません。もういちど、言ってください」
 学生「わたしはテレビをみるが、、、、」
 教師「ちがいます。『みるが』は、正しい日本語ではありません」
 学生「Ah!わかりません」

6,学生が間違えたら、すかさず、「こと」「の」を導入する。「日本語動詞の名詞化 Japanese verb nominaraization」の説明。「の」と「こと」の使い分けなどを説明する。
「私は テレビを見るのが 好きです」

7,「こと」を用いた、動詞の名詞化の練習。カードをみせながら、あるいは口答練習で「Walking →あるくこと」「Watching →みること」の変換練習

8「動詞~のが好きです/~のは好きじゃありません」の代入練習。「公園を歩くのが好きです」「テレビを見るのが好きです」「電車の中で立つのは好きじゃありません」などの文型を練習。

9「趣味は、動詞~ことです」の代入練習。
①「趣味はお酒を飲むことです」「趣味は映画を見ることです」「趣味は絵を描くことです」などの例文を練習。

②調子にのりやすい男子学生がいるクラスだと、「趣味は、女の人の写真をとることです」「趣味は女の人と話すことです」などと、うけねらいの短文が続出。

②乗りやすいクラスと、そうでないクラスでは、例文を使い分ける。やたらに「うけねらい」の文を発表しようと、はりきる学生がいるクラスがある。
 また、ちょっとでもふざけた文を言うと、ブーイングを出す、まじめ学生のいるクラスも。

 教師も、クラスの個性にあわせて臨機応変に。

 あなたの趣味は?「趣味は、女の人といっしょにホテルへ行くことです」あ、そう、いい趣味ですわね。春庭も同じ趣味です。共通の趣味を持っていて、気が合いますこと。おほほほ、、、
 「春庭の趣味も、女の人といっしょにホテルへ行くことです」ホテルのレディスサービス、エステ料金無料などのサービスがある。

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2003年12月21日


心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成教育研究「が」の機能
(12/21)
春庭のBC級ニッポン語教育研究17「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「が」の機能。納得するまで疑問を持ち続けることの価値

 12/03に、英語のことばの並びかたと日本語の並び方の違いについて、述べた。英語の基本的な文型SVOでは、動詞の前にあるのが主語(subject)動詞のうしろにくるのが対象語(object目的語)

 「Subject」の形容詞や動詞としての意味が「服従する」「受け入れる」「従属させる」ということからわかるように、動詞で表現される行為行動や事象を、我が身に負う、受け入れる主体という意味。「Object」は、Subjectの対象となるもの、動詞で表現された行為をはさんで、主体と対極に存在し、行為の対象となるもの。

 日本語では、語の順番ではなく、どの助詞(particle)が単語にくっついたかによって、文の中での機能が決定する。
 ここでは便宜的にparticleと言っているが、英語のparticleには前置詞、冠詞、接頭辞などがすべて含まれるので、英語圏の学生に対してparticleという文法用語を使うときは、前置詞や冠詞とは異なることを言っておく必要がある。

 日本語の助詞には、日本語独特の働きがある。
 初級で最初に教える助詞は、副助詞の「は」。「わたし は がくせい です」などの「(名詞)は(名詞)です」という文が、どの初級教科書にも、第1課で扱われる。

 「は」は、文のトピック(話題、これから話し手が述べたいことの主題)をあらわす。
 聞き手が承知している話題について、説明をくわえるときに用いる。

 「私」という存在が目の前にいて、聞き手は「私が今ここにいること」を承知している。そのとき、「私は 春庭です」とここに存在している「私」がどのようなものかを説明する。

 もし、「私」の存在を、話し手が知らないときにはどうするか。
 病院の受付で、受付係が名前を確認している。「鈴木さん、内科の受付をなさった鈴木さん、いらっしゃいますか」
 このように受付係が呼んだとき、話し手が承知しているのは、「鈴木さん」という氏名のほうであって、「私」を見たことはない。
 そのとき、「私は 鈴木です」とは、言わない。「はい、わたし が すずきです」という。相手にとって、新情報であるとき「は」ではなく、「が」を用いる。
 「は」は、話し手聞き手が承知しているものを話題としてとりあげるときに用いるからだ。

 「昔むかし、おじいさんとおばあさん が 山の中に住んでいました。」と、話をはじめるとき、おじいさんとおばあさんのことを新情報として提出するので、「昔、むかし、おじいさんとおばあさん は 山の中に住んでいました」とは言わない。

 しかし、一度おじいさんとおばあさんの存在が読者に提示されたあと、おじいさんとおばあさんが新たに行う動作は、「は」で示す。「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」
 もう、おじいさんとおばあさんの存在がわかっているのに、「おじいさんが山へ芝刈りにいきました。おばあさんが川へ洗濯に行きました」というのは、不自然になる。

 副助詞「は」の機能はまだ、たくさんあり、たとえば、対比をしめす「は」。
 「ビールは飲めるが、ウィスキーは飲めない」のように、ふたつのものを対比させて述べるときの助詞。
 「チューリップは咲いているが、桜はまだだね」なども、対比。

 副助詞の仲間には、「も」「さえ」などがある。「わたしも がくせいです」などが第1課で提出される。「副助詞」という呼び方のほかに「取り立て助詞」というときもある。

 「は」の次に扱う助詞が、格助詞「を」や「へ」「で」。
 格助詞は、単語について、文節(文の成分)の機能を確定する。ひとつの助詞がさまざまな機能を担う。
 
 初級教科書の第2課第3課あたりで扱う「毎日、私は がっこうへ 行きます」「毎朝、わたし は たまご を たべます」など。

 助詞「へ」は、方向、目的地をしめす。
 「に」との違いが必ず質問で出てくる。「学校へ行きます」と「学校に行きます」は、どう違うのですか、という質問。

 「へ」は、方向の移動性を頭に置いて、今存在する場所から、目的地へ向かって移動していく過程を念頭におく場合使う。
 「に」は、移動の過程を念頭におかず、目的地の存在を強く意識するときに使う。「学校へ」というとき、家を出て電車に乗って、最寄り駅から歩いて、という過程が念頭にある。「学校に」というときは、移動の過程ではなく、「学校」という場所が、話し手が到達したいと思っている目的地であることが意識されている。

 「毎日、会社へ行きます」というとき、会社までの道のりや、乗換駅のことなども念頭にあり、「毎日、会社に行きます」というとき、目的地としての会社、自分が働く場所としての会社が意識にある。

 格助詞は、このように、語と語がどのような関係で述語に結びつくかを表す。ひとつの格助詞は、多様な機能を持つ。

 たとえば、対象を表す「を」。「パンを食べます」「彼女を愛している」など、述語の対象を表すのが第一の機能。
 第二の機能として、「橋を渡る」「公園を通る」など、移動を表現する動詞と結びついて、通過地点を示す、という機能がある。

 「に」「で」なども、多様な機能をもつ。
 「で」の機能のいくつか。
 「で」の基本機能は、場所の表示。「郵便局で 葉書を買う」「北海道で 大雪になった」など、「で」は、行動・事象が行われる場所を示す。

 「電車で 会社へ 行く」このときの「で」は、手段を表す。「はしで ごはんを 食べる」の「で」も手段。
 「人身事故で 電車が 遅れた」の「で」は、原因理由を表す。
 さらに、「市役所で 住民登録をした」というときの「で」は、場所を示しているが「この問題については、市役所で調べているところです」というときの「で」は、「動作主体
」を示す。「事件は 警察で 処理するから、素人はひっこんでいろ」などと言うときの「警察で」は、処理するという動作を行う主体を表現する。

格助詞「が」は、代表的な格助詞が提出されたあとで、教えられる。「は」との使い分けの説明がかなり難しいからだ。

 格助詞「が」の第一の機能は「述語predicate」が表す行為・事象の主体を示すこと。
 話し手も聞き手もその存在を知っている「桜」について述べるとき「桜は きれいだよね」「今年の桜は、いつが見頃だろう」など、「は」で、話題にだす。

 しかし、今現在目の前で展開している事象に気づいて話すとき「あ、ほら、あそこ見て。もう桜が咲いているよ」と言う。新しく気づいた現象についてその主体を示すときは「が」が用いられる。

 格助詞「が」の、もうひとつの機能は、心理的な対象、欲求が向けられる対象を示すこと。「あの子が好きだ」「テニスが上手だ」「酒が飲みたい」など、話し手の心が向けられる対象をしめす。

 対象を示す助詞は「を」であるので、最近の若者は「あの子を好きだ」「酒を飲みたい」など、「が」格でなく、「を」格で対象を表す傾向にある。あと、20年くらいすると「酒が飲みたい」より「酒を飲みたい」のほうが一般的な言い方になるのではないか。

 また、「が」は、「の/が」変換といって、文の中、特に従属節においては、「が」で表示される機能は「の」に置き換わって使われる。「私が好きなあの子」は「わたしの好きなあの子」と、「が」が「の」に変換されて使われる。この場合の「の」は、「が」の機能と同じ。
 
 ドクターからの質問。『どうやら「が」と「の」は、後ろに来る述語によってその前の言葉が主語にも目的語にもなるらしいのだが、なぜなんだろう』

 「なぜなんだろう」の回答としては
1,「が」は「の」と変換できる。
2,「が」の機能のひとつとして、「行動行為のむけられる対象」を示す。
3,「が」によって対象を示すときの述語は、心理的な愛憎や要求などがむけられることを示す述語である。

 ドクターがお気づきのように、「が」が、対象を示す述語は「好きだ/上手だ(ナ形容詞)飲みたい食べたい(動詞の欲求形、活用はイ形容詞と同じ)」などの、述語に限られ、動詞の欲求形(~たい)以外の動詞述語の場合は「パンが 食べる」などにはならない。

 「が」格を対象格として持つ動詞。初級で扱う動詞は「みえる」「きこえる」くらい。
 「富士山が見える」「子どもの泣き声が聞こえる」、という場合、対象を示すのは「が」になる。
 「富士山を見る」「音楽をきく」と、どう違うのか、日本語学習者から、必ず出される質問である。あなたなら、どう説明しますか。(ヒント:意志動詞、無意志動詞)

 ふだん、何気なく使っている母語を意識化するのは、むずかしいことだ。あたりまえの用法としてしゃべっているから。

 その母語を意識化できるということは、ほんとうにすばらしいこと。ドクターが「なぜ、こういうんだろう」と疑問に思ったということが、私がいう「文法というのは、ことば不思議発見のこと」と、以前に話したことなのだ。

 「なんで、こういうんだろう」「どうしてこういう表現をするんだ」と気になることが、文法意識の出発であり、日本語を教えるということは、こういう「なんで日本語ではこういうんだ」ということを、意識化して外国人に伝えること。

 mitubaさんの日記に学校へ行くことを拒否した15歳少年の話が出ている。

 彼は「なぜ、縦と横をかけると面積になるのか」と教師にたずねたが、答えてもらえなかった。彼にとって、学校教育が意味のないものに思えたのもしかたがないことだろう。

 教師とは、「縦と横をかければ面積になる」という計算方法を教える役目も担うが、もっと大事なことは、「なぜ?」という素朴な疑問に答えてやることだ。

 私は数字に弱く、数学は大の苦手。中学1年生のとき、マイナスをマイナスをかけると+になる、ということがどうしても理解できなかった。

 教師は「そんなこと考えてないで、決まっていることなんだから覚えればよい」と言った。テストではマイナスかけるマイナスはかならず+にして答えを書いたから、点はとれた。

 どうしてマイナスかけるマイナスが+になるのかをおしえてくれたのは、中学校国語科教諭になったときの同僚の先生。

 水道方式という教授法をマスターしている先生だったが、出産したあと、教師をやめることになった。生まれてきたお嬢さんの治療養育に専念するため。

 今でも、数学でわからないことがあると、この友人に手紙を出して素朴な疑問に答えてもらう。このような先生に巡り会える人は幸福だ。

 多くの場合、このような教師に巡り会わないまま学校教育の場で「がまんしながら」すごすのではないか。

 わたしが「なぜ、英語では、いちいち一個の林檎とふたつ以上のりんごを区別するのか」という疑問をもったときに「ヘリクツ言わずに覚えろ」と叱られた思い出をもつように、ほとんどの子どもは、素朴な「なぜ」をつぶしながら学校の勉強を強要されているのではないだろうか。
 
 少なくとも、私は、学生から「どうして日本語ではこういうふうに言うのだ」と、質問されたとき、「つべこべ言うな。日本語ではこう言うのに決まっているんだ」と、答えることはしたくない。

 自分でも、わからないことなら、学生といっしょになって考える。答えが出ないときもある。それでも、「先生は質問したことを絶対に無視しない。いっしょに考えてくれる」という姿勢を示すことが、教師の基本だろうと思う。

 ドクターから、「が」の機能について、質問を受けて、とてもうれしかった。まだ全部説明しきれたわけではないけれど、ドクターの疑問にいっしょに考えることができて、楽しいひとときだった。

 「不思議に思う、疑問をもつ、いっしょに考える」これは、世界を共有しようとする人間と人間の関わり合いの基本ではないかと思っている。

 社会のなかであたりまえとされていること、当然だからといわれること、これらのことも、なぜなんだ、なぜ当然のことにされているんだ、と考えることは相当なエネルギーを要する。
 長いものに巻かれて生きる方が、はるかに楽である。

 chiyoisozakiさんの日記。
 「入会するのが当然」とされている地域の「自治会」への疑問から、脱会を決めた。相当な圧力、地域からの圧迫もあったことだろうと察する。

 しかし、納得のいかない自治活動なら、長いものに巻かれて楽を決め込むより、納得できるまで考えてみようとする態度。ここから何かがスタートするのだと信ずる。

 有無を言わさず「決まったことだから」と、遠い戦地へ出かけていくこと。「なぜ?」という素朴な疑問を持ち続けたい。

ほかに、貢献できる方法はないのか、現地の人々にとって、一番必要なことは何なのか。疑問を持ち、考え続けたい。
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2003年12月22日