にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

編集とコピペ

2010-09-21 16:38:00 | 社会文化
2010/12/11 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>コピペ(1)編集とコピペ

 私は、松岡正剛の「編集」という概念に賛同しています。「世の中のあらゆる文化は、先人が達成した文化の再編集によって、新たな装いをもって成立する」というのが「編集」の考え方です。新発見、新発明ということも、先人の知恵を利用して発見するものだからです。

 「編集」されたものには新たに「編集権」が備わります。単純な例でいえば、短歌集。短歌を作った人には創作著作権がありますが、それは著作者死亡後、50年で消滅します。万葉集の作者はもう1200年以上も前に死んでいますから、ひとつひとつの歌に著作権はありません。しかし、ある編集者が独自の観点で万葉集アンソロジーを編集して発行したら、編集した者には編集権が発生するのです。

 文章の中身が既存の知識で構成されているとしても、独自の観点から新たに書かれたものなら、書いた人に編集著作権があります。
 私が書く日本語についての文章、あちこちの文献を調べ、自分なりに納得したことを自分自身の文章で再編集します。

 春庭は、さまざまな文献を調べ、以下のような「海海海海海をアイウエオと読むことについて」の文章を書きました。書いた事実自体は、いろいろな文献に出ていることですから、春庭のオリジナルではありません。しかし、文章そのものは、春庭が自分の頭で編集し、書き上げたものです。春庭に著作権があります。
 他人が書いた文章を、自分の名前で発表したら、それは盗作です。

 春庭の文章がそっくりそのままコピペされていたサイトに出くわし、びっくりしました。ネットの中で、質問者に回答を寄せるとポイントが貯まる、というサイトの中に、あれ、どこかで読んだ気がする文章があるな、と思ったら、下記の2008/12/23付けの春庭コラムがそっくりコピペされていたのでした。

 下記のカフェコラムの元の文章は、春庭BBSに、2008-12-21 09:30:13 にUPしたものです。ネットのUPは、何月何日に書いたものなのか、確実に記録が残るのでありがたいです。
================
2008/12/23 (03:01にUP)
t******(2008-12-17 11:35:06)さんからのご質問に回答しました。
質問その1:海海海海海をアイウエオと読むということですが>

回答 「海海海海海と書いてアイウエオと読む」言葉遊びのひとつです。
「海」音読みは「カイ」訓読みは「うみ」ですが、当て字に用いた場合、さまざまな読み方にあてられる。ただし、この当て字は熟字訓というもので、アマという言葉に「海女」を当てたからといって、海に「ア」という読み方があるわけではありません。あくまでも「海女」という二字の熟語の読み方が「あま」なのです。

あ─海女(アマ)、
い─海豚(イルカ)、
う─海胆(ウニ)、
え─海老(エビ)、
お─海髪(オゴ)または海藻(オゴノリ)をあわせたもの。

 「海松」と書いて「みる」と読む。海草の一首の「ミル」に当てた漢字です。こちらの場合、海を「み」と読むのは人名地名にも当てられていますね。青海の読みは「おうみ」「あおうみ」「せいかい」などあり。
=============
 上記の文章をそっくりそのままコピーペーストした文が、別サイトに別人の名前でUPされていました。

 myth21hide氏によるコピーペースト、私がカフェコラムをUPした6時間後に「教えてgoo」というサイトにUPされていました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1758086.html
===========

回答者:myth21hide 回答日時:2008/12/23 09:26
 「海海海海海と書いてアイウエオと読む」言葉遊びのひとつです。
「海」音読みは「カイ」訓読みは「うみ」ですが、当て字に用いた場合、さまざまな読み方にあてられる。ただし、この当て字は熟字訓というもので、アマという言葉に「海女」を当てたからといって、海に「ア」という読み方があるわけではありません。あくまでも「海女」という二字の熟語の読み方が「あま」なのです。

あ─海女(アマ)、
い─海豚(イルカ)、
う─海胆(ウニ)、
え─海老(エビ)、
お─海髪(オゴ)または海藻(オゴノリ)をあわせたもの。

 「海松」と書いて「みる」と読む。海草の一首の「ミル」に当てた漢字です。こちらの場合、海を「み」と読むのは人名地名にも当てられていますね。青海の読みは「おうみ」「あおうみ」「せいかい」などあり。

 「海海海海海あいうえお」の言葉遊び、出典は「万葉集」という説もあるのですが、何巻の第何番の歌なのか、確認できておりません。

 逆に天智天皇、天武天皇の父の歌だとわかりました。
===========

 春庭が「海海海海海アイウエオ」について書いたコラムのコメント欄にmyth21hide氏からのコメントが書かれていましたから、myth21hide氏が春庭のコラムを読んだことは間違いありません。
 おそらく、myth21hide氏は、春庭とて独自の見解や発見を書いたわけではなく、いろいろなところに出ていることがらを寄せ集めているだけなのだから、myth21hide氏が春庭の文章をコピーしたところでたいした問題ではない、と考えての速攻コピーだったのでしょう。また、「教えてgoo」は大勢の人の目にふれるサイトですが、OCNカフェの春庭コラムなど、一日に10人も読む人がいれば上々のマイナーサイトだから、コピペが発覚することもないと考えてのことだったかもしれません。

 確かに、「海海海海海」を「アイウエオ」と読むことば遊びそのものは、昔から行われてきた当て字、熟字訓を元にしたもので、春庭が発見したことではありません。しかし、この文章を書いたのは春庭であり、春庭がさまざまな文献をもとにまとめたものなのです。編集権と執筆の著作権は春庭にあります。

 春庭は、ネットの中の文章をコピーすることについて反対しているのではありません。引用するなら、引用元について、きちんと執筆者名を書き引用元のURLを書くことでネットからの引用も許されると考えます。問題なのは、他者が書いた文章を自分の名で、自分が書いたようにしてコピーすることです。これは泥棒です。

 引用する場合の出所の明示については、著作権法の第48条に規定されています。myth21hide氏のコピーペーストは、春庭の文章であることを明示せず、myth21hide氏独自の文章の付け加えは、最後の一行のみなので、引用の範囲を超えています。
 なお、myth21hide氏の文の最後の一行は事実誤認です。万葉集原典にあたっていないことが、このことからもわかります。欽明天皇は「海海海海海」に関する歌を残していません。

 某私立大学中国人学生の作文コピペに悩んで、どうしようかとサイト検索しているうち、思いがけず、自分の文章もコピペされて、私の知らないところで勝手にUPされていることに気づいて、あれま、日本人でさえコピペに対してこの程度の意識しかないのだから、中国人学生が著作権を理解していかないのも、仕方ないのか、と暗然としています。

<つづく>
09:14 コメント(5) ページのトップへ
2010年12月12日


ぽかぽか春庭「作文コピペ」
2010/12/12 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>コピペ(2)作文コピペ

 北京で行われたフィギュアスケートグランプリファイナル。女子は新星村上村上佳菜子が3位、男子は織田信成が2位、小塚崇彦が3位。日本勢で金銀銅独占という欲張りな夢は成りませんでしたが、フリーでは安藤美姫が最高点になるなど、見所が多く、はらはらしながらも楽しめました。

 春庭創作「名前で回文」フィギュアスケート篇に、織田信成が抜けてしまっていた。付け足しです。昨日のフリースケーティングでは、4回転だけでなく2回転でも負けにつながる転倒があった織田信成でしたが、次回は無理な倒れ方をしないように、そしてチャンピオンに成れと願って。
 良し!成れ、織田信成、無理な負の倒れ無しよ。「よしなれおたのふなりむりなふのたおれなしよ」

 自作回文を作ったあと、必ず検索を入れて、同じものがこの世にUPされていないか確かめます。俳句やキャッチコピーなど短いフレーズのものは、意図しなくても同じものが作られてしまっている可能性があるからです。一文まるごとの検索と、一語ずつに分けてアンド検索をします。一文は、平仮名だけのと、漢字仮名交じりと両方確認します。良し、成れ。同じ回文は無しよ。それで、ようやくUP、OKになります。

 今年4月から担当している某私立大学の留学生クラス、一つのクラスに40人も詰め込まれているのが、二クラス。「文章表現」「口頭表現」の指導をせよ、ということで、春庭なりに、精一杯指導はしたつもりですが、なにせ人数が多すぎて、これまでの国立大学留学生クラスのような授業ができませんでした。十分な指導ができず、「学生の日本語力が4月から伸びた」という実感が得られずに年末を迎えたこと、近年にないことで、たいへん強いストレスになりました。

 ひとクラス40人の作文を提出させて添削し指導することは、かって他の私立大学留学生クラスでも行ってきたことだから、と思ってこの仕事を引き受けたのですが、どっこい、時代が違い、学生の意識が異なりました。インターネット時代の落とし子たち、それも、コピペを当然と考える国からの留学生です。ネットからコピペした文章を当然のように「作文の宿題」として提出し、「ばれなきゃOK」という意識なのです。

 「あなた方が現在書ける作文能力は、一番最初に授業中に書かせた自己紹介作文で把握しています。コピーペーストしても、ぜったいに教師は本人が書いた作文かどうか見破ることができるからね。コピペは必ず発覚しますよ」と、毎時間作文を書く度に言っているのに、コピペ作文があとをたちませんでした。

 仕方のないことかもしれません。中国に著作権意識はまだ浸透していないのです。
 「クレヨンしんちゃん」は、中国で中国人が取得した「蠟筆小新(ラービィシャオシン)」の商標が登録され、登録者は今も、この商標を「正式」に使用し続け、日本の原作者と出版社は、中国における権利を認められなかったという問題がありました。
 上海万博では、PRソングに選ばれた歌が、日本の岡本真夜のヒット曲「そのままの君でいて」(97年発売)にそっくりであることがわかり、中国政府側も認めました。岡本側に「楽曲使用願い」を出し、岡本が許可を出したことで一件落着となりましたが、これはあまりにも明白な盗作であり、世間にも広く知られてしまったため、上海万博を恙なく成功させたいという中国政府の意向から正当な処置になったのであり、おそらくおおかたの「中国パクリ天国」は、これからも当分の間横行することでしょう。

 「中国人は泥棒になることを良いことだと思っているのですか」そう尋ねると、学生たちは「人のものを盗むのは悪いことです」と答えます。でも、彼らの意識では、泥棒とは「物」や「お金」を盗むことに限られています。アイディアとか意匠登録とか著作物など、形のないものについては別なのです。
 学術論文、博士論文ですら、コピペ横行であることは、中国語の論文を読んだ人の多くが指摘しています。

 一般の中国人に「著作権」という概念はありません。日本語教師春庭は、「人の文章をそっくりそのままコピーしたら、それは泥棒です。人の文章をそっくりコピーしたら犯罪ですよ」と、教えるところから授業を始めました。

 それでも、コピペは続出しました。作文の一部、またキーワードをいくつか検索に掛けると、コピー元の文章が割り出せます。ネットをコピーしたものを学生に見せて、「あなたの文章は、ここからコピーしたのですね」と、突きつければ、しぶしぶ認めますが、「見つからなければOK」の精神は、続いています。コピー元がわからないとしても、普段自分の力で書いている文章とあまりの落差のため、すぐにコピーだとわかるのですけれど、証拠がないと言えないのが弱みです。

 経営上の問題で、日本語力が低い人たちもどんどん入学させている大学であることは承知の上だったのですが、「自分の力で日本語力を向上させたい」という意識が皆無の学生、「他の人の文章をコピペしてもバレさえしなければ、単位がもらえる」という考えの人に出くわすと、毎度毎度がっかりの連続です。

<つづく>
09:16 コメント(3) ページのトップへ
2010年12月14日


ぽかぽか春庭「コピーとインスピレーションとオマージュ」
2010/12/14 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>コピペ(3)コピーとインスピレーションとオマージュ

 春庭のカフェコラムで、何度か「コピー」「盗作」「インスピレーションを受けての再創作」「パロディ」「オマージュ」等の問題について述べてきました。
(2006年9月16~28日 翻案盗作パロディオマージュ(1)~(13)。シェークスピアの元ネタについて、また手塚治虫とディズニーアニメの影響関係など、作品中のコピーやオマージュについて述べました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200609A
 
 あるモチーフを元にして新しい文化を創り上げることは、どの文化でも芸術や産業のどの分野でも行われてきたことです。言語作品の影響関係について、とても興味深い話をききました。題して「本歌どり・賢治とアメリカ郵便局スローガン」byアーサー・ビナード

 12月9日木曜日の夜、詩人アーサー・ビナードさんの講演がありました。
 ビナードさんはニューヨーク州のコルゲート大学卒業後、1990年に来日。池袋の日本語学校で日本語を学びました。英語日本語相互の翻訳や日本語での詩や俳句の創作をはじめ、2001年に日本語の詩集『釣り上げては』を出版し、中原中也賞を受賞。外国人でこの賞を受けたのはビナードさんただ一人です。

 現在は、青森放送や文化放送のパーソナリティとして活躍し、詩集、絵本、エッセイなど多彩な作品を日本語社会に送り出しています。

 非日本語母語話者による日本語言語作品、リービ英雄や楊逸など「越境文学」を守備範囲に入れたい春庭、講演があることを昼休みに知り、仕事を終えてから講演をききました。師走のひとときを有意義にすごすことができました。

 ビナードさんが発見した、「インスピレーションを受けての再創作」についての話を採録します。

 ビナードさんが来日して、池袋にある日本語学校に通い始めたころのこと。ビナードさんは日本語クラスの市川先生に本を借りて読んでみることにしました。文庫本の日本語の詩を読み出してみると、以前に確かに読んだような、なつかしい感じを受けました。

 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ、、、、
 ビナードさんが宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読み出したのは、最初の漢字「雨」を見て、「おお、知ってる漢字だ、これなら読めそうだ」と思ったからだそうですが、すぐに辞書を引いてもわからないところにぶつかりました。「イツモシヅカニワラッテヰル」
 日本語学校で片仮名は習ったけれど、「ヰ」は何だ?習ったことがない。「?」のような記号なのか。それならそのあとに片仮名の「ル」がつくのはおかしい。

 「ヰ」はひらがな「ゐ」のカタカナであることなどを知らなかった、日本語初級のころですから、一遍の詩を読み上げるにもいろいろな苦労がありましたが『雨にもまけず』は、ビナードさんにとって大きな印象を残した日本語詩になりました。

<つづく>
00:01 コメント(1) ページのトップへ
2010年12月15日


ぽかぽか春庭「王の道と雨ニモマケズ」
2010/12/15 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>コピペ(4)王の道と雨ニモマケズ

 知らない文字も出てきてたいへんだったけれど、ビナードさんは、「雨ニモマケズ」の最初の数行を読んで「どこかで出会った詩句のような、なつかしい感じのすることば」と感じたのだそうです。
 どこでこの「雨にも負けず」というフレーズを見かけたのだったか記憶をたどると、、、、。それは、大学があったニューヨーク州の郵便局の壁に掲げられている「郵便配達員のモットー」でした。

 「郵便配達員たちの信条 Postal Service Mission and "Motto”」として有名なスローガンなのだそうです。こんな詩句。
"Neither snow nor rain nor heat nor gloom of night, stays these couriers from the swift completion of their appointed rounds"

 雪も、雨も、暑さも夜の暗がりも、配達人の配達区域で迅速な任務の完遂をおしとどめることは出来ない(春庭の訳なので、違っている部分があるかも知れません。たぶん、ビナードさんによる日本語訳がどこかの本に載っていることでしょう)
 ほんと、ビナードさんが「なんだかなじみのある詩句」と感じたこともうなずけます。
「雪にも負けず、雨にも夜の暗がりにも負けず、黙々と担当地区の郵便を運び続ける、、、、」そんな郵便局員に私はなりたい、、、、という郵便局のスローガン。

 アメリカ郵便局員のモットー、出だしのところは「雨にも負けず」の雰囲気にそっくりです。ビナードさんも最初は「あれれ、アメリカの郵便局は、宮沢賢治をパクッたのか?」と思ったそうです。でも、「雨ニモマケズ」を辞書をひきひき読み進めていくと、「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲の束ヲ負イ」、、、おやおや、郵便局員の仕事とは違うようだなあ、、、、「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ」あれまあ、郵便局員をデクノボー呼ばわりしたら叱られるだろう。
 
 それで、アメリカ郵便局が「雨にも負けず」をパクッたのではないか、という疑いを捨てて、"Neither snow nor rain nor heat nor gloom of night,のほうを調べてみると。コピー元がわかりました。
 郵便局がパクッたのは、宮沢賢治からではありませんでした。
 賢治より2350年前のギリシャに生きた歴史家、ヘロドトスの詩句からでした。ギリシャ時代の歴史家ヘロドトスが書いた『歴史』の中の一節に、このスローガンの元ネタがありました。

 「この郵便局員のモットーは、ヘロドトスの『歴史』からのコピー、いや、コピーというより、本歌取りと言ったほうがいいでしょう」と、ビナードさんの説明。

 春庭は、ヘロドトスの『歴史』については、あまり知りません。学生時代にところどころを授業で読まされただけで、通読したこともなく、このヘロドトスによる「配達者の使命」についてまったく知らなかったので、ウィキペディアなどで調べました。

 ヘロドトスが書き記したのは「ペルシャ王の公道」という逸話です。ペルシャ帝国は、広大な領土に公道が整備されていました。王の道(Persian Royal Road)は、アケメネス朝ペルシア帝国の大王ダレイオス1世によって、紀元前5世紀に建造されました。王都スーサからサルディスに至る拠点ごとに宿駅が設けられ、守備隊が置かれていました。この公道によって帝国は交通と通信を迅速に行うことができ、領土を保全することができたのです。

<つづく>
05:36 コメント(2) ページのトップへ
2010年12月17日


ぽかぽか春庭「ヘロドトスと宮沢賢治」
2010/12/17 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>コピペ(5)ヘロドトスと宮沢賢治

 ヘロドトスはダレイオス1世が死んだBC486年の1年前BC485年ころの生まれですから、大王が建設した王の道がもっとも盛んだった時代に生きていたことになります。
 ヘロドトスが『歴史』を書いた当時、王都スーサから帝国遠隔の地サルディスまでの 2,699キロメートル(1,677マイル)を7日間で旅することができたと言われています。

 ヘロドトスは、「この公道を利用したペルシアの旅行以上に速い旅は、世界のなかでも他にはない」と記録しました。王都から地方へ王の命令を伝える伝達使たちは使命感を持ってこの王道を行き来しました。

 ヘロドトスは、『歴史』の中に、ペルシャの伝達使についてこう書いています。
 「雨、雪、暑熱、夜の暗さであろうと、託された任務を伝達使が最高の速度で達成することを妨げることはできない」
 このヘロドトスの言葉が、今日、郵便配送者の(非公式ではありますが)モットーとして使用されています。それが、ビナードさんが紹介したPostal Service Mission and“Motto”です。

 ここから、ビナードさんは、「宮沢賢治もヘロドトスを読んだことがあったのかも知れない」と感じました。賢治の蔵書目録や読書メモの類をすべて研究している人もいるだろうから、そのリストを見たり、賢治が生きていた時代に日本で入手できたヘロドトスの本を調べると、賢治がヘロドトスからインスピレーションを得たのかどうか、わかるかも知れない、と、ビナードさんは考えました。

 賢治の時代、ヘロドトスの『歴史』全訳は出版されていなかったけれど、「英語名言集」「独語名言集」の形でヘロドトスの著作からも抄訳が出されていたので、賢治が読んだことがある、という想像はまったくの見当違いとも言えない。

http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_Postal_Service_creed
 以上のページを参照して、ビナードさんが朗読した「郵便局ノモットー」をもう一度UPします。
"Neither snow nor rain nor heat nor gloom of night, stays these couriers from the swift completion of their appointed rounds"
(雪も、雨も、暑さも夜の暗がりも、われら配達人たちが配達区域に与えられた素早い任務の完遂をおしとどめることは出来ない)

 宮沢賢治の研究書は、ビナードさんに言わせると「馬に喰わせるほどある」そうですが、「雨ニモマケズ」とヘロドトスに関連した研究は見当たらず、おそらくビナードさんの「発見」だろう、ということです。

 賢治がヘロドトスの「ペルシャの配達人の使命」の詩句を知っていたかは、今後の研究で影響関係にあったかどうか、わかるかもしれません。もし、影響インスピレーションを受けたことがあったとして、賢治の「雨ニモマケズ」は賢治独自の創作としてすばらしいものです。ビナードさんは「ある文化の影響から再創造される文化」の例として、賢治と郵便局スローガンとヘロドトスを紹介したのです。

<つづく>
06:41 コメント(0) ページのトップへ
2010年12月18日


ぽかぽか春庭「インスピレーションと再創造」
2010/12/18 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>コピペ(6)インスピレーションと再創造

 ビナードさんが語る「ある言語からの再創造」に関する話題を、以前、春庭もカフェ日記に書いたことがあります。アーサー・ビナードの訳詞に関するコラム「大平洋の発見は何度でも」です。以下のページにあります。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/kotoba0702a.htm

 もし、賢治が「英語名言集」というような本の中でヘロドトスに出会っていたとして、それから直接インスピレーションを受けたというより、心の中にNeither snow nor rain nor heat nor gloom of night というフレーズが印象づけられ、後年にその一節が「雨ニモマケズ」という詩句に結晶したことは考えられると思います。

 春庭は、2010年7月に掲載した「日本児童文学における外国文学移入の受容と変容・児童文学の変形譚レミとネロの物語を中心に」(それにしても長いタイトル!)シリーズの第一回目に、宮沢賢治が担任教師から『家なき子』を翻案した「未だ見ぬ親」という物語の読み聞かせをしてもらい、そこから賢治童話への道が開けていったというエピソードについて書きました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d2246#comment
 宮沢賢治が「太一の物語」に翻案された「家なき子ネロ」を読み、それが後年の賢治童話の世界につながっていく。ひとつの言語文化が世界に広がり、インスピレーションの元となる。

 どうして、あまたの宮沢賢治研究者が気づかなかった「雨ニモマケズ」とヘロドトスの「王の道」の類似について、ビナードさんが気づくことができたのか。ビナードさんが日本語と英語の間の橋を渡ることのできる人だったからにちがいありません。

 ひとつの言葉が他の言葉と出会う。「ことばメガネ」のレンズによって、世界が広がることを、ビナードさんは講演で語りました。
 二つの言語の間を行き来するビナードさんによる「ことばと文字のおもしろさ」を伝える講演の要旨は、次回シリーズで紹介します。

<おわり>


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。