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アーサー・ビナード講演会2010年12月

2010-09-21 09:59:00 | 社会文化
2010/12/19 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(1)ビナードという名の発音

 12月9日に開催されたアーサー・ビナード(Arthur Binard)講演会。
 講演はとても面白く有意義なものでしたが、501人収容数がある東京外国語大学プロメテウス・ホールに聴衆は半分くらいで、もうちょっと宣伝をしてたくさんの人に聞いて欲しかったと思う講演でした。聴衆は、若い人はほとんどが外語大の学生でしょう。あとは中高年が多かった。ポスターなどで講演会を知った生涯学習マイブームといったふうな中高年と、「アーサー・ビナード大好き、おっかけオバサン」みたいな人たち。

 私も「アーサー・ビナード大好きオバハン」ですけれど、これまで講演を聴いたことはなく、本は『日本語ぽこりぽこり』と『日々の非常口』、『出世ミミズ』の三冊のエッセイ集を読んだくらいで、詩や絵本など他の作品を読んだことはありません。だから、熱心な読者というわけにはいかないのでしょうが、コラムの題材にしたくらいですから、大好きなことは他のおっかけオバサンにひけを取らない。
 春庭コラムを再度ご紹介。このサイト。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/kotoba0702a.htm
 
 本の扉の写真などで、イケメンであることはわかっていましたが、講演会場の前から2番目の席に座って眺めるビナードさん、想像していた以上にステキな方でした。9歳年上の姉さん女房、詩人の木坂涼さん、うらやましいな。ビナードさん、白いフリースのジップアップジャケットを着て、少年のような雰囲気を保っていて、43歳という実際の年齢よりずっと若い印象を受けました。

 舞台上手にホワイトボードがあって、それに書き込み、ボードを見ながら話したので、ずっと客席上手のほうを向いていました。客席上手側、前から2番目の私としては、私を見て話していてくれるような気がしました。キャ!
 正面を向いてキッと観客を見据えながらグイグイと押し込むようなスタイルがアメリカ人の講演っていう先入観があったせいか、なんだが、ハニカミ王子のように見えました。

 ビナードさんは、ミシガン州デトロイト出身。親戚一同みなデトロイトで自動車産業に関わって生活していた、と自身のバックグラウンドを紹介していました。
 講演の最初は、名前のスペルの紹介から。先祖はフランスから来たということです。フランスで15~16世紀に建てられた教会の、立て直しのための寄付者名簿が残されていて、その中にS・Binardの名が書かれていたので、Binardがフランスの名であることは確かだけれど、アーサー・ビナードさんの出自には、フランスやアイルランドなどさまざまな土地が関わっているそうです。

 Binardという姓がアメリカ人に「ビナード」と発音してもらえることは少なく、たいていは「バイナード?」「ビナール?」などとと呼ばれてしまう。英語では、発音と文字に一貫性がないから、いろいろな発音に読めるのです。

 英語(アングロサクソンの言語)はもともと文字を持たない言語で、ラテン文字であるアルファベットを当てはめて綴ることになったので、表音文字とは言っても、英語の文字と発音に乖離があります。一方、ラテン語の子孫イタリア語やスペイン語は、ラテン文字(アルファベット)の綴りと発音が一致しており、アルファベットをローマ字式に読んでいけばよい。
 ビナードさんの表現によれば、イタリア語や中国語は整然と切石で舗装された道に思えるのに対し、ひらがなとカタカナと漢字が使われる日本語や、発音と文字が一致していない英語の表記はデコボコ道を行くがごとし。

 ビナードさんは、デコボコ道を一歩一歩自分の足で歩くことがお好きなのだとお見受けしました。現実生活でも、日常愛用の交通手段は自転車と歩くこと。車や電車は必要最低限にしか使わないのだそうです。

<つづく>
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2010年12月21日


ぽかぽか春庭「英語と日本語ふたつの言葉で」
2010/12/21 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(2)英語と日本語ふたつの言葉で

 ビナードさんは、1967年生まれ、1990年に来日してから20年になります。
 大学では英米文学を専攻し、在学中にイタリアに留学してイタリア語を、そしてインドに行ってタミル語を学びました。卒業論文執筆中に「漢字」と出会い、表意文字のおもしろさに惹かれました。中国か日本へ行ってみたいと、中国語や日本語のクラスに参加してみました。

 ビナードさんの印象では。文字表記の面で、自前の文字を使う中国語はラテン文字を使うイタリア語に近い。日本語は中国の文字を取り入れて自国語の表記にした点で、ラテン語の文字を借用してアングロサクソンのことばを表記した英語に似ている。それで日本語のほうを学ぶことにしました。

 一般のアメリカ人は英語以外の言語を学ぼうとしない人が多く、日本語に出会うと母語とまったく違う言語に戸惑います。でも、ビナードさんは日本語に出会う前にイタリア語を学んだことがあった。これは、日本語と同じ5母音で開音節の発音体系を身につけていたということです。タミル語を学んだ経験は、日本語の統語法(詞の並べ方シンタクス)になじみができていたということ。タミル語の文法と日本語は両方ともSOVの語順で、似ているからです。ビナードさんにとって、日本語は「なじみの言語」に感じられただろうと思います。

 ちなみに、日本語と似ていることばの並べ方をするのは、朝鮮韓国語、モンゴル語、トルコ語、タミル語など、世界の言語の半分は、日本語と同じタイプ。英語は世界の中でもかなり特殊な文法を持つ言語であり、世界共通語にするには向かない言語です。しかしながら、現実は英語が世界共通語に成ってしまっており、会議などでは英語が使用されています。19世紀の産業革命におけるイギリス覇権、20世紀の軍事と情報におけるアメリカ覇権により、言語の上では英語が世界の覇権言語となってしまった。

 世界の言語は、SOV、SVO、OSV、VSOなどの語順をとる言語がありますが、日本語と同じSOVの語順がもっとも多い。でも日本人は外国語として欧米語を習う人が多いので、日本語以外はほとんどSVO「私は食べるパンを」方式が多いと思い込んでいますが、実は日本語と同じ「私はパンを食べる」方式のほうが主流派です。

 「日本語を勉強するのってたいへんでしょう?漢字や仮名があって、とよく日本人にたずねられますが、全然!もっとお願いします!と言いたいくらい。なんなら、第三のかなを作ってもいいくらい」というのが、ビナードさんの日本語観。
 「雨ニモマケズ」を読んでいて「イツモシヅカニワラッテヰル」の「ヰ」が読めなくて困ったというビナードさん。第3の仮名を作らずとも、変体仮名はいかがでしょうか。現代では変体仮名をすらすら読める日本人は少ないので、ビナードさんには変体仮名の影印本や古文書をスラスラ読める人になってほしいな。

 私?スラスラなんて読めませんとも。先日卒論執筆中の息子に歴史資料の中の変体仮名の読み方を聞かれました。数字の「5」の左側の縦棒を下まで長く伸ばした文字。「文脈から言うとヨリと読むはずなんだけど、確信ないんだ」というので、変体仮名サイトを開いて見たら、「ヨリ」で正解でした。

 ビナードさんがアメリカの大学で、卒論執筆から日本語に興味を持ち日本語を学ぶことにしたと述べると、ある教授から反対されました。大学院入試を受けた後、C教授から「今から日本語を学んでもモノになるはずがない、日本へ行ってもにムダになるだけだから、やめておけ」と、言われ、「それなら絶対に日本語をモノにしてみせる」と決意。ビナードさんは、大学院には行かずに日本へ行くことにしました。
 このC教授はエズラ・パウンドの研究者で、今では、日本へ行く決意を固めさせてくれたこの先生の感謝している、と付け加えていました。

<つづく>
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2010年12月22日


ぽかぽか春庭「スパイダープラントと折り鶴蘭」
2010/12/22 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(2)スパイダープラントと折り鶴蘭

 名前の話。ビナードさんの友人の一人はBowlesという姓です。でも電話で「ボウルズです」と名乗ると、相手は同じ発音の「bowels」をイメージして、クスリと笑う。「bowels」は、「大腸&大腸の中にあるうんこ」を意味するから。

 そんな笑い話を枕に振って、ビナードさんの講演が続きます。落語家三遊亭円窓の元に「一日弟子」として入門して稽古をつけてもらった経験もあるというビナードさん、話術も巧みでした。とても誠実な話しぶりで「日本語が上手なことをイヤミに感じさせることのない話し方」がよかった。
 名前の文字と発音について話し、英語の表音文字はスペイン語やイタリア語とは異なり「発音と文字の結びつきがゆるい言語であり、出来の悪い言語である」ことを聴衆に伝えるにも、うまく笑いにのせて語っていました。

 さらに、自分の先祖はフランスの出であり、ルーツはヨーロッパであることなどをさりげなく伝える。日本人聴衆は、「自動車産業の申し子であるデトロイト生まれのアメリカ人」には機械産業の勢いを感じ、「古い伝統を持つ家系」には古い文化が背景にあると思い安心するメンタリティを保持しているってことを、計算済みとみえました。ここらへんは、木坂涼さんのアイディアも入っているかしら。

 通路を隔てた隣の席のオバサンは、私より年期の入ったビナードファンらしく、歌舞伎の大向こうよろしく、ここぞというときに大声で笑っていました。ビナードさんのユーモアのある語り口、隣のオバサンといっしょに、遠慮無く笑いながら聞きました。あれ?、私のほうを見ていてくれると感じたのは、実はこの笑い声の大きさに注意が向いてこっち見てたのかな。
 
 ビナードという名前紹介の次が、「コピペ」シリーズで紹介したとヘロドトスと「雨ニモマケズ」の類似についての話です。
 雨ニモマケズの次に、ビナードさんは「言語にはコミュニケーションツールとしての役割もあるが、それ以上に、世界をみるレンズとして言語の存在がある」という話を続けました。

 母語と異なる言葉を知ることは、異なる見方に出会うこと。ビナードさんは、いくつかの言葉を例にあげて、異なる表現方法を知ることにより、同じひとつのものを表すそのものへの見方が変わることを紹介しました。

 スパイダープラント(spider plant クモの植物)という観葉植物があります。(学名はChlorophytum comosum)。

 ビナードさんは、この葉っぱ四方八方に足を伸ばしているような葉を見ると蜘蛛をイメージしてきました。ところが、日本に来て、花屋の店先でこの観葉植物に「折鶴蘭オリヅルラン」という名がつけられているのを知って、この観葉植物への見方がすっかり変わった。ほんとうに折り鶴の姿のように思えたのだそうです。


<つづく>
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2010年12月23日


ぽかぽか春庭「泥のイメージ」
2010/12/23 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ビナード講演会(4)泥のイメージ

 ビナードさんの講演の中で、その他印象に残ったことば。
 「泥」という語のイメージについて話が続きました。泥まみれ、顔に泥を塗る、泥棒,,,,,泥が付く言葉によいイメージの言葉は少ない。しかし、ある体験で「泥」へのイメージが一変した、とビナードさんは語ります。

 ビナードさんは、日本びいきの外国人に多いように、和食を偏愛しています。毎朝ご飯。でも、20年も日本に住んでいて一度も田植えをしたことがなかった。
 機会があって、ビナードさんは、知人といっしょに「完全手植えの田植え」を体験することができました。

 泥田に入って、用意の苗を泥の中に植え付けていく。植える前の苗は「物体」であったのに、泥の中に差し込んで苗が自力で立つようにしてやった途端、苗は「モノ」ではなく、「生き物」になる、それがとても不思議な感覚だった、とビナードさんの田植えの感想。

 ああ、いいな。こういう感覚を持っているから詩人をやっていられるんだなあと思います。そうだよね。田の中に立つ苗は最初はひょろひょろと頼りなさげに見えますが、ちゃんと「稲の赤ちゃん」になり、水を飲み、根を張る。お日様を吸い込み、ぐんぐん育つ。泥は、稲の赤ちゃんを優しく育むゆりかごです。

 苗が「モノ」から「生き物」に変わったように、「泥」のイメージがすっかり変わったことにも驚いた、と、ビナードさんは語りました。
 「泥」は決して汚いものではありません。田の泥は稲の赤ちゃんのベッドだし、人の足をやさしく包む。お日様の光を含み、どじょうやザリガニを含む生き物の床なのです。実際に田植えをしてみることで、いままで「汚れもの」であった「泥」という一語のイメージがすっかり変わった、とビナードさんは言います。

 そう、言葉は観念でイメージしたらその本質はわからない。自分で触り、自分で味わい、自分で手の中に包み込まなければ、言葉のほんとうの意味は実感できません。現代の人々がパソコンの情報やケータイだけで物事を済ませようとするなら、いつか言葉たちは私たちの手の中からこぼれ落ちてしまうでしょう。

 ビナードさんは、この「ことばの実感」を持つには、「言葉に依存しないことだ」と言います。「泥」という一語を、言葉として知るだけでなく、泥の中に足を入れ、実感として泥を味わうこと。幼稚園保育園などでどろんこ遊びや泥団子作りを大切な保育活動にしている園があります。私も公園で砂遊びやどろんこ遊びを子供といっしょに楽しみましたが、泥や砂と戯れることは子供の成長にとって大切なことだったんだなあ、と今になって振り返っています。

 さまざまな出来事を言葉や文字、本の中で知るのもひとつの経験です。しかし、それは実体験、実際の経験に裏打ちされるべきもので、泥というのものを見たこともなくさわったこともないのに、「泥」をことばだけで「泥まみれ」「泥水稼業」「泥仕合」「泥臭い」などと使ったのでは、「泥」がかわいそう。

<つづく>
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2010年12月24日


ぽかぽか春庭「ホットケーキできあがり」
2010/12/24 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(5)ホットケーキできあがり

 実際にものにふれ、物事の成り立ちを実感させなければならないということは、ビナードさんの信念です。これを子供に教えなければならないと考え、ビナードさんはエリックカールの「ホットケーキできあがり」を紹介しました。1970年のエリック・カール作品を2009年にビナードさんが初邦訳として出版した絵本です。

 出版社の絵本紹介によると、こんなお話。
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 朝一番に「きょうは、でっかいホットケーキがたべたいなぁ」と思ったジャック。でも、すぐには食べられません。ホットケーキにありつくまでには、たくさんの仕事が待っていました。まずは小麦を刈りとり、脱穀して粉にして、卵をとってきて、牛乳をしぼって、、、、身近な食べ物が口に入るまでの過程を、エリック・カール独特の色あざやかな絵で生き生きと描いた絵本。
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 ビナードさんは、エリックカールの絵本を紹介しながら、「これだとホットケーキ食べたいと思ってから食べられるまでに1ヶ月以上はかかります」と、笑わせます。
 すべてのことを自給自足で何でも自分でやらなければいけない、となったら、現代社会では生きていけないかも知れないけれど、食べ物がどうやって口に入るのかという基本を全く知らない子ばかりになったら、社会が変容してしまうのもわかる。「ホットケーキ食べたい」とママに一言いえば、すぐにバターをたっぷりのせたホットケーキが出てくるのは幸せな子供のようでいて、実はそうじゃない。

 「ホットケーキ」という言葉を簡単に操るのではなく、ひとつひとつを実感しながら、粉をふるい、鶏小屋から集めてきた卵や乳搾りをして牛さんに分けて貰った牛乳と混ぜ、いろんな人がいろんな形で一枚のホットケーキに関わっていることを知って食べる子がいたら、その子は「お手軽簡単ホットケーキ」をチンして食べる子よりずっと幸福です。自分で小麦の刈り取りやバター作りを汗水流して体験してから食べられるなら、どれほど幸福な子供でしょう。

 「言葉に依存しない」と、ビナードさんが言う内容、よくわかりました。実体験実感を伴わない言葉は空疎になるばかりです。
 詩人ビナードさんは、ことばの本質を見事にすくい取って私たちに教えてくれました。


 モノは言葉を持ち、言葉はイメージを作り上げる。
 ビナードさんは、これら、母語とは異なる言葉のイメージ転換を子供の目を通して描いた絵本を出版したところです(2010年11月刊)。ビナード講演の中盤は、この絵本の紹介が続きました。『ことばメガネ』という絵本です。

 ビナードさんの経験した英語から日本語への「ものの見方の転換」をモデルに、日本語を母語とする少年が英語を知ることによって、語へのイメージを変えていく、というお話です。アーサー君の分身のリュージ少年がことばを見直します。日本語を話す少年が「えいごメガネ」という不思議なメガネをかけることによって、物の見方を広げていくようすを絵本で表現している作品です。八百屋の店先で、ナスが卵に変身してしまうのは、ナスは英語では「eggplant卵植物」と呼ぶから。横断歩道は縞馬になってしまいます。英語ではzebra zone, zebra crossingというので、zebraシマウマの身体の上を渡っていくイメージになります。

 最後のページでは、リュージ少年は、英語メガネだけでなく、イタリア語、タミル語、スワヒリ語、トルコ語、、、、、、、さまざまなメガネの中にいて、いろんな言葉のいろんな見方を知ることが出来そうだ、というところで絵本は終わります。


<つづく>
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2010年12月25日


ぽかぽか春庭「所有格「の」ハッピーホリデイ」
2010/12/25 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(6)所有格「の」ハッピーホリデイ

 私は、ポワポワと綿毛が飛んでいく「たんぽぽ」というかわいらしい名前の花が、英語では「dandelionダンデライオン=ライオンの歯」といういかめしく強そうな名になってしまうことを知り、「英語を使う人は、どうしてこんなかわいい花からライオンをイメージするのだろう」と、不思議に思ったことがありました。もともとdandelionというのはフランス語からの直訳なのだそうですが。それともフランス語だと「ライオン」というのは日本語の獅子とは異なるイメージなのかしら。

 今までの自分が気づかなかった見方、考え方を知ることは、世界を広げ、自分を広げていくこと。母語ではない言葉を知るのは、「コミュニケーションの実用」だけを目的としてしまったら、「母語話者から見たらしょせん二流の話し手」に過ぎない自分を発見するだけに終わります。

 「そうじゃない。異言語を知ることは、自分を知ることなんだ、世界を知ることなんだ。」「多言語教育」のメッカのような外語大総合文化研究所と図書館との共催講演会だから言葉の大切さについて強調したのだということではなく、ビナードさんのいつもの信条をかたってくれたのでしょうが、ビナードさんからの「言語教育を仕事とする者へのエール」のような言葉を聞くことができました。

ビナードさんは、講演の最後にふたつの詩を読んでくれました。「摩天楼の建設」という英語の詩と「の」というビナード作の日本語の詩。「摩天楼の建設」は、またのちほど紹介したいと思います。今回は「の」という詩について。

 ビナード作の「の」という詩は、所有を表す言葉について。英語の「’アポストロフィ」と日本語の「の」を比べて、ビナードさんはこう感じました。
 「’」は「鉤」なので、所有物を引っかけたら決して落とさずに所有し続ける。個人のものは個人のもの。一方、日本語の所有格「の」は所有物を所有者につなぐけれど、ころころと丸まって転げていってしまうイメージ。

 所有格についてのイメージは、春庭も同じような感覚を持っていました。私のものはひとつ転がればあなたのもの。ころころと転がっていけばみんなのもの。

個人と所有物をかっちりと結びつけるアポロストフィS。Obama's carといえば、オバマが所有する車。一方、ゆるい所有の「の」。オバマが所有している車は「オバマの車」ですが、所有以外の意味にも使われます。アメリカで製造された車は「アメリカの車」、「車を製造する」は「車の製造」、大統領であるオバマは「大統領のオバマ」。「の」は、所有だけでなく、なんでも結びつける。
 しかし、「の」についてころころ転がっていくなんて発想をしたことはなかったので、日本語についてのイメージが広がった気分がして、とても嬉しい。

 所有することを表す所有の格助詞「の」
 「の」は、ころころ転がっていく。私のものはみんなのもの。みんなのものは私のもの。分かち合えば、「の」はどんどん転がっていって、人々をつなぐに違いない。

 私のアナタの彼のビナードのホットケーキの牛乳の牛の首のベルの音の響きの流れの時間の中の私。
 アーサー・ビナードに感謝。

 25日はクリスマス。「クリスマス」という外来語は、すでに日本語であり、多くの人にとってこの語にまつわる思い出やイメージが共有されています。言葉も誰のものでもなく、誰もが所有でき、誰もが独自のイメージを抱くことができます。

 クリスチャンにとってはイエスの降誕を祝う日ですし、キリスト教布教以前のヨーロッパ社会や、アジアその他の地域にとっては、太陽がもっとも衰えた後、復活していくのを祝う「冬至祭り」の日です。北半球のほとんどの地域がこの「太陽の復活」を農耕の祭りに取り入れています。冬至祭りのキリスト教的変形がイエス降誕祭。もともとは冬至の祭なのです。(今年の冬至は22日でした)

 皆々さまに「太陽の復活祝い」の喜びの気持ちを送ります。ハッピィホリデイ!メリークリスマス。祝!おひさま復活。おひさまの光と暖かさは誰のものでもなくて、誰でもが所有できます。

<おわり>



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