Ninbuのスマホで撮った花だって美しい!

サイクリング・テニス・散歩等の道すがら、公園・野原・湖畔・川辺等で見つけた美しい花をスマホで撮っています。

”ひょうたん”にびっくり!

2017-09-23 | 
先日、私がいつも行くテニスクラブの駐車場で”ひょうたん”を見つけました。
私の記憶では、ひょうたんが木になっているところを見るのは、実に40数年ぶりです。
当時は、夏の日よけとして、青葉にひょうたんの実が下がる光景は、日本の夏の風物詩でした。



ひょうたんは、古くからとても縁起の良いものとされ、お守りや魔除けとして用いられてきました。
また、蔓が伸びて果実が鈴なりになる様子から、家運興隆・子孫繁栄のシンボルともされます。



ひょうたんは大きさにより、ミニひょうたん、千成、百成、中成、大成などの種類に分かれます。
他に立姫、鶴首、ダルマなどの変形したものもあります。

ミニひょうたん(ぐんま愛ひょう会の作品展より)



大長ひょうたん(ぐんま愛ひょう会の作品展より)



千成ひょうたん(ぐんま愛ひょう会の作品展より)


千成ひょうたんで思いつくのは、豊臣秀吉の馬印ですね。
秀吉は合戦の馬印として千成ひょうたんを使用し、天下を取りました。
その発端は、美濃の斎藤竜興攻めだったと言います。

長浜町人の家に伝わった豊臣秀吉公像(長浜城博物館所蔵)


主君・織田信長が、稲葉山城(岐阜城)を攻めていた時のこと。
少数の部下を連れて裏口から城内に忍び込んだ秀吉。
その作戦の成功を城外の味方に知らせるため、酒器に使っていたヒョウタンを竹の先に結んで、高々と掲げました。
戦に勝利した信長は「ヒョウタンの印は面白い趣向だ。馬印に用いよ」と大いに喜んだといいます。
以来、秀吉は戦に勝つごとに小さなヒョウタンを一つずつ増やし、やがてこれが千成瓢箪と呼ばれるようになりました。



秀吉は姉川合戦の後、その功によって湖北三郡を与えられました。
その後、小谷(湖北町)から琵琶湖に面した今浜(現 長浜市)に城下町を移しました。
そして、地名を長浜と改め、ここに城を築いて数年間居城としました。

長浜城(昭和58年:1983年 復元)



秀吉がはじめて自らの城を築き、城下町を形成した地である滋賀県長浜市。
今でも、長浜市の市章はひょうたんをデザインしています。


また、ひょうたんをあしらった橋の欄干なども、市内のあちこちで目にすることができます。
ひょうたん愛好家の全国組織である全日本愛瓢会の本部も、長浜市内に置かれているそうです。

長浜駅東側の架道橋



千成ひょうたんのお菓子もあります。(両口屋是清)
どら焼きの中に紅粒あんが入っています。
ふんわりとしっとりしていますが、きめは粗めでカステラのような感じです。
両口屋と言えば全国のデパ地下に大抵は入っている名古屋を代表する名店です。



最後は懐かしい”ひょっこりひょうたん島”の歌をお聴きください。(1分53秒)
1960年代、NHKで5年間にわたりカラーで1244話作られ、絶大な人気を誇った人形劇です。

ひょっこりひょうたん島  鈴木 福 & 谷 花音