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スサノオⅢ.埼玉県【氷川神社】須佐之男命と【女体神社】

2022-06-11 | スサノオ

【氷川神社】埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407

武蔵野国一之宮で、全国約280社の氷川神社の総社。

 

ご祭神 須佐之男命   創建 2000年前

出雲の国、杵築大社(出雲大社)を遷し、氷川神社の神号を賜ると伝わり、出雲の斐川が語源と云われる。

 

氷川神社より東南に8キロ、さいたま市緑区にある氷川女体神社に妻神の櫛稲田姫を祭っていて、氷川神社が【男体神社】であり、氷川女体神社と二社で武蔵野国一宮とのこと。

 

 

氷川神社と氷川女体神社の二社を結ぶライン上の真中にお二人の御子、大穴牟遅を祀る(大国主命)簸王子社の中山神社があり一直線に配置されている。

『氷川レイライン』と呼ばれるパワースポットだ。

 

夏至に氷川神社から陽が沈み、

冬至に氷川女躰神社に陽が登る。

 

拝殿

 

 

広い境内には、宗像神社、松尾神社、稲荷社など摂社が点在している。

 

【宗像神社】

天照大神とスサノオの誓約により生まれたという、スサノオの娘・宗像三女神を祭る。(多紀理姫、多岐都姫、市杵嶋姫)

 

 

 

 

【蛇の池】

日本神話

スサノオは高天原を追われ出雲に流れ着いた。そこで姫をヤマタノオロチに差し出さねばならず困っている出雲一族に出あう。スサノオは、ヤマタノオロチを酒に酔わせて討ちとり、出雲族の姫・櫛名田姫を無事に助け二人は結ばれた。

ヤマタノオロチ『八頭の蛇』の尻尾からは剣が出てきた。

『天の村曇の剣』といい、後に和国の天皇家に伝わり三種の神器のひとつなる神剣となる。ヤマトタケルが火難に遭った時、この神剣で前の草を薙ぎ払い生還してからは

『草薙の剣』と呼ばれる様になった。。

氷川神社の「蛇の池」は、スサノオが蛇(オロチ)を退治したという故事にちなみ名づけられたという。もともと水が沸き出ていたこの場所に神社を建立し、今でも水が沸いているという神聖なスポットだ。

(湧水地であり原始の氷川祭祀の対象で、霊験あらたかな泉を「氷川」と言うのでそれが社名となったという説もあり)

 

池の近くへは入れないが、拝所までも静謐さが漂う。

この辺りだけ異世界に入りこみ、切りはなされた別空間のように静かだ。

 

 

【氷川女体神社】さいたま市緑区宮本2-17-1

ご祭神 櫛稲田姫(スサノオの妻神)美穂津姫・大己貴命

 

氷川神社【男体神社】と氷川女体神社で、武蔵野国一之宮。

氷川女体神社の正面、参道側に進むと磐船祭祀遺跡があり、かつて御船祭りが行われていた頃は、4本の竹を立てその真ん中へ船で向かったという。

御船祭 → 磐船祭(江戸) → 祇園祭(昭和)→ 祇園磐船龍神祭(平成17年~)見沼の干拓後も、名や形を変えつつ祭祀は継承されてきたらしい。

 

氷川神女体社前の【宗像社】

こちらの先に、磐船祭りの遺跡がある。


氷川女体神社は武蔵国有数の古社で、見沼の谷にぽっこりとある古墳の様な小高い丘にあり、神社の所蔵品が多く「埼玉の正倉院」とも呼ばれているらしい。

中国道教の荒神信仰と結びついた。三寳荒神(仏、法、僧)と三宝荒神(火、土、水)のお札も売られていたので買ってきた。


『ひぬかん(火の神)』と言い台所に御安置して、沖縄では毎月15日になると祀っているお宅も多い。

 

 

氷川神社   主祭神 須佐之男命

氷川女体神社 御妻神 櫛稲田姫

二社で武蔵野国一之宮(一の宮=その地域で一番の社格の神社のこと)と云われている以上、夫婦相神をわざわざ別々の場所に祭っていたというよりも、もしかすると氷川レイラインはさいたま市大宮区という地名のとおり本当に、差し渡し8キロもある大きな宮だったのかもしれない。

古代でも九州の『伊都国』の様に25㌔区画の王都もあり、8㌔でも在りえなくはない…🤔

現在の氷川神社も参道の長さは日本一で、一の鳥居から2キロの参道が続いている長大なお宮だ。

 

平安末までは埼玉県あたりまで海が深く入り込み、沼や川も一帯に広がっていた。江戸時代に干拓もあり、現在は、加賀沼、印旛沼などが利根川周辺に残るのみ。

以前は上陸地に近い場所だったと思われ、見沼という沼があった場所に祭られている。

 

古代↓ 

まるで「関東が水没するとこうなります」というハザードマップの様だ😮

 

氷川神社系は、見沼への海(埼玉)
から多摩川の海(神奈川)の中継地点に鎮座されてる様です。

そして、香取海の方へ湾に沿って広く点在している。

現在の茨城と千葉、香取海は今は利根川という川になり、川の対岸には鹿島神宮と香取神宮が残り、かつては香取海を囲む州の崎であったと思われる場所には氷川神社が多くあり、日川という地名も残る。

 

氷川神社は海神・須佐之男命を祭る聖地✨

船魂様(女性神)との繋がりが色濃い。

 

次は、いよいよ出雲へ⛩️✨✨✨✨

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

多摩川沿いの川崎には女体神社があり、上流に馬絹神社(女体神社を合祀)があります。

女体神社は必ずしもスサノオ様の妻神「櫛稲田姫」を祭っている訳ではありません。しかし、船にかかわる女神様を祭っている様で、海神・スサノオとの繋がりも少し感じます。

 

【馬絹神社】

 

船魂様は女性神なので、女体神社が流域沿岸に祭られているのも頷ける。


今でも、東京湾を見守る様に千葉・神奈川沿岸にも観音さまが沢山祭られている。

荒波を超えていく船乗り達にとって、女神さまとは航海の安全を祈り感謝をする守護者だ。

季節と海流を知り、方角と夜空の運行を知り、どのような熟練者や大船や構造船であっても嵐と遭遇するかしないかの「運」だけが問題だった。

遥か水平線に目を凝らし、海と空の色の変化を発見した時には、既に台風回避は間に合わない。

僅かな風の匂い、湿気、温かさ、気圧など微妙な変化を五感で感じとり予測をし、どこかの小島を見つけてやり過ごすか、それでも安全とは言えず、

結局最後は祈るしかない。

船乗りの海の女神様への信仰は強い絆で結ばれている。

 

海の女神さまは、神功皇后や宗像三女神、月読、弟橘媛、媽祖、など様々で

海の氏族によって祭ってる神様は違いがありそうだが、系譜でいうと

女体神社が一番古いように思える。

 

船魂様

船魂様 猿田彦の化身と書かれているが漢服と両袖に両手を通した中国人の姿で描かれているのが印象的だ。

海の女神は、中国の海の女神・媽祖さまは弟橘媛と合祀されたり

弟橘媛さまは女体神社へ合祀されたりなど習合が繰り返されたようで、

今回のスサノオ様を巡る旅も、最初は中華街の媽祖さまと女体神社からがきっかけだっだ。

神社の習合の歴史は別として、大海原に命をかける男達は操船技術や船の性能がどんなに優れていても、結局は嵐に遭遇した時の【運】が全てを決める事を知っている。なので皆、洋の東西を問わず、どんな些細な縁起や祈りも、迷信せえも大切にする。遣唐使船の乗船者も、その返礼使の中国人も、どちらかの女神を排除するという事もなく、それぞれの女神に航海の安全の祈りを捧げていたのだろう。

 

川崎【女体神社】

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

日本神話の高天ヶ原で、スサノオは、天照大神とウケイを行ない宗像三女神を生み出した。しかしその後、乱行を行ない高天ヶ原を追放された。

スサノオは、さすらの身となり流浪し、やがて出雲に流れついた。

そこでヤマタノオロチに姫を差し出し隷属に悲しむ一族と出会い、これを退治し、姫である櫛名田姫と結ばれる。

やがて時が経ち、

大己貴命(大穴牟遅)がやってくると、絶対絶命の穴に追い込み試練を与えるが、スサノオの娘であるスセリ姫が裏でこれを助けた。

二人はスサノオから神器『十種宝』を盗み出し逃げる。スサノオはこれを追うが、諦め

『天をつく大きな社殿を造り、お前が大国主となれ!』

と、最後に言い放つ。

大穴牟遅は、その言葉どおり壮大な社殿を建立し、知恵者の少彦名命の協力を得て国造りを行ない【大国主】となった。


スサノオ様は数奇な運命を辿った人だ。

前半生が黒歴史で、後半生は別人の様な道を生きている。


(まるで波乱万丈な私の人生の様😅)

紀伊半島には、スサノオが来て木を植え『木の国』を開いたといった伝承が残る。この木の国=紀の国の誕生のエピソードは、紀元前に始皇帝の命令で徐福が日本列島にやってきて紀伊半島に上陸し、まだ日本にはなかった中国原産の梅や蜜柑などを植樹したという説と重なる。

スサノオが方方と関わりを持ったという伝承は幅広い。

スサノオの跡を継いで『大国主』となった大穴牟遅だが、最近は「大国主」とは固有の名称ではなく称号であり、
初代スサノオから、大国主の称号を受けた大穴牟遅や、大物主大神、何人かの存在の象徴であると見る向きが強い。

大物主、八千矛、葦原シコオ、宇都志国魂など多くの名を持ち、多くの妻と

70人の兄弟がいて、150人の子がいたという事を考えれば充分あり得る話しだと思う。

何より、古事記の系譜を見た方は誰もが『謎』につまづくと思うが、

スサノオの娘、多紀理姫、多岐都姫、スセリ姫を、

スサノオの六代孫の大国主命が娶っている事だ。

スサノオ三女神の末妹、市杵島姫は、

スサノオを高天原から追いやった天照大神の孫(或いはその義父)天火明命と結婚しているので、年代的にはなんとか収まる。

 

須佐之男命様の一族は、広く、そして何やら複雑だ。😵‍💫

 

 

【石上神社】氷川女体神社境内 

小さな祠だが氷川女体神社の境内に石上神社があった。石上神社は物部氏の氏神。

ご祭神は

熊野で、高倉下が神武一行を助けたとき献上した「布津御魂の剣」の

布津御魂が祭られている。

布留御魂は十種宝。紀伊半島のスサノオとの繋がりを感じる。

 

布津斯御魂は、出雲でスサノオが、八岐大蛇を退治した時の剣。

 

物部氏の「物」とは、武器・鉄器のことで、古代日本で、武器を扱う部族だったのが物部氏だ。

もののふ・ものものしい・もののけ等の語源)

 

氷川女体神社拝殿裏 もののけ道😑

 

物部氏の始祖は、饒速日尊(ニギハヤヒ)だ。

ニギハヤヒは、熊野で神武一行と敵対したアラハバキの姫を娶っていた。

しかし、

ニギハヤヒ=天火明命という説があるが、天火明命はスサノオの娘・市杵嶋姫を娶っているので、スサノオの義理の息子という事になる。それだとまた世代が合わなくなってしまう、🤪アラハバキと戦った神武はスサノオの5世代後の存在だ。

何れに

せよ、神武が熊野で奉じたという『十種宝』は、もともとはスサノオ→大国主命の手元に王の神器としてあったものなのだろう、、

スサノオ様だけでなく、周囲の神々も何やら謎が多く

暗示的な存在だ、、理解するのに深掘りするのは

まだまだ時間がかかりそう😌🙏

 

世異なる国 日本✨



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