新沼健 日々独言

映画・ドラマの感想、美味しかった料理、街歩き、世相に関する私の考えなどを書いています

みちのくひとり旅 1 「おさとうやま」がある!!を知る

2022年12月17日 05時48分13秒 | 街歩き
▲「おさとうやま」からの眺めと佐藤さん


おはようございます。

一昨日、仙台より無事東京に戻ってきました。

以下は「おさとうやまを目指した、みちのくひとり旅」の顛末です。

毎年恒例になっている日本テレビの番組に「24時間テレビ」があります。

今年はJの「ジャにのちゃんねる」メンバー4人が司会進行を務めるということで、家人が24時間に亘って番組をフル録画し、10日ほどかけてその視聴に付きあう、という、ある意味、とても貴重な体験をしました。

番組の1コーナーで、東日本大震災で苛烈な被災体験をした当時の小学生が、避難所で婦人警官に声がけされて勇気をもらい、自分もそのような婦人警官になる、と決意した、と、今は大学生のその子を取り上げていました。

再現ドラマがあまりに現実離れした苛烈さであったので、本当にそんな事があったのか確認しようと、「東松島市」、「震災」、「津波」などをキーワードにググってみると、「おさとうやま」という一つのエピソードを発見することが出来ました。

チリ地震による東松島市近隣の津波被害を見て、地球の裏側で起こった地震でも日本で津波が起こる、日本のすぐ
側で同じ規模の地震が起こったらどんなひどい津波が襲ってくるんだろう? そう危機感をもった一人の民間人がいました。

その人が、佐藤喜文さんです。

佐藤さんはタクシー会社を経営していることもあり、津波が襲ってきた場合、お客様をどこに安全に避難させることができるかと常に考えていたそうです。

行政に相談するも、東松島市には津波は来ない、そう言われまともに取り合ってもらえなかったのです。 実際、チリ地震津波の時は、近隣の塩釜などではかなりの被害がありましたが、幸い、東松島市にはほぼ被害がありませんでした。

佐藤さんは65歳になった日に、会社を息子さんに譲り、退職金で家の裏手にある小高い丘を購入し、私設の避難所を作ることを決意しました。

以来、佐藤さんは全て資材を自費で購入し、我が身で丘に担ぎ上げ、小屋や避難所を作り上げ、食料、飲料水の備蓄をはじめました。

そして2011年3月11日、地震と大津波が東松島市を襲いました。

東松島市では千人を超える死者が出てしまいましたが、「おさとうやま」では周辺から逃げてきた住民70名がその生命を救われました。

参照した資料を見る限り佐藤さんはまだ存命であると知り、取るものとりあえず「おさとうやま」を目指しました。

家人に同道をお願いしましたが、「寒そうだし、たくさんの方が亡くなったところは嫌だ」ということなので「みちのくひとり旅」に出発しました。

つづく



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