ちょっと前のテレビで、何回も何回も整形している女の子が出ていた。テレビを見ていたほとんどの人が「整形なんてする必要ないよ」と感じていたに違いない。
その女の子の本当の問題は、顔・ルックスのまずさではなく、「容姿が綺麗になれば幸せになれる」と考えてしまうメンタリティーにある。
経済活動には効率性が重要である。
しかし、日本の場合、その効率性の重要性があまりにも全面に出過ぎている。つまり、できるだけ速く結果にたどり着くのが正しいという思想が、浸透しすぎているのである。
例えば、学問の習得は、確かに効率性も必要だが、それだけでは説明できない部分が多い。
内田樹氏いわく、できるだけ少ない時間の勉強で、いい大学に行こうとすることは、できるだけ馬鹿の状態で、できるだけいいブランドの大学に入るゲームであると言った。だから、そのゲームをやると、馬鹿であるほど優秀と褒め称えられることになる。
確かに、試験に出る問題以外、無駄な勉強をしないのだから、馬鹿といえば馬鹿である。
学問は、そもそも何が役に立つのかわからない状態で、やるのが本来の姿である。だから、無駄なことを出来るだけ深く知っていたほうがいい。そのような観点から学問やろうと思ったら、効率性とは全く逆のことをしなければならない。
人に好かれたり愛されたかったら、簡単に整形して美しくなればいいという考え方も、効率的と言えば効率的である。
しかし、それだとちやほやされるかもしれないが、人に好かれたり愛されることは稀である。イジーカム・イジーゴーで、男は体に飽きたらとっとと去っていく。
人に好かれるたり愛されるためには、美しい容姿だけでは足りない。容姿は、その一つの要素に過ぎない。これは本当だ。
美しい言葉遣い、人を思いやる気遣い、落ち着いた仕草など、容姿とは関係ない部分が大きく影響する。
そして、それは簡単には習得できない。努力が必要で、それも努力し続けなければならない。人間関係は、どんなにうまくいっていても、一つのミスで簡単に壊れてしまうからである。人間関係を維持することは、効率性とは無縁な行為なのである。
効率的に結果だけを求める人に本当の自信は生まれない。自信は、結果に至る過程で、どれだけの修羅場をくぐり抜けてきたかで決まる。
沢山失敗して、苦しい思いをして、そこから這い上がってきた人ほど、揺るぎのない人生を掴むことができる。
自信のある自分だけの人生を生き抜くことは、効率性とは真逆の道を進まなくてはならない。効率の悪い小さいことをコツコツとやることである。
特に難しくはないが、厳しい道である。