東の色男といえば、光源氏ですが、西の色男といえば、ドン・ジョバンニでしょう。
そうです。あのモーツァルトのオペラの「ドン・ジョバンニ」です。
このオペラについては、哲学者のキルケゴールが「音楽的エロスについて」で語っています。
ドン・ジョバンニは、何人もの女性を口説き落とし、その罪のため最後に地獄に落ちてしまいます。
しかし、キルケゴールは、そのような女癖の悪いやつが地獄に落ちるという単純なストーリーとしてドン・ジョヴァンニをとらえませんでした。
ドン・ジョヴァンニは、単に女好きだから女性を口説いたのではなく、彼女たちも気づいていない自由を求める心を満たしてあげたのだ、と考えました。
つまり、ドンジョバンニは、女性を男性社会・身分社会から解放して自由へと導いたと考えたのです。
僕は、ドン・ジョバンニのオペラの序曲が結構好きです。
一応、喜劇に分類されるそうですが、かなり悲劇的要素が含まれています。
序曲には、それらの要素が複合的に凝縮されていますが、基本的に、自由を求める解放的な気分を味わうことができます。
最初、どんよりとした暗くて重いメロディーから始まります。
しかし、1:50くらいで、明るく転調します。自由へと心が解放される瞬間です。
そして、2:20で、運命に翻弄される悲劇的なメロディーが流れます。
でも、音楽は、それでもいいんだと言っているように、僕には聴こえます。
悲劇なんて恐れない。何があっても自由に生きるんだ、と宣言しているように聴こえます。
ちょっと、小林秀雄の「悲劇について」を引用しますね。
ニーチェは主張する。悲劇は、人生肯定の最高形式だ、と。
人間に何かが足りないから悲劇が起こるのではない、何かがありすぎるから悲劇は起こるのだ。
否定や逃避を好む者は悲劇人たりえない。何もかも進んで引き受ける生活が悲劇的なのである。
不幸だとか災いだとか死だとか、およそ人生に嫌悪すべきものを、ことごとく無条件で肯定する精神を悲劇的精神という。
何かあっても、自分の人生を肯定すること。それが結果的に悲劇であっても。
そういうことなんでしょうね。
よかったら音楽を聞いてみてください。
♪モーツァルト:歌劇≪ドン・ジョヴァンニ≫ K.527-序曲 / カール・ベーム指揮プラハ国立歌劇場管弦楽団 1967
「ウィーンフィル魅惑の名曲」という分冊百科を集めたままろくに聴いていないので、今、作曲家ごとにきちんと聴くプロジェクトやっています。😅先日のブログに出てきた、コンチェルト20番が収録されてるのから始めました。ドンジョバンニも、ベーム指揮であると思います。同じ指揮者で、オケの聴き比べをしてみますね!
小林秀雄、難解😆
たまにクラッシック聴きたくなるんですよね。
小林秀雄はもう少し説明が必要でしたね。反省です。
ではまた。