「必要とされることを必要とする人は、自分のない人だ」と加藤諦三先生が言っていた。
一瞬、意味が分からなかったがよく考えると確かにそうだなあと思う。
人が何か行動するとき、何か動機が存在する。
その動機が、他人の意思にかかるときには、確かに、そこには自分の意志がないといえるだろう。
自我は他人に委ねてはいけない。
いんちき宗教に洗脳されるのも自我を他人に委ねるからだ。
ただ、加藤先生も必要とされることが悪いとまでは言っていない。
必要とされることで、がぜん、やる気がでることもある。