旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

広い空と遠くの山々と 両毛線を完乗!

2022-01-15 | 呑み鉄放浪記

 冬の朝の凛とした空気を衝いて、一世代前の湘南電車4両編成が高崎から緩い勾配を駆け上がってきた。
時として2面4線のプラットホームはこの4両編成で埋め尽くされる。新前橋は案外賑やかで忙しい駅のようだ。

両毛線はここ新前橋を起点に、関東平野の北の縁を辿って東北本線の小山を結んでいる。
両毛とは上野(かみつ)國と下野(しもつ)國を指すのはお察しの通りだ。今回は両毛を呑んで潰す。

新前橋を発って大きく右カーブした4両編成は利根川を渡る。流域面積日本一の大河もここでは一跨ぎだ。
利根川の向こうには無遠慮に裾野を広げた赤城山、さらに奥には上越国境の山々が白い屏風となっている。

旅の前半は左手車窓に常に赤城山を望む。然らば旅の供にも “赤城山”、沿線は近藤酒造の純米酒だ。

古くから絹産業が盛んな上州では、女性が養蚕・製糸・織物で生計を支えたのだと云う。男たちのいう
「うちのかかあは天下一」が「かかあ天下」となったのだとか。桐生は正に「日本の機どころ」であり、
重要伝統的建造物群が保存されていて、なんだか懐かしい風景が町のそこかしこに残っている。

“ひもかわうどん” は桐生地方に伝わる幅広麺のうどん。群馬は有数の小麦の産地でもありその歴史は古い。
その特徴は、通常のうどんと比較して、1.5~10cmと麺の横幅が広く、薄く平べったい形をしている。
呑み人が訪ねた元祖ひもかわを謳う「田沼屋」は幅3cm、つるんとした喉ごしと食感が楽しい。

 桐生から乗車した4両編成447Mは15分ほどで足利に到着、ここもまた昔から織物業で栄えた古い町だ。

宣教師フランシスコ・ザビエルをして「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー」と言わしめた
足利学校は、易学を中心に漢学や兵法が講義され、関東はもちろん日本各地から学生が集まり学んだという。

国宝・鑁阿寺は、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された大日如来を祀る真言宗大日派の本山。
元々は足利氏の館であり、四方に門を設け、土塁と堀がめぐる平安時代後期の武士の館の面影が残っている。

市街地西側の高台に「織姫神社」なる麗しき名の神社がある。機場としての歴史をもつ町に、機織をつかさどる
天御鉾命(あめのみほこのみこと)と織女・天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱を祀ったこの神社は、
産業振興と縁結びの神社といわれ、恋人の聖地として訪れるカップルは多い。

市街地を一望のもとに見下ろす神社の真南に一筋の古い橋が延びている。渡瀬橋だ。
ちょうど淡い冬の日が西に落ちかける時刻でもあり、森高千里さんの詩に誘われ橋を渡ってみることにした。

広い空と遠くの山々、夕日を浴びて輝くのは浅間山、なるほど夕日がきれいな町だね。

 再びの4両編成で両毛線の旅は続く。夕日に照らされた銀の車両がオレンジに染まって大平山を回り込むと、
左手の車窓が急に開けて、奥行きのある関東平野の彼方に日光連山が連なって現れる。なかなか美しい。
栃木駅で東武日光線とクロスし思川を渡れば、まもなく終点の小山、この旅の終着点だ。

 なぜか坂本龍馬が迎える大衆酒場「いごっそ」だ。どうやらここのオーナーが高知の出身らしい。
地元民に人気の店だけど、開店の17:00に飛び込んだから、カウンターに席を確保するのも造作ない。

頭上の短冊に “マグロ中落ち” を見つけた。実はこれに目がない。っで、今宵はホッピーで始める。
“手羽元チューリップ” は1本90円。遠足やら運動会やら、よく母が弁当に入れてくれたっけ、懐かしい。

“イモフライ” は栃木の名物だから食べておきたい。マヨネーズや辛子を適当につけるとなかなか美味しい。
揚げ物ばかりだから “冷やしトマト” を侍らせてさっぱりと。“大那” は地酒と云ってもだいぶ離れた大田原の酒。
程良いコクとキレのある辛口、「いごっそう(頑固で気骨のある男)」にピッタリな親父達の晩酌の酒が美味い。

わずかに80キロと短いけれど、たっぷり1日かけて町々を巡った両毛線の旅は小山の大衆酒場で終わる。
またいつか、電車にゆられてあの町まで、あの娘に会いに行きたい。

両毛線 新前橋〜小山 84.4km 完乗

渡良瀬橋 / 森高千里