北海道新幹線の開業で日本中が沸いた3月、2009年の台風18号で被災し不通となっていた名松線が
被災から6年5ヶ月を経て復旧し運行再開となった。どんな政治的な動きがあったのかは知らないけれど、
清流と森林が広がる静かな山間を走るこの路線には、早めに乗っておいたほうが良さそうだ。
松阪駅には小さなKIOSKと弁当屋が並んでいる。赤福は売っていても地酒は売っていない。残念。
代わりにラガーのロング缶と乾き物を仕込んで朝酒といこう。
名松線の起点を示す0kmポストは1番ホームの下、5番線に早々と入線していた家城行きの気動車に乗り込む。
始発列車が07:32発と遅いのは高校生の通学時間に合わせているのだろう。家城には県立高校が在る。
2両編成の気動車は高校生で満員。とっぽい生徒が多いけれど、域外からの闖入者には近づいて来ることはない。
結果的にボックスを独占している自分、なんだか申し訳ない。ただどうにもラガーのプルトップは引き辛い。
気動車は40分かけて家城に到着して満員の高校生を吐き出した。始発列車は伊勢興津まで直通しない。
線路を渡って反対側の2番線に単行気動車が待っていた。ここを境に利用者数が大きく違うということか、
乗ってきた2両編成の方はそこそこの人数を乗せ、松阪へと引き返して行った。
単行気動車が往くのは復旧再開区間。雲出川の谷にへばりつくように走るので鉄橋、覆道、隧道が連続する。
風光明媚なところはその分自然災害のリスクも高い。気動車は時速35km/hで慎重に慎重に走って行く。
ともあれ清流と森林が広がる山間の情景は癒しになる。
家城から30分少々で到着となる終点の伊勢興津、引き込み線もなくホーム1本線路1本の簡素な駅だ。
車止めの先には蒸気機関車時代の給水塔が蔦が絡まって半分朽ちている。ちょっとした鉄道遺産かも知れない。
運転再開に合わせて、伊勢本街道のPRや美杉の観光情報を発信する「観光案内交流施設」がOPENしている。
でも鉄路を残すには、そこに住む人が利用する仕組みをつくることが必要だと思うのだが大丈夫だろうか。
「みんなで守ろう名松線」の横断幕がなぜか寒々しい。
終着間際の車窓から酒蔵が見えた気がした。5分ほど歩いて、“出世鶴” と “稲の玉” の稲森酒造を訪ねてみた。
たまたま掃き掃除をされていた女将さんと話しができた。残念ながら2014年末に廃業されたそうだ。
伊勢本街道の宿場町であった興津、なかなかしっとりした素敵な町並みだった。
城下町の面影を残す古い町並、本居宣長旧宅近くに牛鍋屋風情の松阪牛の名店「牛銀本店」を訪ねる。
残念ながら、おひとり様はお座敷を利用できないので併設の「洋食屋牛銀」で “上牛丼” をいただいた。
名松線の旅の終わりは、霜降り肉の甘さと柔らかさを堪能した満足のランチで〆るのだ。
名松線 松阪~伊勢奥津 43.5km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
パールカラーにゆれて / 山口百恵 1976