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旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

ウルトラマンと小田原城と松みどりと 小田急小田原線を完乗!

2024-10-26 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

地上ホームからローズバーミリオンのGSE70000形が滑り出して来た。
こんな優雅な車両で箱根まで旅行したいと思うけれど、呑み鉄の旅は有料特急には乗らないのがルールだ。

そしてボクはと云えば、各駅停車の本厚木行きでのんびりと小田急線の旅を始める。
2019年度に完成した複々線、内側の急行線を快速急行やら急行が後から後から各駅停車を追い越して行く。

最初の途中下車は祖師ヶ谷大蔵駅、ここにはかつて特撮の円谷プロダクションがあった。
駅前広場には巨大なウルトラマンのモニュメントが屹立する。正に僕らの世代のヒーローなのだ。

ウルトラマン商店街(祖師谷きた通り)を北上する。
ある意味名所となった木梨サイクルを行き過ぎると、赤い看板の「祖師酒家」が見えてくる。
開店時間に飛び込んで、先ずは町中華で軽く一杯といきたい。

ゴマだれをたっぷりかけて “蒸し鶏サラダ” が登場。ヘルシーな一皿でしょう。
よく冷えた一番搾りのジョッキを片手に、さっぱりと蒸し鶏が美味しい。

“焼き餃子” を一つ放り込むと、ジュワーっと肉汁が口に広がる。
爽やかな “レモンサワー” で流して、ちょっと一杯のつもりが、案外満腹感のある昼呑みなのだ。

多摩川を渡って来たのは最新鋭の5000形、なかなか精悍なマスクの男前だ。
河川敷の野球少年を眺めて、小田急線は登戸から神奈川に入る。ここで急行に乗り換えて先を急ぐ。

新百合ヶ丘駅では1番線に待避して、追いかけてくるフェルメール・ブルーに先を譲る。
特急はこね93号は北千住を出て、大手町、霞ヶ関、表参道に停まって、千代田線を潜ってくる変わり種だ。

二度目の途中下車は伊勢原駅、北口に抜けると大山阿夫利神社の大鳥居がある。
そして④乗り場から「かなちゅう」の黄色いバス、臨時便に乗車して大山ケーブル山麓駅へ。
477‰の最急勾配をケーブルカーで登って、終点の阿夫利神社駅は標高678m、
振り返ると鈍く光る相模湾の向こうに三浦半島が横たわっている。

大山阿夫利神社を詣でた後は徒歩で山を下る。途中の大山寺は関東にあって紅葉の名所だ。
大山寺へと続く見上げるような階段の両脇には、ずらりと三十六童子像が並んでいる。
その前掛けと、階段に覆いかかぶさるモミジの色付きが、鮮やかな赤を競って楽しい。

弱々しい午後の陽を背負って、緑の切り通しをEXE30000形が新宿へと戻って行く。
大山に登ったら、伊勢原のひとつ先、鶴巻温泉に降りてくると良い。

鶴巻温泉駅の近くには公営の日帰り入浴施設「弘法の里湯」があって山歩きの疲れを癒してくれる。
湯に浸からないまでも、足湯に浸せば、帰りの小田急線に乗る足取りも軽くなるだろう。

そしてボクはハイカーとは反対のホームから、西陽を追いかけて小田原までラストラン。
この先の小田急線といったら、大小のカーブをくねり、谷間を抜け、トンネルを潜り、地方の幹線を行く様だ。
15:25、各駅停車は小田原駅の7番ホームに終着する。鶴巻温泉からは約30分の乗車となる。

冬至が近いこの頃だから、日没までは30分を残すだけだ。西口の北条早雲公にすでに陽は当たらない。
馬上の北条早雲公が睨みを利かせる先には小田原城天守閣があるはずだ。

急足で八幡山古郭東曲輪跡に登ってみる。
曲輪は戦国時代の小田原城中心部で、東海道新幹線を隔てて小田原城を一望するスポットだ。
深い青の相模湾を背景に、夕陽を浴びた天守閣が美しい。

日が暮れて小田原駅に戻ってきた。今宵は駅前東通り商店街(おいしいもの横丁)で一杯。
老舗の練り物屋や豆腐屋の種を仕込んだご当地おでんを梅味噌で味わう「小田原おでん本陣」に伺う。
この店、神奈川県下13蔵の日本酒を楽しめるのがポイント高い。

先ずは神泡の “The Premium Malts” を呷る。
本日のお刺身は、“ハナダイ” に “シロウマ” それに “カツオ”、厚切りの旬が嬉しい。

刺身に合わせて日本酒へと急ぐ。丹沢の “松みどり” は穏やかな香りの純米酒。
ボクは断然に冷酒派だけれど、これは燗をつけても美味しいんじゃないかな。やや辛が刺身によく合うね。
おでんは季節限定の「秋冬おでん」から択んで “大根そぼろあんかけ”、三種の薬味から柚子こしょうが良いかな。

もう一品は “ゆず味噌田楽焼きとうふ”、ご当地の梅味噌を付けながら箸で崩して美味しい。
大井町の “曽我の誉” は、酸味が強くて苦味も感じる純米酒、昆布とカツオ節の出汁と相性がよい。

ほどよく酔いがくる頃には、人気店の外には席待ちの列が出来ている。
それではっと升に残った純米酒をグイと呑んで「おあいそ」しましょうか。

ほろ酔いで小田原駅、帰りくらいはロマンスカーに乗ろうか。缶ビールでも買って。いやまだ呑むんかい?

小田急電鉄 小田原線 新宿〜小田原 82.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
Chance! / 白井貴子 1984


西武新宿線を完乗! 「時の鐘と六軒町一丁目商店と去年の恋」

2024-06-01 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

「急行」のLEDも誇らしく、副都心の高層ビル群を背負って、堂々10連の30000系が高田馬場に滑り込む。
4月に池袋線・秩父線で芝桜を観に行ってから3か月、二度目の西武鉄道呑み潰しを新宿線で締める。

新宿線の三叉の槍は、歌舞伎町の入り口で存在感のあるPePe新宿プリンスホテルに突き刺さっている。
青が散る一時期、この沿線で暮らすことがあった呑み人は、何度か初電でアパートに帰った覚えがある。

起点の西武新宿駅から10分、レモンイエローの各駅停車は緩いカーブの新井薬師駅に停車する。
あの頃、友人の下宿をよく訪ねたけれど、実は薬師さまに詣でたことはない。長年の不義理を解消したい。

緑の木漏れ日の中に赤い提燈が印象的な山門を潜って新井薬師梅照院に詣でる。
新田氏に縁ある御本尊は、薬師如来・如意輪観音の二仏一体の尊像と言われ、秘仏となっている。

四半世紀を超えてようやく薬師さまを詣でた後、門前そばならぬ門前の町中華に迷い込む。
玉ちゃんの声に誘われた気もするが、それはさすがに空耳か。

老夫婦が営む店は昼前なのに席が埋まった繁盛ぶり、料理にはどれも美味いに決まっている。っと思う。
シュポンと小母ちゃんが “クラシックラガー” を抜いてくれた。先ずは喉がなるほどに一杯を呷る。
一皿めの “ピータン豆腐” の濃厚とサッパリの共演を味わいつつ、苦味走ったラガーを楽しむのだ。

どうもここ萬来軒の名物メニューらしい “麻婆餃子” を択ぶ。当たりだ。この共演も素晴らしい。
濃厚なひと皿にはさっぱりと “レモンサワー” を合わせて、薬師さまのお陰で美味しい酒肴に巡り合った。

新宿線の旅は続く。ボクが乗るのは相変わらずレモンイエローの各駅停車だ。
この駅は鷺ノ宮だったろうか。乗務員もホッと一息の急行の通過待ち。
このシチュエーションには決まって原田知世の曲を思い出す。
彼の住む町を訪ね指を折って駅を数える彼女、急行の通過待ちがいつももどかしかった。と去年の恋の詩だ。

東村山も所沢も最近呑んだから今回は通過して、やがてレモンイエローの各駅停車は航空公園駅に着く。

駅舎で時を刻む CITIZEN の針は飛行機のプロペラをモチーフにしていて、なかなか秀逸なデザインだ。

振り返る東口駅前広場には、戦後初の国産旅客機 YS11 がエアーニッポンの塗装そのままに展示されている。

所沢航空記念公園は、1911年に開設された日本で最初の飛行場「所沢飛行場」の跡地に整備された。
この「日本の航空発祥の地」に、航空自衛隊入間基地に所属した C46-1A輸送機(天馬) が煌めいている。

所沢からの緩い勾配を駆け上がってきたのは、30000系、急行の本川越行き、この旅のアンカーになる。
急行と表示していながら、田無からは各駅に停まるので、終点までは6駅20分の旅になる。

黒漆喰の壁、屋根には大きな鬼瓦、一番街には重厚な造りの商家が連なる。小粋に人力車が疾走していく。
この情緒あふれる蔵造りの町並みをして、川越は「小江戸」と称される。
西武新宿線の終点本川越駅は、この町並みに最も近い駅だ。

そんな小江戸川越のシンボルが「時の鐘」で、最初のものは寛永年間に川越城主の酒井忠勝が建てた。
現在の鐘楼は明治27年、江戸時代の姿そのままに再建した4代目だそうだ。
鐘の音が小江戸の町に響きわたるのは日に4回、でも聴いた覚えはないなぁ、結構訪ねているのだけれど。

18時の鐘を待てずに向かったのは「六軒町一丁目商店」、すでに賑やかに立ち呑み酒場は営業中。
客層はご同輩というよりも若者が多いしスタッフも同様だ。それでも臆せずにカウンターの一角を占める。

元気なお嬢さんが注いでくれた “生ビール” を片手に小声で乾杯、今宵の一人酒を始めよう。
アテの一番手、申し訳程度のキャベツを敷いて “ハムカツ” が登場、分厚いのが二枚、満足の一品だ。

小皿に山盛りなのは “もやしポン酢”、これは少々手こずりそうだ。
むかし学生街の定食屋の「もやし炒め定食」が、正にモヤシだけを炒めた皿にガッカリしたことがある。
気を取り直して “梅水晶” 、これは満足度の高い一品、日本酒が呑みたくなるね。

でもここ最近、少々酒が過ぎていることを自覚しているから “黒ホッピー” を択ぶ。
アテには “炙りチャーシュー”、ジューシーな叉焼をさっと炙ってレタスにマヨネーズ、言うこと無し。

立ち呑みを楽しむ若者に、脈絡もなく力強い何かを感じた今宵、新宿線を最後に西武鉄道の呑み潰しを完了。

西武鉄道 新宿線 西武新宿〜本川越 47.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
どうしてますか / 原田知世 1986


西武山口線・狭山線を完乗! 「昭和な町並みと銀の円盤と醤油焼きそばと」

2024-05-25 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

ゴルフ場の南辺を舐めるように、最大勾配50‰をゴムタイヤを履いた「レオライナー」が下ってきた。
全幅2,380㎜の車両はまるで遊園地の乗り物の様だけど、案内軌条式鉄道といって法律上はれっきとした鉄道だ。

レンガ造りの壁面とドーム屋根、ネオルネッサンス様式の取水塔が多摩湖に映る。
山口線はこの堰堤直下にある多摩湖駅を起点に、西武園ゆうえんちと西武球場を結んで走っている。

多摩湖駅を出て1分、短いトンネルを潜ると西武園ゆうえんちが見えてくる。
電車は多摩湖に沿って走っているはずだけど、水源を守る保安林が繁っているので湖面をみることはない。

西武ゆうえんち駅前には昭和の町並みが広がっている。夕日が丘商店街というらしい。
「活気・元気・熱気がほとばしる、あの日あの頃の昭和」だって、昭和は遠くになりにけりだね。

若い女の子がオート三輪と写真を撮っている。SNSにあげる映える一枚になるのだろうか。
出掛ける前にはこの商店街の大衆食堂で一杯やろうと思ったけど、ここ、有料エリアなんだね。先を急ごう。

西武園ゆうえんち駅を出たレオライナーは、グリーンを右手に見ながら東中峯信号場で上り下りが交換する。
いつしか軌道は下り勾配に変わり、夏の太陽を照り返す巨大な円盤が見えてくると西武球場前駅だ。

躍動感溢れる巨大なライオン像が吠えるベルーナドームには、すでに多くのファンが詰めかけている。
千葉ロッテを迎えてのゲームは18:00試合開始のはずだけど、すでに熱気いっぱいのボールパークなのだ。

旅の後半は狭山線に乗って、西武球場前駅から狭山丘陵を北に向かって降りていく。
1番線に迎えにきてくれた20000系は、エレガントブルーで装った堂々の10両編成。

当然のことながら、この駅の装飾は若き獅子たちに埋め尽くされている。
そしてこの時間帯、到着する列車は10両編成いっぱいのファンを吐き出し、乗り込む乗客は数えるほどだ。

エレガントブルーの10両編成は、35‰という鉄道としては結構な急勾配を慎重に降りていく。
唯一の途中駅である下山口で申し訳程度の乗降があって、やがて大きな左カーブを切って西所沢に終着する。

池袋線にひと駅乗車して所沢、新しく拓けつつある東口を降りると、昼呑みの大衆居酒屋がある。
大衆居酒屋といってもモダンな作りで、この時間帯、草野球を終えたオヤジ達のグループが盛り上がっている。
およそ似つかわしくないお嬢さんが一人で生ビールを呷っていたり、なんだか混沌としている。

それでは負けじと呑み人も生ビール、冷凍庫から登場したキンキンのジョッキーに、赤いダルマがカワイイ。
暑いときはシンプルに “冷奴” がいい。冷えた豆腐を箸で崩しているうちに、汗がひいていく。

続くアテはサッパリと “豚肉の梅照り焼き”、二杯目はHAPPY HOURのメニューから “樽ハイ倶楽部” を。
このアテは案外美味しい。家呑みのメニューに加えよう。ひょっとしてボクでも出来そうだ。

三杯目の “薫香ハイボール” を呑みながら、〆は “ところざわ醤油焼きそば” をいただく。
これっ醤油メーカーと製麺会社の社長の仕掛けた新しいB級グルメらしい。なるほどね。
ニンニクやら生姜が効いた麺に白髪ネギを散らして、これもサッパリした一品、なかなか美味しい。

真夏日の呑み鉄散歩、少しだけ日焼けした顔が昼呑みの痕跡を消して、さあ夕立が来る前に帰ろう。

西武鉄道 山口線 多摩湖~西武球場前 2.8km 完乗
西武鉄道 狭山線 西武球場前~西所沢 4.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
メイン・テーマ /  薬師丸ひろ子 1984


西武国分寺線・多摩湖線を完乗! 「アナベルと金婚と東村山音頭と」

2024-05-18 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

羽根沢信号場から恋ヶ窪駅へ延びる直線区間をレモンイエローの6両編成が駆けてくる。
やはり国分寺駅が単式ホームだから、国分寺を出発する列車と到着する列車はここで行き交うことになる。
ニュースが熱中症への注意を叫んでる休日、国分寺線に乗って呑もうとやってきた。

ブリヂストンの工場を右手に見て小川駅、国分寺線はここで拝島線とX字に交差する。
平面交差になっているので、先発の小平ゆき(拝島線)が行手を遮るように横切って右奥に消えていった。

右から新宿線の複線が近づいてきて、レモンイエローは工事の防音壁に囲まれた2番線に到着。
国分寺を発ってからわずかに10分、国分寺線の旅はアッという間に終わりを迎える。

終点の東村山駅付近は連続立体交差事業が進行中、5つの踏切が解消されるらしい。府中街道の渋滞も酷いもの。
駅の反対側には、えっと言うような26階建てのタワーマンションが聳えている。

そして駅前広場では、大きな欅の木陰で「アイーン」ポーズの志村けんさんが暑さを凌いでいる。
昭和な少年たちの土曜日は、草野球から帰って夕飯を済ませると、『8時だョ!全員集合』にかじりついた。
もっともボクはだんだんと『オレたちひょうきん族』に心変わりしていったのだが。

煙突の高さも誇らしげに “金婚” の豊島屋酒造が江戸前の酒を醸している。
実はこの旅のスタートラインへ向かう車中、Googleマップでどうやら東村山に酒蔵があることを知った。
まぁ呑み人の旅はそれくらい行き当たりばったりなのだが、知ったからには訪ねない訳にはいかない。

滝のような汗を流して15分、ショップ「KAMOSHI no BA(かもしのば)」で試飲を愉しむ。
定番の “金婚” や “屋守(おくのかみ)” の他に、なかなか尖った酒をお造りの印象を受けた。
蔵元でしか買えない無濾過生原酒 “純米大吟醸 NEON(PINK)” と “純米吟醸 MELLOW(BLUE)” を仕込んで、
この先の旅、左手に提げた袋がカチャカチャとリズムよく音を立てるのだ。

駅前に戻ったら「ますも庵」の暖簾をくぐる。まだ陽は高いけど今日の一杯を。
この店は豊島屋酒造さんで「東村山で金婚が飲めるお店は?」と尋ねて、紹介してもらったのだ。

とは言えこの暑さ、先ずはキンキンに冷えた “大人の⭐︎生” を一杯。アテは何も捻らず “冷奴” がステキだ。

そして “金婚 純米酒” を升に溢してもらう。やや甘めの飲み口がスッキリした酒だ。
お供するのは “身欠きニシンの甘露煮”、蕎麦前のうちでは好みの一品だ。

〆の一枚は “肉汁うどん” に変更して、甘い肉汁、コシのある歯ごたえと喉ごしを愉しむ。
うどんは埼玉県さんの地粉と言うからまさに武蔵野うどん。西武線シリーズでははや3度目なのだ。

志村けんさんに別れを告げたらもう一路線乗っておく。
3番線でガラんとして発車を待つレモンイエローは2000系4両編成の西武園行き。冷房が心地よい。
列車がガタンと動き出すなり『次は終点西武園っ』の乾いた車内放送、そう西武園線はたった1駅の乗車なのだ。

黄色い西武電車を背景にして、抜けるように白く、満開の “アナベル” が美しい。
沿線の「北山公園」は、水辺を楽しめる静かな公園で、数千本の花菖蒲と紫陽花が盛りを迎えている。

線路の向こう側は『となりのトトロ』でメイが迷い込んだ七国山のモデルと言われる八国山緑地。
東村山と所沢の市境(都県境)にある緑地は、ハイキング トレイルやバードウォッチングのできる池がある。

競輪の開催がない日は閑散とした西武園駅、レースがある日ならばメインスタンドで呑んでも良かったなぁ。
隣接する西武園ゆうえんちプール、聞こえてくる女の子や子どもたちの歓声が夏を感じさせる。
っと、西の空に夕立を予感させる灰色の雲が広がり始めていることに気付く。
慌ただしく折り返すレモンイエローの電車に乗って、国分寺線・西武園線の旅を終えよう。

西武鉄道 国分寺線 国分寺~東村山 7.8km 完乗
西武鉄道 西武園線 東村山~西武園 2.4km 完乗

東村山音頭 / 三橋美智也&下谷二三子


西武有楽町線・豊島線を完乗! 「空飛ぶ機関車と真夏日のホッピーと魔法の国と」

2024-05-11 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

エメラルドのボディーに3人のキャストを大胆にあしらったフルラッピング電車が豊島園に到着する。
溢れ出した乗客の中には、すぐには改札を出ずに、カメラを片手にホームを行ったり来たり。
今日は昼呑みの練馬を基点に、豊島線と西武有楽町線で遊ぶ。

3番線に入ってきた紅いラインの8両編成は東急の車両、副都心線を経由して横浜中華街からやってきた。
西武の車両は勿論だけど、東京メトロ、東武、東急、横浜高速の車両が入り乱れるのは副都心線効果ですね。

地下がこんなに賑やかなのは想像できないほど、静かな住宅地の只中に小竹向原駅は口を開けている。
小竹向原〜練馬のわずか3駅を結ぶの新線(1998年全通)は、練馬区内で完結するけど有楽町線だ。

紅いラインの石神井公園行きは、6分の乗車で西武有楽町線の旅を終える。
もっとも大抵の場合、このまま池袋線に乗り入れて、石神井公園あるいは飯能まで足を延ばすのが常だ。

高架を西武の路線がX字に交差し、その地下を大江戸線が走って、練馬駅も案外立派なターミナルだ。
すでに真夏の陽に射られて、練馬駅前交差点で都道を越えると、ビルの谷間に酒場が連なる細道が延びる。

この界隈には昼から暖簾が掛かる店が何軒かあるらしい。
呑み人はぼんやりと赤提灯が点った「大衆酒場 練馬 春田屋」に吸い込まれる。すっ涼しい。

先ずは生ビール。よく冷やされたジョッキーには誇らしげに店名が入っているね。
アテは “肉味噌ピーマン” って、己で箸を操って作るんかい?まぁ安いから良い。

二杯目は “生レモンサワー”、この酸っぱいのがいい。
タマネギを敷いて “漬けマグロブツ”、紫蘇を散らしてこれがなかなか気の利いたアテ、さらに呑めそうだ。
日本酒は松竹梅かぁ、ご常連が裏メニュー的な地酒を注がせてるけど、面倒だからホッピーでいく。

ナカを追加するタイミングで “豚バラ” を焼いてもらう。味噌と梅と一本ずつね。
汗も引いたし、ちょい気分が良くなったところで、小さな旅の続きを。

高架のホームに上がってほどなく、Harry Potter を煌めかせて「スタジオツアー東京 エクスプレス」が登場。
豊島線は練馬から北へ、住宅街を掻き分けてわずかに1キロの旅なのだ。

赤を基調とした豊島駅構内は、ホグワーツ魔法魔術学校へとつづくホグズミード駅をイメージしているとか。
ベンチや電話ボックス、天井から提げられた時計も英国調で、なんだかワクワクしてくるね。

空飛ぶ魔法列車のモニュメントは、キングス・クロス駅の9と¾番線の Hogwarts Express と思いきや、
かつて「としまえん」で走っていた機関車をリメイクしたものだそうだ。なかなか粋ですよね。

イングリッシュガーデンをイメージした駅前広場、木材をふんだんに使ったナチュラルで暖かみのある駅舎。
豊島園駅はずいぶん雰囲気が変わりました。

黒いマントを羽織り魔法の杖を握って、コスプレをした若者が少なからず集う緑の小径を行くと、
木立の中に、守護霊(パトローナス)が跳ねる「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京」が現れるのだ。

さてこの夏、時間を見つけて魔法の国を訪れて見てはいかがか。ボクは練馬駅前で呑んで待っています。

西武鉄道 西武有楽町線 小竹向原~練馬 2.6km 完乗
西武鉄道 豊島線 練馬~豊島園 1.0km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
時間の国のアリス / 松田聖子 1984


西武多摩湖線を完乗! 「多摩湖と武蔵野うどんと高尾の天狗と」

2024-05-04 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

新緑の切り通しを抜け、小さなアップダウンを繰り返して、9000系が多摩湖まで登ってきた。
この日はベルーナドームでセ・パ交流戦があるから、午前中から大忙しのレモンイエローの4両編成だ。

国分寺駅の北口を塞ぐようにショッピングセンターがある。以前降りた時はなかったかな。
正面にバス乗り場を配して、あたかもこのミーツ国分寺が駅ビルの様なのだ。

多摩湖線の国分寺駅は単式ホーム、しかも10分間隔のダイヤだから、電車は忙しなく折り返していく。
だからひとつ目の一橋学園で必ず上り下りが交換する。ほら国分寺ゆきのレモンイエローがやって来た。

萩山駅では拝島線と連絡するのだけれど、2つの路線は駅の構内でX字に平面交差する。
多摩湖ゆきのレモンイエローは、萩山駅を出ると3回の転線を繰り返す。吊り革に掴まりましょう。

萩山から先は、保谷狭山自然公園自転車道線(水道道路)に沿って一直線に、そして緩やかに登っていく。
都道5号線(青梅街道)を跨いで武蔵大和駅前、小さな男の子が嬉しそうにレモンイエローを見上げて指を差す。

中天の陽に射られながら、自転車道路をきた方向にとぼとぼと戻る。汗が噴き出す15分だ。
めざす「手打ちうどん きくや」は昔ながらの町のうどん屋さん、ほら母子でお昼ご飯にやって来た。

おひとり様は肩を寄せ合って狭いカウンターで。
ほどなく「肉汁・天付L」が登場、これが基本ね。あとは玉の分だけLL,3L,4Lと増えていく。
生姜、刻みネギ、山葵と薬味で味変しながら、甘めの肉汁にコシのあるうどんが美味しい。

満腹を抱えて乗る後続の9000系はレジェンドブルー、これ埼玉西武ライオンズの球団色なのだそうだ。
武蔵大和からはまるで山岳鉄道のよう、右に左にきついカーブと勾配が続く。
車輪とレールが上げるキーン、キーンという音を聞きながら、左手に堰堤が見えてくると終点の多摩湖だ。

多くの乗客はそのまま山口線に乗り換えてベルーナドームをめざすから、
多摩湖駅の駅舎はあくまでも静かな別荘地の駅の雰囲気を醸す。いかにも西武の駅と街並みなのだ。

東村山 庭先ゃ多摩湖 狭山茶どころ 情が厚い♪ って子どもの頃歌いましたよね。
堰堤に登って西を望むと、鬱蒼とした森を湖面が鋭利に切り裂いて、遠くに富士が霞んでいる。
唯一銀の円盤を除いては人工物は視界になく、なんだか遠くに旅したような錯覚に陥りますね。
振り返ると新宿の副都心まで見渡せるのに不思議な気分です。

堰堤を南に歩いていくと見えてくるのが、日本で一番美しいと言われる第一取水塔、第二取水塔。
レンガ造りの壁面とドーム屋根、ネオルネッサンス様式の取水塔が湖面に映って、欧州の景色の様でもある。

お嬢さん、山口線はホーム前寄りですよ。案外の乗換案内は聞いていないものですね。
ライオンズファンを吐き出したレジェンドブルーで戻りましょう。昼呑みは国分寺で。

ここは国分寺だけど「名古屋」って、赤い提灯と暖簾がちょっと怪しげな地下空間に誘っている。
狭い階段を降りて引き戸を開けると、煙草の匂いと喧騒が流れ出す。
えっこんなに呑んでいるの、昼間っから、ご同輩ばかりか若い女性連れやカップルもいる。

先ずは生ビールと小手調べの “ポテトサラダ” を。可もなく不可もなく、かなぁ。
それでもお通しの “大豆と昆布の煮物” は泣かせるね。
それにしてもホールの娘たちは愛想がない。まったく。笑顔は別料金ってことか。合理的ですね。

人気メニューらしい “まぐろこぼれ盛り”、これは美味い。いい部位の端っこを上手に盛り付けているんだね。
となると日本酒なんだけど、“高尾の天狗” は柔らかい旨口でスッキリした喉ごしの純米吟醸。

この酒、酒蔵が絶えてしまった八王子の米を諏訪の「舞姫」に送って醸しているプロジェクトもの。
いずれ産学行政連携で八王子に酒蔵を復活させるのだとか。夢がありますね。

この店は鯨がラインナップにあって、呑み人は “竜田揚げ” を択ぶ。
すっきりとレモンスライスを落とした “チューハイ” を合わせる。タイムサービスで150円なのだ。
昭和な給食にはときおり鯨の竜田揚げが出て、ボクたちの人気メニューだった。懐かしいね。

さてとほろ酔いで地上に戻っても、夏至へと向かうこの頃はまだ陽が高い。
多摩湖線といえば、夕方になっても10分毎、生真面目に国分寺駅を折り返してゆくのだ。

西武鉄道 多摩湖線 国分寺~多摩湖 9.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
雨音はショパンの調べ / 小林麻美 1984


西武多摩川線を完乗! 「中央フリーウェイ ♪ 調布基地を追い越して」

2024-04-27 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

多摩川線の電車はブルーにイエローそれにレッド、5人揃わない戦隊モノってところか。
起点の武蔵境駅に進入してきたのは赤電、1960年代まではこの色が標準だったそうだ。
高度経済成長期を支えた団塊の世代の方には懐かしいのでは?ボクにはこの101系電車が懐かしい。

閑静な住宅街の駅は、大きな広葉樹が木陰をつくり、青々としたシンボルゲートが市民を見送り出迎える。

南口駅ビル「エミオ武蔵境」の階上が多摩川線のホーム、JR中央線からの通番で3番4番が振られている。
4両編成の戦士たちは、案外生真面目にキッカリ12分毎、是政との間をシャトルしている。

101系のデビュー当時の塗色であるイエロー×ベージュのツートンカラーで途中下車したのは多磨駅。
東京外国語大学、FC東京の味の素スタジアム、調布飛行場の最寄駅である。

中央フリーウェイ♪ 調布基地を追い越し 山に向かって行けば ♪
「中央フリーウェイ」が発売された1976年から遡ること数年前まで、ここはアメリカ軍に接収された調布基地。
さらに対戦中は、B-29爆撃機を要撃した三式戦闘機「飛燕」を擁した旧陸軍調布飛行場であった。
今でもこ「飛燕」を敵弾から守る、カマボコ屋根状コンクリート製の掩体壕を見ることができる。

っと、南風に乗って、航空燃料の匂いとターボプロップのエンジン音が流れてくる。
そして数分後、滑走路に現れたのはドルニエ228型機、たぶん神津島へ飛んでいく奴だ。
滑走路の北端でブルっと身震いしたプロペラ機は、銀色の翼を煌めかせ、スタジアムの向こうに消えるのだ。

2021年にリニューアル工事を完了した多磨駅は、陽光溢れるガラス張りの橋上駅。
真横から見ると、セミかバッタに見えるのはボクの気のせいだろうか。ともあれ旅を続けよう。

さらに2駅先まで乗車するアイボリーにブルーのラインは、伊豆箱根鉄道カラーの4両編成だ。
京王線と交差し、中央フリーウェイを潜って、大きな左カーブに差し掛かると競艇場前駅。

調布基地を追い越して、右手に競馬場が見える前に、実は左手に競艇場が見える。
まぁ語呂が悪いからね、ユーミンはこの競艇場はスルーしている。
今は使用していないかつての上りホームには、機能美溢れるボートが展示されている。

呑み人が競艇場を訪れるのは人生初、でもこの週末はレースがなくて、強者どもは場外発売にやって来る。
ボートレースに関心は無いし、勝舟投票券を購入する気も無いけれど、呑むところ位はありそうだ。

後から考えたら、人気の “勝つカレー” とか、丼ものだとかを食べれば良いものを、
アジフライに枝豆だって、アテ風の一品を択んでいる自分が可笑しい。
モニターを睨んでレースに興じるオヤジさん達を眺めながら、真っ昼間の “ハイボール” を一杯。

進行方向を大きく変えるカーブを描いて、レッド×ベージュの赤電塗色が競艇場前駅に入ってきた。
ラスト1区間2分の乗車だけど、この炎天下、冷房が効いた電車は快適この上ない。

妙に静かな昼下がりの終着駅、川砂利を運搬する目的で開業した多摩川線は、多摩川の土手下にある。
すれ違った小さな男の子が、ママに手を引かれてテンションを上げている。電車でお買い物は楽しいね。

夕暮れの武蔵境に戻って、ガード脇にごちゃごちゃと軒を連ねるのが「素浪人」だ。
若いころはあちこちを渡り歩いたのだろうか、今ではすっかり角がとれました風の店主が焼き台に立つ。
一見さんとしては恐る恐る暖簾を潜ったのだけど、快く狭いカウンターの一席を勧められる。

「先ずは生ビール」のアテには “ポテトサラダ” を。このメニューは店の色が出ますね。
そして大好きな “マグロ中おち” がトロリと美味しい。

“厚揚げ” のうえで削り節が揺らめく様に、なぜか心やすらぐのはボクだけだろうか。
大衆酒場の暖簾をくぐった夜は、生ビールからのホッピー2杯が、いつしか習い性になっていると気付く。
今宵も予定数を終了して、多摩川線の短い短い旅を終えるのです。

西武鉄道 多摩川線 武蔵境~是政 8.0km 完乗

中央フリーウェイ / 荒井由美


西武拝島線を完乗! 「玉川上水と武蔵野うどんと多滿自慢と」

2024-04-20 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

副都心の高層ビル群をバックに、急行拝島ゆきが湘南新宿ラインとデットヒートで高田馬場に滑り込む。
遠出する予定のない連休、天気も良いから、東京の裏庭で乗って呑んでみる。

拝島線の起点は小平駅、駅前広場は花に溢れて落ち着いた郊外の駅だ。
起点から3駅連続で他線と交差をしたり、地図を見ると南へ西へとそれこそ直角に進行方向を変えている。
これは西武鉄道が、合併したいくつかの私鉄線、軍や工場への引込線を繋ぎ合わせた歴史による。

列車は新宿から拝島まで直通するもののほか、小平から玉川上水をシャトルするものがある。
ちょうど引き上げ線から折り返しの玉川上水ゆきが入線してきた。
イエローの2000系は1977年からの古参車両、呑み人がこの沿線に住んでいた頃は、絶賛勢力伸長中だった。

乗車前には小平駅周辺を散策して「小平ふるさと村」を訪ねてみた。
旧小平小川郵便局舎は明治41年の和風建築、昭和58年まで現役であったというのは、ちょっと驚きだ。

旧神山家住宅主屋ではギターマンドリンクラブが演奏会をしていた。
奏でる加山雄三の「旅人よ」が旅情をかきたてる。えっ、そんなに遠くまで来ていたっけ?

裏手に廻ると杉皮葺の水舎小屋があった。
旧小川村が開かれると玉川上水から分水され、33か所に設けられた水車は脱穀や製粉に用いられたという。
なんだかまだ東京が遠かった時代の、武蔵野の風景が目に浮かぶ「小平ふるさと村」なのだ。

近くに評判のいい手打うどんの店を見つけた。まずはここでビールを呷る。きょうは夏日だ。
そして “たまなす” 登場、玉葱と茄子ってことだ。
思い描いていた武蔵野うどんよりもかなり上品な一杯は、玉葱の甘味と相まってなかなか美味しい。

ところで2000系の6両編成は、玉川上水駅の折り返し用2・3番ホームに終着する。
萩山で多摩湖線、小川で国分寺線と交差した後、再び西に向きを変えてわずか4駅の運行だ。

駅の改札を抜けてみる。南口には木漏れ日を映してキラキラと玉川上水が流れていく。
この先終点の拝島まで、鉄路はこの煌めきに寄り添うように延びている。

モーターの唸りを聞いて、視線を水面から頭上に転じると、ちょうど多摩都市モノレールの電車がやってきた。
2つの路線が交差して、閑静なこの駅も朝夕は乗降客と乗換客で混雑するのだと思う。

1番線には堂々10連の20000系が軽快に進入してきた。この急行拝島ゆきでラストスパートになる。
玉川上水からは3駅、右に大きなカーブを描いて、横田基地へ向かうJRの引込線と交差すると終点の拝島だ。

4路線が乗り入れ6方面に鉄路が伸びる拝島駅は、なかなか規模の大きなジャンクションだ。
橋上駅の南口側からは、奥多摩から丹沢までの山々を眺める。目を凝らすろ富士が頭を覗かせている。

大きなケヤキを囲むように6つの登録有形文化財を有する酒蔵、石川酒造までは南口から徒歩15分。
蔵自らが「酒飲みのテーマパーク」と称する様に、季節の日本酒やビールを味わうために多くの人が訪れる。
地ビールとイタリアンの「福生のビール小屋」と日本料理の「食道いしかわ」があって、ボクは後者を択ぶ。

もちろんメニューの酒はすべて多満自慢、まずは冷たい “純米生原酒あらばしり” からいただく。
アテは “豚の角煮”、とろとろの豚肉にナスを添えて、白髪ネギを絡めてちょい辛子、美味しいね。

遅れて登場した “だし巻き玉子” に、二杯目の “熟成純米生原酒” はまろやかな味わいがいい。

何度か訪ねている石川酒造だけど、ずいぶん客層に外国人観光客が多くなった。
InstagramにX、SNSで調べては訪ね、訪ねては発信して、訪れる人は増えていく。
正直、彼らに教わる映えるスポットや美味しい店は多いのだと思う。そんな事を考える拝島線の旅だ。

西武鉄道 拝島線 小平〜拝島 14.3km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
17歳の地図 / 尾崎豊 1984


西武池袋線・秩父線を完乗! 「芝桜と秩父神社と天覧山と」

2024-04-13 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

急行の赤い電光表示も誇らしげに、飯能ゆきの10両編成が3番ホームに入ってきた。
この6000系電車は1992年のデビューと云うから、すっかりベテランの貫禄を身につけている。
西武鉄道線を完乗してから9年が経った。このあたりで再び沿線を呑み歩きたい。

最初に旅する池袋線の起点は西武池袋駅、池袋のランドマークとも言える西武池袋本店の1階にある。
このビルは昨年9月に米投資ファンドが買収、売場・ブランドは次々に取り扱い終了となり改装に入っている。
よもやこの青い看板が落ちるようなことにだけはなって欲しくない。。

所沢を出てから、池袋線は緩やかな勾配を直線的に駆け上がってきたのだけれど、
狭山市に差し掛かる頃には、耐え切れず、大きなカーブと急な勾配で狭山丘陵を登る。
途中下車した入間市駅も、そんなカーブと勾配の中にあった。

航空自衛隊の町入間には、旧陸軍航空士官学校跡地に「修武台記念館」という歴史資料館がある。
チャンスがあれば見学会に応募してみたい。今回は敷地外から F-86F-40 をパチリ。

隣接する「彩の森入間公園」では噴水が飛沫をあげ、新緑が木陰をつくっている。
沿線に住んでいたなら、バケットとチーズとワイン、それに文庫本を持って昼寝に出かけたい。

丘陵を登ってきたのは40000系電車、転換するとクロスシートになって座席指定列車として運用される。
FREE Wi-Fi や多目的トイレを設備し、乗って快適な新型車両だ。

入間市駅から3つ目の飯能駅はスイッチバック構造になっている。
ここから向きを変えて吾野方面へは本格的な山登りになるが、特急を除くほとんどの列車は飯能止まりだ。

飯能駅を背に飯能大橋まで来たら、薫風に吹かれて入間川沿いを下流へ向かって歩いてみる。
加治橋の袂に “天覧山” の五十嵐酒造を訪ねる。純米酒を中心に何本か求めたので何れご紹介したい。

旅の続き、西武秩父ゆきの4000系は、ライオンズカラーの2扉セミクロスシート車両。
いわゆる旧国鉄の急行車両のようなタイプ、たっぷりの旅情に車中酒を楽しむにはこれでなくちゃ。
構内コンビニでワンカップを買って準備万端、でも発車間際に駆け込んできたカップルと相席に。残念。

ところがだ、この華人のカップルは呑み人の前で、不埒なほどイチャつき始めるのだ。
しからば止むなく或いは対抗上?ボクはカポッと “秩父錦 金印” を開けるのだ。
コクとキレのある淡麗辛口にアテの “いぶりがっこチーズ” がよく相応う。これって絶品です。

終点ひとつ手前の横瀬駅で降りると、芝桜の丘(羊山公園)は近い。
秩父のシンボル武甲山を背景に、見ごろを迎えて、色とりどりの花じゅうたんが美しい。

芝桜は北アメリカ原産の多年草で別名をハナツメクサという。
数ある種類の中でも、この “スカーレットフレーム” と “多摩の流れ” が好きかなぁ。

横瀬駅を発った4000系が大きなS字を描いて荒川の河岸段丘を下りる。っとそこは秩父線の終点 西武秩父だ。
秩父線は池袋線の事実上の延伸路線なのだけれど、戦前に開通した吾野までの池袋線と区別している。
秩父線(吾野〜西武秩父)が開通した1966年、同時に特急レッドアローが誕生している。

西武秩父駅はフードコート「祭の宴」や日帰り温泉「祭の湯」を併設した駅舎を持つ。
レジャーランドのような駅は、休日ということもあって、家族連れ、グループ、カップルで賑わっていた。

これだけで腹が膨れるのは分かっていながら、どうしても食べたいのが秩父のB級グルメ “みそポテト” だ。
きょうは秩父そばの人気店「立花」を訪ねて、秩父地粉と武甲山の伏流水で打つ二八蕎麦をいただく。
少し豪華に過ぎる天ぷらを持て余しつつも、喉越し良く、二八を一枚、ズズっと啜って美味しい。

世に名高い例大祭 秩父夜祭(ユネスコ無形文化遺産)で知られる秩父の総鎮守 秩父神社を訪ねる。
お元気三猿、子宝子育ての虎 と つなぎの龍(いずれも左甚五郎作)と極彩色の彫刻が施された社殿は、
徳川家康の命により建てられたものというから、その時代の、例えば東照宮の雰囲気に似ていなくもない。

さて、御本殿に奉納されていた菰樽の一つ “武甲政宗” の蔵が、その重厚な佇を残している。
お約束通りに利き酒を楽しんだら、お気に入りの純米酒を求めてご満悦なのだ。

さて今宵の一杯は飯能駅まで戻って、いや宵というより寧ろ昼呑みの時間ではある。
駅近の隠れ家的居酒屋「なかよし」は、午後2時に縄のれんが掛かる稀有な店だ。

件の縄のれんを潜る。L字に切った年季の入った白木のカウンターが7席、居酒屋というより小料理屋って感じ。
お通しの大根とごぼう天の “おでん” が絶品、上品な出汁がいい味を出している。
唯一がっかりしたのは、地酒の “天覧山” を切らしてしまったんだって、そりゃないよ。

それでは東北の酒で揃えようと、一杯めは秋田県は八峰町、山本酒造店の “白瀑 ど辛” を択ぶ。
“お刺身盛” をつまみながら、日本酒度+15の超辛口が飲みごたえ十分なのだ。

後客が入ってくる。座敷に入った予約客はゴルフコンペの帰り。
小上がりに上がり込んだ5人はリュックを背負ってきた。
なるほど合点が入った。午後2時から暖簾をかけるのは、こういう来客ニーズがあるからだね。

次なるアテは “若鶏の甘唐揚げ”、いいテリをしてるし、これは美味しい。
福島の “会津中将 純米” は、濃醇だがしかしすっきりとした味わい、肉料理にも上手に相手をしてくれる。

さてと、カウンターに常連の二人連れが入るのを潮に店を出る。八十八夜を過ぎて外は明るい。
ゴルフに登山に呑み鉄に、大人の遊びに優しい町に感謝しながら、西武池袋線、西武秩父線の旅を終えよう。

西武鉄道 池袋線 池袋〜吾野 57.8km 完乗
西武鉄道 秩父線 吾野〜西武秩父 19.0km 完乗

君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。/ 中原めいこ 1984


京成成田空港線・北総線を完乗! 「アクセス特急とハイビスカスの翼と雨宿りの大衆酒場と」

2024-03-23 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

オレンジのラインを纏い、シャープで精悍な3100系が、120km/hと120km/hですれ違った。
“アクセス特急” は成田空港と羽田空港を1時間50分で結んでいる。

5つのホームに忙しなく電車が発着する京成高砂駅も、入り口はとっても地味な下町風情の駅なのだ。
この町には夕刻、呑みに帰ってくることにして、今日は北総鉄道北総線と京成成田空港線を乗りたい。

青砥からの複々線を中川にかかるガーダーを響かせて3700系電車が近づいてくる。これは京成電鉄の車両。
京成高砂から成田空港の鉄道は複雑で、4つの鉄道会社が第3種鉄道事業者として線路等の施設を所有し、
北総鉄道と京成電鉄が、第1種または第2種鉄道事業者として路線を運営している。

さらに京成高砂から印旛日本医大の間は両線がダブっていると言うのだから、もう素人には何のことやら。
ややこしい仕組みを理解しようとしていると、各駅停車は新鎌ヶ谷駅に滑り込み、少々停車すると云う。

少し伸びでもしようかとホームに降り立つと、注意を喚起するチャイムが鳴り出した。
轟音が近づいてくる。っと振り向く暇もなく160km/hの猛スピードで真打 “スカイライナー” が飛び去る。

白井駅に途中下車した。豊かな自然が残る閑静な住宅街が広がってる。
この静かな住宅街を歩いて、ちらほらと梨畑が見えてくる辺りに目的の食堂がある。

地産の野菜をふんだんに使った惣菜サラダーと酎ハイレモンを一杯。
菜の花のお浸し、なすと厚揚げの煮物、かぼちゃサラダ、どれも美味しいアテになる。
そして “ピリ辛味噌うどん”、これがまた良い。思わず二杯目のジョッキーを注文してしまうのだ。

満腹を抱えて乗り込む2番手ランナーは、北総鉄道所有の愛称C-flyer 9100形、これもまた斬新なデザイン。
各車両の車端部にはクロスシートがあるから、空いている平日の日中なら車中酒ができるかもです。

時計塔とドーム屋根が印象的な駅舎は印旛日本医大駅、北総鉄道北総線の終着駅である。
千葉ニュータウンに位置するこの駅舎のデザインテーマは「都市と田園の共生」なんだそうだ。

多くの列車がこの駅で折り返すから、次の成田空港行きまでは40分の待ち合わせ。
ショルダーバックに忍ばせていた新書で時間を潰すうちに、オレンジのラインの8両編成が駆け込んでくる。

印旛日本医大から先は京成成田空港線の単独路線。水鳥が遊ぶ印旛沼を眺めて、成田空港までは所要15分。
成田空港駅のきっぷ売り場はJRも京成も長蛇の列、この辺りが訪日旅行の最初のボトルネックだろうか。

折角だからと展望デッキに上ってみた。赤い翼に混じってハワイアン航空のA330が駐機中。
ハイビスカスを飾ったPualaniさんの横顔に、久しぶりにハワイで羽根を伸ばしたいと思うのだ。

京成高砂まで戻ってきた。突然降り出した大粒の雨に追われて、今宵は南口の大衆酒場に駆け込む。
カウンター6席、テーブル4卓の完全なるローカルな店、ジョッキまで冷やした生ビールのレベルは高い。

コロッケのような分厚い “ハムカツ” がジューシーで美味い。ボクの好きな “たぬきとうふ” は箸休めに。
並びに座ったご常連お二人の消防団談義を聞きながら、“白ホッピー” を軽く2度ステアする。

ナカをお代わりしたら “豚バラ生姜漬け焼き” を焼いてもらう。これがまた絶品。
っと雨雲レーダーを眺めていたら、10分後にちょっとだけ雨が止みそうだ。この機会は逃せない。
雨宿りの大衆酒場で〆る今宵も渋めな北総線と成田空港線の呑み鉄の旅なのだ。

京成電鉄 成田空港線 京成高砂〜成田空港 51.4km 完乗
北総鉄道 北総線 京成高砂〜印旛日本医大 32.3Km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
Voyager / 松任谷由実 1984


京成本線を完乗! 「成田山新勝寺と北ウイングとシャリキンと」

2024-03-16 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

大きな弧を描いて青砥駅に京成成田行きの快速特急が進入してくる。
スカイライナーのルートを成田空港線に譲って、この快速特急が京成本線の花形だ。

ソメイヨシノに先行して、上野公園前に寒桜が満開だ。
アジア系、欧米系を問わず、相変わらず外国人が多い。映える日本の桜を背景に自撮りに興じている。

コツコツと階段を登っていくと、本来この公園の主役である西郷隆盛が佇んでいる。
こんな穏やかに晴れた休日には、美術館でも巡って、テラスで珈琲を楽しむのも良いかもしれない。

京成上野駅は西郷隆盛の足元に2面4線のホームを持っている。
2番ホームから滑り出したスカイライナー41号の後を追って、快速佐倉行きで京成本線を呑む旅は始まる。

轟音を響かせて江戸川橋梁を渡ると、3700系の8両編成は千葉県に入る。
車窓に見える河川敷の球場には、少年たちが明日の大谷翔平をめざして白球を追いかけている。

京成佐倉に降りたのは初めてかもしれない。駅を背に道路は佐倉城址に向かって登り坂だ。
佐倉城址公園も桜の名所ではあるが、開花まではあと1週間は必要ではないだろうか。
代わりに土塁と生垣の通りに旧佐倉藩士の武家屋敷を訪ねる。凛とした雰囲気が良い。

駅への帰り道で「房州屋本店」という老舗の蕎麦屋さんを見つけて先ずは一杯。
冷酒を舐めながら、山葵をきかせて “そば豆腐” をいただく。そばの実の食感が楽しくもある。 

なめこ汁を従えて “舟せいろ” が登場する。
おろし、なめこ、わさび、と薬味を変えつつ舟形のせいろ一枚を楽しむ。美味しい午後だ。

旅の後半は3000系の8両編成、今度のは快速の成田空港行きだ。
とは云え次の目的地である京成成田まではわずかに10分と少々、それでも成田山には寄らない訳にいかない。

“長命泉” の蔵元を冷やかし、川豊本店から漂う蒲焼の香りを振り切って、成田山の門前に辿り着く。
那羅延金剛(ならえんこんごう)と密迹金剛(みっしゃくこんごう)が睨みを利かす仁王門には真紅の大提灯、
訪日外国人観光客が喜びそうな大提灯には「魚がし」の文字、築地の魚河岸講の奉納出そうだ。

階段を登り切ると、弘法大師が自ら彫ったとされる御本尊不動明王を納めた大本堂、
そして西からの薄日に照らされて、十六羅漢を彫りめぐらせた三重塔の朱が美しい。

アンカーの快速成田空港行きは都営浅草線から乗り入れる5500形、
地下鉄車両とは思えないスタイリッシュなフェイスは、歌舞伎の隈取りを現代風にアレンジしたのだそうだ。

京成成田から成田空港間は1978年の開港に合わせて開通した。
呑み人も仕事柄ここへはずいぶん通った。40余年を経ても変わりなくグリーンのサインは輝いている。

映画のシーンのように すべてを捨ててく airplane
北ウイング 彼のもとへ 今夜ひとり 旅立つ

海外渡航が特別なものであった時代、昭和な呑み人には染み付いた中森明菜の曲だ。
実際、旅人の数だけドラマがあり、その舞台であるのが北ウイングだと思う。

第2ターミナルから無機質な通路を延々と歩くと、東成田という忘れ去られたような薄暗い地下駅に辿り着く。
ここは開業当時の成田空港駅、この駅を起点に芝山千代田駅までを芝山鉄道が、京成成田へ東成田線が走る。

旅の終わりに、芝山千代田から京成成田間を乗り通す。
時間にしてわずか10分の旅、芝山千代田での乗客はエアカーゴ関係にお勤めの方が多いようだ。

市役所通りを跨ぐ開運橋の袂に「寅屋本店」の赤提灯が揺れている。今宵は昭和レトロな大衆酒場で呑みたい。
ここのビールは “赤星” の大瓶、泣けてくるねぇ。磨かれて角がすり減ったカウンターで一人酒だ。

 

“刺身3点盛り” は、マグロ、真鯛、はまち。良いところを切っている、侮れない一皿だ。
傍に春の苦味を纏って “菜の花の辛子酢味噌”、大人のアテって感じだね。これは美味い。

熱々の餡をかけて “蓮根のはさみ揚げ” をいただく。隣の親父さんが食べていたのに倣ってみる。
餡に焼けそうな口に “シャリキンホッピー” を流し込んで美味しい。
そう、キンミヤのシャリキンが飲めるこの店は、すでに呑み人お気に入りの一軒なのだ。

京成本線 京成上野〜成田空港 69.3km 完乗
京成東成田線 京成成田〜東成田 7.1km 完乗
芝山鉄道    東成田〜芝山千代田 2.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
北ウイング / 中森明菜 1984


京成千葉線・千原線を完乗! 「亥鼻城と千葉寺とモツ焼きの大衆酒場と」

2024-02-17 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

前照灯を煌めかせて、外房線と並走して3500系の4両編成がやってきた。
京成線は千葉中央駅を境に千葉線と千原線が走っている。この駅を降りたら昼呑みを楽しみたい。

日暮里で成田空港行き快速特急に飛び乗って30分、京成津田沼までやって来た。千葉線はここから分岐する。
歴史的には成田へ向かう本線より先に開通し、戦前は海水浴や潮干狩りの行楽客で賑わったという。

行き先表示に「千葉中央」を光らせて、5番ホームに新京成の8800形電車が入ってきた。
日中は新京成線の車両が千葉線に乗り入れて、松戸〜千葉中央間を直通運転している。

千葉にお城があった?
県庁東側の猪鼻山は北側を都川が洗い、西側は断崖となった天険の要害、平安時代に千葉氏が居館を構えた。
ここを亥鼻城(いのはなじょう)というが、歴史的にはあまり意味のない模擬天守と千葉常胤像が建っている。

亥鼻公園の最寄りは千葉中央駅、千葉線の終点であり、新京成の車両が乗り入れるのもここまで。

かつて千葉の花街であった蓮池から西に外れた辺りに昼飲みの大衆酒場が暖簾を揚げている。
どうやらキンミヤ焼酎が飲めるらしい。もつ煮・モツ焼きの「まるは」に、もつNGの呑み人が突入する。

なんだか遠慮がちに光量を落とした店内なのだが、すでにご同輩たちで8割方の席が埋まっている。
カウンターの最奥に席を占めて見回すと、いやいや結構若いカップルも杯を重ねているね。
まずはキリンラガーを、それからお急ぎの “マカロニサラダ” と “まぐろ納豆” で始める。

揚げ物は “とうもろこしかき揚げ天” と “紅しょうが天” を択んだ。
この色合いの対称と、甘さと酸っぱさの対称が楽しい。そして推しの “徳島産生すだちサワー” が爽やかだ。

三杯目は徳島から紀淡海峡を渡って “紀州梅サワー” をいただく。あと “ねぎま” を2本ね。
昼下がりの街で一杯を楽しんで小3枚、いい感じだね。立体マスクを耳に掛けたら千原線に乗ろう。

千原線はもともと第三セクターの千葉急行電鉄の路線を京成電鉄が引き継いでいる。

Z世代の3000形電車が6両編成で入って来た。
京成津田沼から10分毎の電車の半分は千葉中央止まりだから、この先は20分に1本と少しだけ寂しくなる。

近代的な装いの千葉寺駅に降りてみる。千葉寺って?ちょっとした好奇心なのだ。

千葉寺(せんようじ)と読む。駅からは徒歩10分、緩やかに坂を登っていくと、突如として仁王門が現れた。
709年(和銅2年)、この地を訪れた行基が十一面観音を安置したのに始まり、その後千葉氏の勅願所となった。

千葉寺には、江戸時代に「千葉笑」という奇習があった。
面や頬かむりで仮装した民衆が大晦日に集い、権力者の不正などを罵り合い、笑って年を越すのだと言う。

千葉寺や 隅に子どもも むり笑い とは小林一茶。 

鉄路は、おゆみ野・ちはら台のニュータウンの端をかすめて、終着駅にわずかな乗客を降ろす。
その先、小湊鉄道の海士有木まで至ると言ういつ叶うとも分からない夢に向かって、少しだけ南に延びている。

京成電鉄 千葉線 京成津田沼〜千葉中央 12.9km 完乗
京成電鉄 千原線 千葉中央〜ちはら台  10.9km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
星空のディスタンス / THE ALFEE 1984


京成押上線を完乗! 「木根川橋とせんべろの聖地とトマトのおでんと」

2024-02-10 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

精悍なマスクの3700系がホーンを響かせて疾走する。都営浅草線を越えて長駆久里浜まで駆け抜ける。
晴れ渡った連休初日は、先週に引き続き、京成電鉄の短い旅を楽しみたい。

北十間川にその姿を映して銀の尖塔が空を突く。
押上線は東京ソラマチの地下から、住宅や町工場が密集する下町を掻き分け、青砥で京成本線に連絡する。

羽田空港と成田空港を結ぶルートを担う押上線、多くの特急・快速が途中駅に止まらずに爆走する。
成田空港行きのアクセス特急を1本やり過ごして、ボクは青砥行き各駅停車に乗り込むのだ。

ひとつ目の京成曳舟駅を越えたあたりで擦れ違った羽田空港行きは、京浜急行の紅い1000系電車だ。

木根川橋から 水道路抜けた 白髭神社の 縁日は🎵って、さだまさしが歌っていた。
昭和な呑み人にはストライクゾーンの曲、歌詞の情景を探し求めて四ツ木駅に途中下車してみた。

白髭神社、区立中川中学校、木根川薬師、銭湯を巡って下町散歩。
歌詞が描かれた頃にはなかった東京スカイツリーと木根川橋の夕景を切り取る。

その木根川橋を下流に見て、赤と青のラインを引いた8両編成が、轟音を立てて荒川を渡る。
やがて各駅停車は “せんべろの聖地” 京成立石に滑り込む。

宇ち多゛栄寿司、ミツワと名店が並ぶ仲見世通りだけど、“もつ” が食べられないボクはすごすごと退却。
線路脇の小道を四ツ木方面に戻ると、橙の暖簾が揺れているのが目的のおでんの店「二毛作」なのだ。

ちょっと立石っぽくないムードの店は、コの字カウンターに選りすぐりの日本酒を並べて午後2時に開く。
暖簾を潜って人差し指を示すと、端からふたつ目の席を案内される。隣は韓国から留学してきた男の子。
なんでこんなに詰めさせられるの?と思ったけれど、10分もしなういちに18席がぎっしりと埋まるのだ。

最近のCMは芳根京子さんに代わりましたね、まずはマルエフを一杯。
高知県は宿毛に揚がったウスバハギ、ミズダコ、ぶり、かつお、を並べて “刺盛” が美味しい。

隣の男の子に倣って、白身魚のすり身を揚げた “下町フライ” にレモンを絞る。
9号酵母で醸した “るみ子の酒” は、すっきりとした特別純米酒、三重県は伊賀の酒だね。

おでんは “とまと” と “ロールきゃべつ”。お店の代名詞的な “とまと” が、いい味を出している。
青ラベルの “いずみ橋” は山田錦の純米吟醸酒、口当たりの良い辛旨口は、出汁が利いたおでんによく合う。

“せんべろの聖地” 京成立石を後にした各駅停車は、住宅や町工場を見下ろす高架を駆け上がる。
夕暮れの茜の中、左から京成本線が近づいて来ると、短い押上線の旅は終わるのだ。

京成電鉄 押上線 押上〜青砥 5.7km 完乗

木根川橋 / さだまさし 1979


京成金町線を完乗! 「帝釈天と老舗の葛餅と剣菱と」

2024-02-03 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

旧水戸街道の高架道路をくぐって、赤いラインの4両編成が京成金町駅に入ってきた。
節分の休日は真っ青な冬晴れ、それではと、金町線の短い旅をしようと下町の駅に降り立った。

京成金町駅は雑居ビルの1階にぽっかりと改札口の穴を開けている。
JR金町駅を背にして駅前広場を見渡しても、案内表示なしでは容易に見つかりそうにない。

わずか2.5kmの路線の唯一の中間駅だけが複線になっていて、上り下りの電車が交換する。
この短い金町線ではあるけれど、4両編成で車掌が乗務しているから、相当の乗降客があるのだろう。

その賑わいの背景の一つがこの中間駅にあるのは間違いがない。
柴又駅の案内板にはお馴染みのシルエットが描かれている。そう、柴又駅はフーテンの寅さんのふるさとだ。

帝釈天参道で上下姿の一団に出会す。ここで初めて今日が節分であることに気づいた。
ちょうど二回目の節分会の時間に当たって、参道は初詣のような人出になっている。

 唐破風と千鳥破風を飾った楼門(二天門)が見えてきた。
寺男の源公(佐藤蛾次郎)が掃き掃除をする静謐な帝釈天の雰囲気はなく、今日の境内は善男善女が埋め尽くす。
やがて豆まきが始まると老いも若きも歓声をあげる。一際大きなまき手は、元関脇旭天鵬だ。

帰りの参道で髙木屋老舗に潜り込む。雰囲気だけは味わいたい。
熱いお茶にホッとひと息ついたら、黒蜜と黄な粉をたっぷりかけて “くずもち” を味わう。
っと柱の振り子時計が鐘を四つ鳴らした。そろそろ飲みに行っても良い頃だろうか。

夕暮れの柴又駅、“寅さん” と一緒に旅に出る。とは言っても京成高砂駅まではわずかに2分。
寅さんの視線の先には、エプロン姿の “さくら” が弱々しい冬の夕陽を浴びて立っているね。

測ったように上り下りの電車が交換する。やや高砂方面からの入線が早い。
家路に向かう降客と、帝釈天を訪ねた乗客を入れ替えて、4両編成はそれぞれ高砂と金町をめざす。

鉄路の東側では江戸川が音もなく東京湾へと流れていく。
呑み人が土手に登った頃、泥だらけのユニホーム姿の野球少年たちが、自転車で流れを描いていた。

赤いラインの4両編成は、左手に電車庫が見えると、するすると高架に上って行き止まりの5番線に終着する。
吐き出された4両たっぷりの乗客は、整然と京成本線ホームへのスロープを下っていった。

カンカンカンと警報音を響かせる開かずの踏切をやり過ごして、暖簾が掛かったばかりの高砂家へ。
魚や野菜が並ぶ奥行きのあるカウンターに丸イスを並べて、なかなか趣のある店なのだ。

やっぱり “生ビール” で始める。“まぐろ納豆” はブツではなく切り身でちょっとびっくり。
トンカツのように揚げた “ハムカツ” はボリュームたっぷり、辛子とマヨネーズをブレンドして美味しい。
二杯目からは “ホッピー黒” を。この店はカウンターのお母さんが作ってくれる。

小鍋で煮てくれる “肉豆腐” は、胡麻油が効いてなかなかの逸品、汁まで美味しい。
お酒は “剣菱” の一択、サンデシ瓶なのは店の女の子が注いでくれるから、ちょっとご機嫌だね。

ローカル線の雰囲気たっぷりに金町線に乗って、柴又を訪ねるのは、ちょっと遠出をした気分になる。
ガタゴトと行き交う電車の音を聞きながら、下町情緒の酒場で杯を重ねて、金町線の旅が楽しい。

京成電鉄 金町線 京成金町〜京成高砂 2.5km 完乗

男はつらいよ / 渥美清


真紅のトーチと灘五郷と福寿の酒と 阪神電鉄本線を完乗!

2024-01-27 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

出張が明けた週末は、冷たい風が吹き荒ぶものの、雲ひとつない青空が広がっている。
今日は阪神電車に乗って、灘五郷のいずれかを訪ねて一杯飲りたい。

特急専用の2番線に停車しているのは「阪神甲子園球場100周年記念ラッピングトレイン」だって。
名作野球マンガのキャラクターや、甲子園球場の歴史を辿る数々の写真で電車を彩る。

水島新司氏の「ドカベン」が彩るのが1号車、岩城が吠え、殿馬が舞っている。
11:10、幸運にもこの希少な列車に遭遇して、ボクの阪神電車の旅は始まる。

特急の最初の停車駅は尼崎。速度を落とした車窓には、車両基地越しに天守閣が見えてくる。
尼崎城は大坂の役後、戸田氏によって築城され、明治の廃城令まで大阪湾に浮かぶようにあった。
現在の復元天守は2018年に落成した。まだ新たしい白壁が冬の陽を浴びて眩しい。

急行に乗り換えて3つ目、武庫川橋りょう上に設置された武庫川駅のホームは底冷えがする。
川の土手を降りたところに武庫川線が発着する1面2線の島式ホームがある。

わずか1.7kmの武庫川線は1944年、紫電改など海軍の航空機を製造した川西航空機への輸送を目的に建設された。
武庫川西岸の築堤沿いに走る深緑の「甲子園号」は、武庫川団地の通勤通学を担っている。

武庫川に戻ったら再び急行電車に飛び乗って、2つ目の特急停車駅、甲子園へと駒を進める。
呑み人の母校は在学中に春の選抜大会に出場している。応援に行った頃は蔦に覆われていたのだが。

甲子園駅に滑り込んできたのは「日本一特別ラッピングトレイン」って、これまたラッキーな邂逅なのだ。

大阪難波方面から神戸三宮まで走るこの車両はそろそろ運行終了かも、関心のある方はお早めにどうぞ。

芦屋から住吉にかけて、鉄路は神戸市の都市計画事業によって高架化が成った。
急行用の1000系電車はスラブ軌道を、それこそ滑るように快適に飛ばして行くのだ。

6つ目の特急停車駅は御影。日本一の酒どころ灘は五つの郷から成っている。
なかでも御影郷は菊正宗だの白鶴だのコマーシャルでもお馴染みの大きな蔵が並ぶのだ。

“福寿” という、なんとも縁起のいい酒蔵、神戸酒心館も御影郷に杉玉を吊るしている。
門をくぐって左手、木造の酒蔵に「蔵の料亭 さかばやし」がある。

フレッシュな純米吟醸をワイングラスに注いでもらったら、旬魚の四種盛りをアテに一杯。
お姐さんにわがままを言って、ランチの膳を小出しにして貰うのだ。

煮物にお浸し、それに自家製豆腐の小鉢を並べて、緑のラベルは純米酒。
すっきりとした切れ味の辛口は、出汁がきいた料理には相性がいいね。

8000系の特急電車が岩屋駅から地下区間に潜り込むと旅の終わりも近い。

神戸の中心市街地のターミナルは三宮、JRと阪急は高架駅、阪神電車の神戸三宮は地下駅になっている。
5社6路線の駅は互いに「さんちか」で繋がる。イメージのせいか、街ゆく人たちはお洒落な人が多いような。

この旅のアンカーは山陽電鉄5000系、特急は大阪梅田から山陽姫路まで直通運転をしている。
阪神電鉄本線の終点は元町、その先山陽電鉄の起点西代まで繋ぐのは神戸高速線になる。

元町を降りたらビル風が吹く街並みを潮の香りがする方へ足を進める。
お色直しを終えた真紅のトーチが、夕陽を浴びて輝いている。旅の終わりの西代まではあと少しだ。

 阪神電鉄本線 大阪梅田〜元町 32.1km 完乗
      神戸高速線 元町〜西代 5.0km 完乗
武庫川線 武庫川〜武庫川団地前 1.7km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
誘惑 / 井上陽水 1983