思考の踏み込み

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蔵六15

2013-12-12 09:34:40 | 
蔵六の考えていたことは、欧米列強に伍しうる国家体制を作ることであってそれだけであり、またそれ故に武士階級において英雄視されている西郷という人物が、革命が終わりさえすれば逆に有害な存在になるであろう、とみて西郷の人格的圧力にまったく動じなかった。


さて、ストイシズムという言葉が出たが、これは蔵六に限らず維新前後の日本人達は割とカラリとした感覚で多くの者が身につけていた。




(個人的な考えをいうと、ストイシズムに悲壮感と湿っぽさをイメージさせるような植え付けがされたのは、戦後昭和期における劇画ブームなどの影響ではないかと思うがどうだろうか。本来はもっとカラリとした感覚だったのではないか)

蔵六のストイシズムの場合、多少毛色が違うのはそこに強烈なナショナリズム (国家主義ではなく郷土主義) がくっつく点であり、さらにその根底には独特な彼の美意識が見え隠れする。

ー 美意識 ー と表現していいだろう。

新政府軍を養成するとき、彼は洋服を着させ、靴を履かせた。この事が頑迷な攘夷主義者達を怒らせ、かれの生死にも関わってくるのだが、肝腎の大村益次郎が洋服などは生涯着なかったのである。



西洋人と接触することもほぼなかったという。

彼がなぜ旗本格にまで幕府に取り立てられていながら、何ら己れを評価しない長州藩に戻ったのか?

それはこういった素朴なナショナリズムにあると見て間違いないだろう。
といって蒙昧な攘夷主義も嫌っていたから、その根底はやはり彼の美意識なのである。

彼の唯一といっていい趣味が軸を眺めることだったというが、"美への思い" というのは、この精密機械のような男がわずかにみせていた人間らしい嗜好から垣間見える。

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