写真は25日、クリスマスの夜の仙台駅東口の模様です。
仙台駅もイルミネーションで着飾っています。
一次会の後に撮ったもので、当然?ブレテイマス。ご容赦のほどを。
昨日の午前中のことですが、遂にというか、とうとうというか整形外科にかかってしまいました。
近くにある外科・整形外科のS病院です。
ここと自分のつながりは、小学1年生の時から始まります。むかし、むか~しのことですが、小学校1年生のまだ初めの頃ではないかと思うのですが、教室で友達と遊んでいたときですか、何かの拍子に押されて机の間に転んでしまい、そのときに唇の中を切ってしまいました。
そのときに先生にここのS病院に連れてきてもらいました。2,3針縫いました。怪我をして傷口を縫ったのは、これが初めてでした。
ちなみにその後4年生のときにも眉毛の当りをぶつけて切ってしまい、数針縫ったことがあり、小学校は2回だけ、2回目もS病院でした。
その後中学校でも3年生の時に、体育の授業のときに頭のてっぺんをバスケットボールのバスケットを移動させる歯車にぶつけてしまい、数針縫うことになりました。このときは学校の近くの外科に行きましたが、とっくの昔に廃業してしまいました。
そんなことを書くつもりではなかったのですが、S病院に久し振りに入ってビックリ。内装が新しくなっている。窓口に人は変わってないようだが、看護婦(看護士)さんはかなり変わっている。
何よりも一番変わっていたのは、先生です。入ってすぐに、飾ってあった石の当番表が目に入りました。管理者は変わっていないのですが、曜日ごとの担当医が変わっている。半分は近くの東北大学の医学部から、後の半分は開業医でしょうか、個人の名前が書いてありました。
でもこのときは応援を頼んでいるのかなと思っていたのですが、窓口での患者と受付の人のやり取りを聞くともなく聞いていると、S先生は入院していたらしいのだ。何があったのかは分かりませんが。
今の先生は、大先生の長男です。当然私が最初にお世話になったのはその大先生です。太り気味のがっちりした頼りがいのある先生でした。大先生は、後年バセドー氏病にかかり、左右のどちらかの目が飛び出していました。
S病院には私のほか子どもも親もお世話になっていました。こどもは大先生の目を見てビックリしていました(誰でもそうですが)。
大先生が引退した後は、二人の息子が後を継ぎ、この病院は安泰とばかり思っていたのですが、ナントなんと何と弟の方が先に亡くなってしまいました。もう10年以上になりますか。外科と整形外科の専門医が揃ったのにです。
残った先生は長男の先生。外科で、専門は食道外科といっていましたが、この病院は救急告示病院でもあり、交通事故等の患者も受け入れていました。
仕事でも知り合いになったりして、この先生とは親しくなり、診察でも冗談を言える関係だったのです。一家がお世話になっていましたし。
それで、きのう久し振りにS病院に行き、S先生と話しができるかと楽しみにしていたのですが・・・。この先生も外科の先生らしく?気さくな先生で安心して任せられる、信頼できる先生でした。
その先生が入院していたとは。後で聞くと今は自宅療養とのことです。何時復帰するかとか、なんで入院したのか等は聞きませんでした。
さびしかかったですね。一刻も早い復帰を願うばかりです。何といっても地域の外科関係のなくてはならない病院ですから。いろいろな思い出の一杯ある病院ですから。