寒い日が続きます。
今年も間もなく終わります。
あと4日も経てば、新しい年が始まります。
終わりと始まりがあっても、連続しています。
続いていくのです。
続くということは、何かとっても意味深なことばのように感じますが。
皆さんはどう思われますか。
人生、この世のあらゆる出来事は、全て基礎、基本は続き・連続の上に成り立っているのではないでしょうか。
今日の朝日新聞の「声」欄の投書です。
「平和祈る調べ 次代に継承を」という見出しをつけられています。
旧満州で国境守備隊についていた、元日本陸軍の兵士だった人の投書です。横浜の人です。
校長先生が偉いと思いますが、彼の住む地域の公立中学校では戦時中の体験談を高齢者から聞くという平和学習をしているといいます。
投書の人も旧満州での体験談を生徒たちに話しているそうで、「『ビルマの竪琴』の中から水島上等兵が戦争犠牲者を弔う話に、極寒の地で国境守備をしていた自分の体験を交え、生命の尊さや平和のありがたさを心を込めて話し」、生徒たちも「残酷な戦争を二度としてはいけない、との水島上等兵の願いを受け止めていました。」
一週間前の12月20日の朝日新聞(ばかりではないですが)の記事で、「ビルマの竪琴」 「水島上等兵のモデルが死去」 という見出しで、、伊豆島上等兵のモデルとなったいわれている僧侶の中村一雄さんが17日、老衰のため死去したというものでした。 92歳でした。
中村さんは、陸軍に召集されてからフィリピン・タイを経てインパール作戦に参加し、敗戦をビルマで迎えた人です。 インパール作戦に参加して生き残ったのですから、それこそ筆舌に尽くせぬ苦労をしたものと思います。
また、前置きが長くなってしまいました。
「ビルマの竪琴」といえば、作者は竹山道雄です。文筆で活躍していた頃はリベラリストといっていいのでしょうか、彼の小説は私も文庫本で読みました。
その前に映画も見ています。家の近くの高校の文化祭にいったとき見ました。中学生の一年くらいでしたか、もしかして小学校の6年くらいかもしれません。 白黒映画で、内容も暗く、怖いような印象を持った気がします。
その後中学校の夏休みの宿題か何かで、読書感想文ですか、それを書かなければならなくなり、「ビルマの竪琴」を読んで感想を書いた記憶があります。 小説と映画を絡めて書いたのではないかと思うのですが、私としても書きっぱなしではなく、読み直して書き直したりしたもので、国語の先生から褒められたことを覚えています。
でも感想文の内容ではなく、読み返して書き直しをしているということを褒められたようです。 まあ、それでも悪い気はしませんでした。
(始まってしまいました。NHKTV 沢田研二の還暦コンサート。こちらに気を取られてしまいます。今”シーサイドバウンド”を歌っています。早く終わらせないと・・・)
個人的には映画も小説もとっても感動的だ、と素直に思ったものですが、その後何年か何十年か経って何かで読んだことが気に掛かり、そうかそういう見方もあるかと変に納得したりしたことがある小説となってしまいました。
小説に対する批判なのですが、それは水島上等兵が弔って歩いていたのは”日本兵”ばかりではないか、戦場では日本兵ばかりではなく、ビルマの兵隊たち(イギリス兵も?)も死んでいる、そのような観点が欠けている、片手落ちではないかというものだったように思います。
批判した人の名前はまったく覚えてはいません。
でも、そういう見方もあるのかと気付かされた批判文でした。
当たり前ですが、見方、考え方はいろいろあるんだなあ、そういう視点は持ち続けなければならないのか、何十年か前の感想ですが、そういうことがむかしむかしありました。 ただそれだけです。
(ジュリーは白や赤のインディアンの酋長のような羽飾りの格好で出ているではありませんか!!)