陽射しが強く明るい空、青い雲に白い雲がポツポツ浮かび、ほんの少し夏を感じさせるかのような天気でしたが、午後には風が強くなり、街中でのビル風には本当に吹き飛ばされそうになりました。
(定禅寺通りのケヤキ並木)
きょう4月28日を屈辱の日ではなく、主権回復の日とし、天皇皇后陛下まで動員して式典を強行した安倍晋三に鉄槌を下そうではありませんか!!サンフランシスコ講和条約から61年目ということ、主権を回復したとは言っても、沖縄を犠牲にしての、生贄としての本土だけの主権回復ではないですか。 これこそまさに”自虐”史観そのものです。
(ケヤキの新緑が若々しく、瑞々しい。)
本当に主権が回復したというのであれば、いや主権を回復しようというのであれば、日米安保条約と日米地位協定を破棄してはじめて日本は独立した国家となるのであり、それをそのままにして、押し付けだから憲法を改正(改悪)しようとするなんて、つねにアメリカの属国の立場に甘んじているポチの日本が、日本の政治家が言える立場にありません。 尊敬するアメリカ、敬愛してやまない、身も心も捧げても余りあるアメリカから頂いた”日本国憲法”であるならば、恭しく押し頂かなければなりません。 宗主国のアメリカがくれた憲法です、なぜ後生大事にしないのでしょうか。 そういう心境が真の愛国者である私には理解しがたいところです。
(来月は青葉祭りがあります。)
そんなわけで、主権回復の日の式典を粉砕するべく、行ってきました、『脱原発みやぎ金曜デモ』に。 きょうは日曜日で、金曜日ではないのですが、月に1回は「日曜デモ」をおこなっているようなので、きょうはじめて参加してきました。
今までも何度か参加しようとは思っていたのですが、そういう時に限って用事が入ったり、天気が悪かったりして足が会場に向きませんでした。
きょう4月28日の集会は錦町公園が会場で、集合が13:30、デモ行進は14:00となっていました。 集会には学生から社会人、高齢者(私も)まで幅広い年代の男女が集まりました。 最初はなんて少ないのだろうと思ったのですが、時間の経過とともに人数は増えてきました。
(開始5分前の状態)
学生の報告ですが、東京のある大学では原発御用学者の講演阻止しようと、チラシを配ったりしただけで受け取った学生から当局側が回収したりしたこと、集会を開こうとしたら門を閉められて、門の前で開いたら嫌がらせを受けて、公務執行妨害で逮捕された学生がいたとかの報告がありました。 どこよりも言論の自由が保障されなければならない学問の府で、反原発の動きが圧殺されているということは由々しきことです。
(釣竿にミニ鯉のぼりと脱原発のプラカードを吊り下げています。)
また別の団体からは角田市の水道は阿武隈川から取水しているのだが、放射線濃度の測定は行われているのだろうが、正式には公表されていないこと、公表されているのは基準値よりも低くなっているところの数値であるとかの話しがありました。
(これも釣竿に提灯をぶら下げています。)
マスコミでは報道されないことが一杯あるようです。 一見情報は溢れているようですが、本当に必要とする情報は報道されず、どうでもいいような情報が繰り返し流されてるのではないかと疑心暗鬼になりながらニュースを見なければならないのかもしれません。 日本のジャーナリズムの特徴は、外国人から見ると”本当のことを報道しないこと”にあるようなので、要注意です。
14:00からのデモ行進は、錦町公園から一番町の4丁目から1丁目の方へ向かい、青葉通りから仙台駅の方に向かい、5番町の手前で流れ解散となりました。
毎回は無理なので、月に1回は参加しようと思っています。
(お知らせ)
「脱原発みやぎ金曜デモ」の5月の予定です。
10日(金) 元鍛冶丁公園 18:00~
17日(金) 東北大学 片平キャンパス北門 18:00~
26日(日) 錦町公園 14:00~
31日(金) 勾当台公園 野外音楽堂 18:00~
私など単純で今の日本でこんなに言論を規制されたり、不都合な事は発表されていないなど考えた事もありませんでした。
脱原発がどうしてこんなに盛り上がらないのかといつも疑問に思っています。が、私自身何も動いていないのですから何も言う資格はありませんが・・・・
それなら何度も言っているように、沖縄の米軍基地を長州にもってくればいいのに、持ってくるべきなのに・・・。
そして米軍とともに日本一の長州騎兵隊を組織して、これが日米同盟の最強の軍隊なのだと宣言して、江戸に攻めのぼればいいのに。
(なんていったりして)