今日は朝日新聞に掲載された震災関係の短歌を紹介させていただきます。(選者のみなさま、投稿者のみなさま掲載をご了解ください)
かなしきはこわれたものの写真より震災前のきれいな町なみ (福岡市:有田 裕子さん)
大津波により壊滅させられてしまいましたが、巨大地震さえなければいつまでもきれいな海辺の町であったのに・・・。平和な時の街の写真、平和であればあるほどその時の写真は逆に悲しみを誘ってしまいます。
飛び出して柿の幹抱き凄まじき大地の揺れに五感を晒す (茨城県牛久市:伊藤 夏江さん)
家の中で地震に遭いましたが、立てませんでした。柱を背にして座って回りを見渡すばかり。妻を励ますだけ。全くなす術がありませんでした。しかもあの揺れの長さ、長さ、長さ。初めてです、あんなに長い大きな揺れは、もう二度と経験したくないです、絶対に。
「避難せよ」と叫び続けし声を残し女子職員は還り来たらず (あきる野市:千原 孝正さん)
彼女は結婚はしていたようですが、式はこれからだったとか。町の3階建ての防災対策本部が鉄骨しか残らない凄まじさ、衝撃。彼女の声はいつまでも耳に残っています。
平凡なことが普通に出来ていた幸せに降る被災地の雪 (大船渡市:桃 心 地さん)
そうなんですね、その日の夜からですか雪が降り始めました。毎日が平凡に過ぎていくことの幸せ、思い知らされました。水道、電気、ガスのありがたさも忘れていました。
穏やかな春の日射しにヘリコプターの音のみ聞こゆ震災の街 (いわき市:影山 ふささん)
仙台でも震災後しばらくしてヘリコプターが飛び始めました。晴れた穏やかな日中ヘリの音がよくしたものですが、何のためどこに行くのだろうと一瞬錯覚しそうになりました。ほんとうにM9の巨大地震が起きたのか、大津波が襲ったのか信じられないくらい、一見平和な感じにさせられたものです。
三月十日の火三陸の大津波 (松戸市:大井東一路さん)
奇しくも3月10日の夜は東京空襲だったのですね。そして巨大地震。大津波・原発事故は3月11日の日中に起きました。あの地震の恐怖もう忘れられません。ともに日本人なら忘れてはならない日となりました。