鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

雑紙 資源ナーレ(ラスト)

2018-01-31 14:00:57 | お知らせ

    

                  (午後9時10分頃)

 きょうも朝から飛んでいました、ドクターヘリ?

               

 きのうほどではないですが、今朝方もマイナス4度台と冷え込みました。でもその後は意外と過ごしやすくなっているように感じます。 もうこの時期は喜べませんがね。 節分が終わるまでは厳しい寒さが続くものだと覚悟しましょう。一喜一憂しても空しくなるだけです。

  

          

 今ラジオで言っていました、仙台で4,4度まで上がっているようです。これで日の当たらない路地裏の圧雪された雪(ほとんど氷ですが)も解け出すでしょうね。

 

       

 

 こういう小鳥が分流に居ました。

 空しいと言えば、きのうの新聞ですか、東京都内にネットカフェな見んが4000人と推計されるということでした。 その半分の人たちは失業や退職を機に住居を失ったということです。 なんでもネットカフェで朝まで過ごす人は平日で15,300人と推計し、調査では4分の1の人が住居がないと答えたことから、15,300人の4分の1ということで約4,000人という数字を出したようです。

 かってネットカフェ難民が大きな社会問題となりテレビではしょっちゅう放送されていたような気がしますが、今はそんなに騒がれません。4,000人を逞しいとみるのかいたたまれないと感じるのか・・・・。でもそういう人たちが現にいるということは常に忘れないようにしておく必要があると思います。

 それとホームレスですね。この頃は街中ではほとんど見かけなくなりましたが、居なくなったということはないと考えられません。人目につかないようなところで生活しているのだと思いますが、ネットカフェ難民やホームレスはこれから少しずつでも減少していくのか、週刊誌の新聞広告を見ると、ある週刊誌では日本社会は階層社会から階級社会へ変化しているなんて書かれていましたが、由々しき事態だと思います。

 (資源ナーレの作品)

                (後から見ると、)

 今日の新聞を読んでいて呆れたこともありました。投書欄にあったのですが、東京都で雪が降り積もった日、小学4年の娘さんは校庭での雪遊びを楽しみの登校したものの、帰宅した娘さんに聞いたところ、雪遊びを楽しみにしていた児童が多かったのにもかかわらず、「校庭に出て遊ぶことを先生から禁じられた」とのこと。

 投書した親御さんは、めったに降らない雪が積もったりしたときは雪だるまやそり遊びをしたことが大きくなっても鮮明に覚えていると書いた後、「貴重な機会を子供から奪った学校は罪深いと痛切に思う」と結んでいます。

 まさに投稿者のいうとおりだと思います。私としては無責任といわれかねませんが、東京あたりで雪が降ったり積もったりしたら、授業をそっちのけで校庭で遊ばせろ!校庭で走り回れ!といいたいくらいです。

 これまた昔々の私が小学校の頃の話になりますが、先生は教室内での勉強を取りやめて外でサッカーみたいなことをやらせてくれました。長靴を履いてのサッカーです。サッカーとはいっても、たくさんの子どもたちがボールを中心にして走り回っているだけなのですが、それだけでも今となってもいい思い出となっています。 先生は海軍?の航空隊出身の元軍人でした。そういえば元軍人、兵隊の先生が結構いましたね、昔は。

  (巨大な「不死鳥」です。)

 今朝の新聞で、作家の椎名誠さんが書いていました。「語るー人生の贈りもの」の中でです。「尊敬するカヌーイストの野田知佑さんが『男の子は必ずおやじを捨てるから、見苦しくなく捨てられろよ』と言っていたけど、見事に捨てられました。」

 自分の二人の息子のことを思う時、あの時のあの態度はそういうことだったのか!?・・・なんて思い出しています。今更全く遅いですが。

 また、ミュージシャンの後藤正文さん、「朝からロック」の中で言っていました。「やがて僕たち自身も『自然に還っていく。』僕がこれまでに録音した音楽も鳴りやむ日が必ず来る。 自然のかたちを自在にしようと試みる人間の傲慢さ。音楽の美しさも、そうした傲慢さのただなかに存在している。」

 きょうもいつも楽しみにしている鷲田清一さんの「折々のことば」にはっとしました。いしいしんじさんの『生きているそのあいだ、なるたけ多くの「終わり」に触れておく。そのことが、人間の生を、いっそう引きしめ、切実に整える・・・・・』を紹介した後の解説で、「小さな”終わり”をくり返し”からだの芯へ収める”ことで、中途としての人生にも光が射す。」と。

 いい歳をして情けないのですが、鷲田さんの解説がないと紹介されたことばの意味が深まりません。酷い時には何を言いたいのか?なんて思ったりもしていますから。

 

 資源ナーレにはこういう作品もありました。

 天に昇ろうとする龍のようです。

 

                         

  

 何にしても雑紙から作りだしたアート、資源ナーレ、おもしろかったですね。下の写真は入場するときにいただきました。

  広げると、

 

         

 最後はこうなります。

  そうです、紙袋です。

 このこだわりがいいですね。

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