なんか相変わらずみちのくの北部と北海道の道南一帯は雨に襲われているようで、正直同じみちのくなのにこの違いにピンと来ていません。すみませんが、なんかどこの話しかというような感じが無きにしも非ずで申し訳なく思います。
きょうの仙台の天気も全く変な天気で、今午後3時20分ですが、外は猛烈な雨に襲われています。その前は雷が鳴ったり、曇ったり、雨が降ったりの午後でしたが、止んだのでもう大丈夫かなと思いきやまた猛烈に降り注いできた次第です。
ということで、きょう正午の観天望気です。 天気:曇り、雲量:9割以上、気温:31.8度(昨日32.5度)、湿度:69%、風速:3m/s,不快指数:82 となっています。
午前中はまあ夏らしいいい天気でした。暑かったですね。とても雨が降り出しそうな天気ではなかったです。きょうは誰が何のためにつけたのか分かりませんが「山の日」で祝日なのです。「海の日」は7月で、これはもうだいぶ知れ渡り生活に馴染んできた感じがします。
海の日があるなら山の日も欲しいということで設置されたのでしょうが、それならもう一つそれに付け加えてほしいものがあります。みなさんはもう想像がつくことでしょう、そうです「川の日」です。
かなり前に言われてもう浸透している、浸透しすぎて忘れられたかもしれませんが、『森は海の恋人』という気仙沼のカキの養殖業者のひとが命名したのかな。そして、それにもう一つ書き加えた素晴らしい人がいました。名前は知りません。
『森は海の恋人~川はその恋人』これでこそ山川海と一連の流れがすんなりとつながります。それに倣えば、「川の日」もあってしかるべきかと思うのですが、どう思いますか。
きょう午前中は家族3人でお盆のお墓参りに行ってきました。きょうから盆の入りですか?早めに行ってしまおうと思ったのですが、市民墓地はもう混んでいましたね、結構。葛岡市民墓地(2か所)、北山市民墓地、輪王寺、正楽寺と回ったのですが、ちょうど3時間かかりました。
すべて仙台市内にあるのですが、それでも3時間、市街地にあったらもっとかかったことでしょう。
おとといかな、会議の後でDVDを見ました。石巻の旧門脇小学校の2011年3月11日以降の話しです。大震災の後数か月後の関係者へのインタビューという形式をとっています。みなさんの中にはご存じの方もいるかもしれません。
『3月11日を生きて ~石巻市立門脇小学校・人びと・ことば~ 』ーあの時の記録DVDよりーです。
DVDなのですが、白い壁に大きく映し出して鑑賞しました。今のプロジェクターはびっくりするくらい小型化しているのですね。手のひらサイズなのに以前の大型のプロジェクターとそん色がないというかそれ以上に進化している感じです。
門脇小学校はあの日、大津波に襲われ、火事にも見舞われました。午後2時46分には児童や先生方もたくさん学校にいました。それでも先生方の適切な対応により、既に下校している低学年の児童以外ですが、全員が無事に近くの日和山に移動しています。そして全員が無事でした。
ここまでこう書いてくるとどうしてもこのことも書きたくなってきます。書かざるを得なくなってきます。比較してもしょうがないのですが、ついつい比較して長嘆息してしまいます。そうです、同じ石巻市立小学校ですが、旧大川小学校です。
大川小学校にもすぐ近くに山があったのです。津波が来る前にみんなで力を合わせて裏山に避難することができたはずなのです。子どもたちの声を聴いて採用して先生方がそうしようと決断さえすれば、・・・・。
3月11日の午後2時46分以降に学校で起きたこと、行動したことを先生や児童が語り部としてはっきりと話をしています、一人一人の行動は小さくても、それがいっぱい集まれば一つの大きな教訓・事例となるのですね。
あの日に体験したことを、いろんな人たちがしゃべること、そしてしゃべったことを集めて編集することの大切さを痛感しました。忘れ去られることや風化を防ぐためにも、記録に残しておくということは必要なことです。
校長先生をはじめ、教務主任や先生方のいろんな話し、そして当時5年生や6年生だった児童の飾らない話し、その話はどこかの会議室に全員が集合してのインタビューではなく、その話しの内容に伴う場所での話となりますので余計にその言葉に重みがありますし、実感もできるというものです。
教室、廊下、避難階段、校庭、屋上、学校裏の避難路上、公園、神社・・・。
特に印象に残ったのが、ある先生が言った言葉で、何はともあれ『名簿』の大切さ、重要性でした。集団生活している場合には特にそうなのでしょうね。そして、筆記用具です。
澱橋下流右岸の様子です。親子のようです。
こういうのも見ました。
1年に1回くらいは見るかな、ガの幼虫でしょう。おっきいいです。当著の幼虫なら触れるのですが、大きなガの幼虫は苦手です。