今日の最高気温はきのうと同じ11.1度のようです、目下のところ、今午後3時25分です。ただ、最低気温は今日の方があったかいです。3.4度が5.8度になっています。でも一日中薄曇り、雲が垂れ込めまさに冬空、来週からの寒波を予想させるに十分な重苦しい曇り空となっています。
でも、きょう午前嬉しいことがありました。と書けば受け身の態勢ですが、もっと能動的なもので、夫婦でDIYへ行き買ってきたのです。なにを?メダカです。メダカ5匹を買ってきました。
陽メダカなる一番安いメダカです。1匹60円でした。まずとりあえず一番安い魚にして、このまま順調にいけば少しずつ種類も大きさも増やしていこうかなと思っているわけです。本当に久しぶりなことですので、まずは慣れることからということです。
なんか今月の入ってから夫婦の間で、水槽で魚を飼うかなという雰囲気がじわじわ出てきたのですね。それで妻さんが先に水槽のポンプ等を買ってきて、水槽はあるし、水槽に入れる小石等もいっぱいありますので、それらを洗ってきれいにし、水道水からもカルキを抜いて2,3日ポンプを動かしていました。
そしてきょう午前、いよいよ本物の魚を買いに行ったわけです。と言っても2センチほどのメダカですが。それも5匹。藻も二つ買い、エサも買いました。今は元気に大きめの水槽の中で動いています。泳ぎ回っているとまではいえません。
でも、不思議ですね。こんな小さな生き物ですが、5匹を飼うことになって、一気に生活にメリハリがついたというか、嬉しくなって、元気に動いているか何度も確かめに行くようになりました。どんなに小さくても生き物を飼う以上責任をもって最善を尽くして飼いたいですしね。
そのうちうまく写真が撮れたら当然このブログで紹介します。嫌です!と言われても紹介します。以前飼っていた金魚、その後のハヤとかオイカワを飼っていた時もいい写真を撮ろうと腐心したものです。
当面はあまりエサを与えないようにして様子を見ていきたいと思います。今までもエサを与えすぎて失敗しているようですので。まあ、暖かく見守るということですね。
何げなく、ブログを書き出す前に今日は何の日カレンダーを見たら、三無事件なる軍事?クーデター未遂事件が起きていました。73歳になりましたが、お恥ずかしながら三無事件は知りませんでした。
1961年昭和36年の12月12日に発覚したクーデター未遂事件です。1961年と言えば、中学2年生のときか。中学1年の時は昭和60年の安保闘争が激しく燃え上がったことは記憶にあります。また今の上皇夫妻の結婚式があった年だったとおもいます。
元会社社長川南豊作、元陸軍軍人小池一臣、元海軍軍人三上卓(5・15事件の被告です)らが、イケダハヤト内閣の閣僚を含む政府要人の暗殺や国会・警察の襲撃を企てた事件のようです。
なぜそんなクーデターを計画したかですが、このままでは日本に共産主義革命が起きてしまうという右翼の危機感から、池田内閣では共産主義革命を阻止できないので政府要人等を襲撃しようとしました。
(この小鳥の写真は2,3日前の撮影です。)
旧陸士59・60期の軍人の集まりである「国史会」の動きを警視庁が分析した結果発覚したとか。襲撃する武器はライフル銃が中心で、計画はかなり粗雑であったようです。
なぜこのクーデター事件が三無事件と呼ばれるのか、中心人物の川南が主張していた「無戦争・無税・無失業」の三無主義に共鳴していたからとか。この三無自体は、実現したら素晴らしいですね。それこそ夢のような共同体が形成されそうです。
この事件にはじめて破壊活動防止法が適用されました。いやはや、知らなんだ!お恥ずかしい。昭和36年にこういうクーデター未遂事件があったなんて。三島由紀夫の楯の会の自衛隊市谷駐屯地乱入事件は1970年昭和45年の11月25日に起きています。たった9年しか違わないのですね、いやあびっくりです。
三無事件と聞いたら旧仙台藩の人間なら当然思い出すことでしょうね、林子平を。こちらは三無どころかその倍の ”六無” です。
『親も無し 妻無し 子無し 栃木無し 金も無けれど 死にたくも無し』
寛政の三奇人:高山彦九郎 蒲生君平 林子平