(雨に霞む市街地のビル群もなかなかいい眺めではあります。)
きょうも朝から梅雨空、梅雨寒の天気です。非常に細かい霧雨が自由気ままに降っています、風とコラボして勝手気ままに降っています。こういう霧雨は濡れるのです、とっても。垂直に降ってくれる雨の方が意外とそんなに濡れません。 要は始末に負えない嫌われ雨、ということになりますか。雨には責任はないのですが。
例によってラジオを聞いていますが、(今(午後1時45分)は珍しくNHK第1放送です。いつもは東北放送かNHKFMが多いです。)こんなことが許されるのでしょうか、何となんとナント南の隣県の会津若松市の気温は 31.3度 と言っていました。
午後2時前での仙台の最高気温は 22.3度(午後0時55分記録)です。9度も異なります。羨ましくなりますね、羨んでもどうしようもないのですが。でも正直羨ましいです。会津と言えば鮎が釣れる会津大川が流れています。
昔何回か行ったことがあります。がまかつの鮎釣り大会では2回ほど言ったかな、ブロック大会だったような気がしますが、いまとなってははっきりしません。余程のことがない限り、会津は遠いですから行きません。会津大川といいながら、とても大川とは言えないじゃないか、どこが大川なんじゃい!!突っ込みを入れたくなる川でした。
日釣り券が昔でも2000円を超えていて””高い””というのが実感でした。その分たくさん掛れば文句はないのですが、これまた鮎はどこにいるのじゃい!!どこにおるのかい!!と突っ込みたくなります。
みちのくのホープ希望のまち、会津に対して失礼であることは重々承知の上で、こと鮎釣りに関してはガッカリする川でした。
仙台も霧雨、小雨で一向に構わないのです、蒸し暑くさえあれば。水温が20度を超えてくれれば。とても川に入る気にがしないから困っているのです、ウジウジしているのです。いい歳をして・・・・お恥ずかしい限りですが。
(水温は一九度でした。)
(分流にカモが4羽いました。)
そうそうきょうは何となんとナント”大暑”なのです。これまたどこが大暑なんじゃい!!と突っ込んでしまいたいです。 『桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)』(日本の旧暦と七十二候より)大暑も大暑らしくないままに終わってしまうのではないでしょうか、もしかして。
まあこういう状況の中で再度繰り返しますが、痛快だったことは参議院選挙の宮城県の選挙結果が戦後最悪最凶の安倍自民党の支配下にある愛知次郎を落選させたことですね。この際再度このことを喜んで少しは鬱憤を晴らそうじゃないですか。
愛知次郎は独裁者安倍晋三と同じく選挙・政治家で代々飯を食ってきたというか財産を築いてきたというべきでしょうか、政治を三代に渡って食い物にしてきたという表現がピッタリか、そういう家柄です。(私は政治家の世襲制は大反対です。これに関しては職業選択の自由は該当しません、世襲の弊害を考慮して、また新陳代謝を図るべく、該当させるべきではありません。)
初代の愛知揆一は自民党の大物議員で、大蔵大臣もやったことがあるのかな、子どもの頃の話ですが、その頃からいい悪いは別にして名前を知っていました。それだけ活躍、活動していたわけです。活躍が目立っていました。存在感がありました。
二代目の愛知和男はこれまたいい悪いは別にして目立った人物でした。ということはいろいろ動いていたということでしょうね。厚生省の局長で辞めて仙台市長選挙に立候補したりしたのではないかなと思います。でも当時の島野市長には勝てず国会議員(今「giin ぎいん」を変換したら偽院・偽員という漢字が出てきました。上手い変換だなと思った次第です。)として生きることにしたのではないかと思います。
揆一・和男とここまではそれなりにというかかなりと言ってもいいくらい政治家として活動していた、動き回っていた記憶に残る政治家でしたが、次郎は生きていたのかさえ知らないくらい目立たない、活動していない、員数合わせだけの、どこにでもある誰でもいい一つの駒としての存在でしかない金太郎飴が選挙だからといってのさばるなんて許せることではありません。
所詮はどうしようもない食いつぶしだけの三代目ということです。こんな輩は落選して当然です。新聞によるとこんなやつを当選させるべく中央から安倍は二回、菅は三回も応援にかこつけではない駈けつけてきているのです。痛快です、痛快極まります。
名門?の出なのに中央からの大物の応援がなければ当選できないような輩は潔く辞職すべきです。この辺で議員を辞職したらどうでしょうか。若手の第三者に道を譲るべきです。そういうことを決意したのなら褒めてつかわしてもいいかなと思います。もう愛知揆一の力は利用できないのです。