小野田寛郎さんが91歳で亡くなったそうです。 小野田さんも先に亡くなった横田庄一さんも、ひとりになっても生き続け戦い続けました。 その精神力にはただただ感服するだけですが、また逆にそこまで体に浸みこんだ、浸みこませられた軍事精神というものの恐さというものを改めて実感させられました。 生きて虜囚の辱めを受けずという軍人勅諭が骨の髄まで叩き込まれたということなのでしょうか。 ご冥福をお祈り申し上げます。
小野田さんが上官の命令により武装解除しましたが、小野田少尉は一人ではなく、確かその少し前に、一緒に隠れてゲリラ戦を展開していた部下がフィリピン軍との戦闘で打ち殺されてしまいましたね。 29年前のことになりますが、そのことを聞いて何ともやりきれない気持ちになったことは覚えています。
安倍晋三にとって横井さん、小野田さんこの二人はどのように映っているのでしょうか。 戦前回帰を目論む安倍にとってはまさに軍人精神の鏡と映ったのでしょうか。であればいくら戦後生まれとはいえ、A級戦犯岸の孫とはいえ、こんな輩を日本国の総理大臣にもっていることが、愛国者である私として情けないことを通り越して、悲しくてやり切れません。
(こんなにいい朝焼けだったのに・・・今朝7時10分頃)
やりきれないと言えば、またしても、ああ またしても、です。 何が起きたか?察した方は偉い! そうです、またしてもやらかしてしまったのです。 でも正確には「やらかした」というほどのことではなく、普通に動いていたら「なってしまった」というのが正しいですね。
そうです、きのうの午後ですが、街に出かけようとして自転車のバッテリー[電動自転車というのかアシスト付自転車ですか、もういまではすぐバッテリーが上がってしまうのです。)を濡れ縁に置いたときに???となってしまったのです。 それでも玄関から靴を履いて出かけようとはしたのですが、ますます左側の腰が重苦しく感じてしまい、これはやめておこうと思った次第で、それならは早めの手当てが肝心と思い、車でいつもの整形外科へ向かいました。そういうことがあったわけです。
(きょうの11時10分頃)
考えてみると去年の1月の20日過ぎにも腰を痛めてしまいました。 一年前と比べると軽く感じるのが幸いです。
でもきのう受診してびっくりしたことがあります。 今まで外科・整形外科のかかりつけ医としてありがたがっていた診療所が先生の都合で1月で休診ではなく廃院してしまうというのです。 ショックでした。 とってもいい先生で、ややお年を召してはいますが、ちゃんと話を聞いてくれますし、的確に答えてくれますし、先生の言葉には信頼できる要素がありました。看護師や事務の人にも丁寧に対応していましたし、つまりは信頼のおける先生であったということです。
診察は22日でお仕舞いとなり、その後は調剤の処方箋のみ行うということです。 今先生は紹介状を書くことに忙しいようです。 介護保険の審査委員もしていました。
私の腰は一年に1回以上は、なぜか気まぐれにむくれてしまうので困るのですが、これからはどこに通院したらいいか悩み迷っているところです。 この先生には我的太太が指を切った時も時間外に診てもらいましたし、何といっても忘れられないのは東日本大震災の翌日か、ペットボトルの水を配っているときに腰を捻ってしまって、寝込んでいる暇がなかったので、次の日の朝早く受診をお願いしたところ快く応じてくれて、近くの薬局までいって薬の手配までしてくれました。 そういう思い出がある先生です。
きょうは土曜日ということで午前中の診察でしたが、腰を温めて電気を掛けてくると、帰りはもうばっちり、完全に治ったかのように思うくらいに快適に歩けるのです。 だから分流等の写真も撮れました。 でも現実にはそう簡単には完治はしません。 3,4日は掛かることでしょう。
治療が終わった後、心配になって先生に聞いてきました。 腰が悪いと寝たきりになるのでしょうか?と。 そしたらそんなことはない、寝たきりになるのは 脳からの指示というか脳の機能が衰えるからで、腰回りが弱いからと言って寝たきりになることはないと言ってもらえました。 まあ、一生末永く付き合っていかなければならない腰痛ですが、気分は軽くなりました。
みなさまも中腰等での動作はお控え下さりませ!!