お昼前の中島丁公園の銀杏の大木です。
今日のトピックス;我が家の干し柿、去年の三分の一以下の収穫でしたが、去年よりも遅く取り込み皮をむいて干しましたが、外では多分ハクビシンかと思うのですが、貴重な3個を食べられてしまいました。
その後は2回の日当りのいいところに干していました。中はトロッとしていて食べ頃と判断し、取り込みました。と同時に遠方に住む姉妹に少ないですが、送りました。我が家で食べられるのは10個もありません。
少ないからこそ分けることが貴重なことなのでしょう。柿は一年置きに多寡を繰り返すとか言いますので、来年は豊作になることでしょう。去年は100個以上も実りました。とっても貧弱な柿の木なのですが、毎年実をつけてくれます。ありがたいことです。イチジクといい柿といい毎年実ってくれるのは嬉しいですね。
どうですか?美味そう?
きのうの徹子の部屋は面白かったですね。絵が。
徹子が徹子と話しているということ。二人は約80歳歳が離れています。 清野菜名さん、23歳です。
「トットちゃん」はNHKの俳優のオーディションを通過していよいよ正式採用となりました。6000人から10人くらいまで最終的には絞られました。他の人にない自由奔放な個性が売り物、自分よりも周りの人がその貴重さに気が付いているわけです。これからの展開が楽しみです。
(午前9時過ぎ)
きのう大川小津波訴訟の控訴審の進行協議がありました。でも残念な結果がありました。それは先生で唯一生き残った教務主任の先生の証人尋問が見送られたという点です。私としては教務主任の件についてはこのブログで何回も書いていますが、何としても生き証人として記憶していることを特に遺族に対して伝えるべきだという立場です。
裁判となりましたので、証人喚問でも尋問でもとにかく公の場所に出て記憶していることをはっきりと伝えるべきです。 そうすることが生き残った唯一の大人として、先生として、教務主任として責任をはたすことになると考えます。先生だって公の場に出てきて発言した方が精神的にも楽になるのではないかと思わないでもないです。
そうしてはじめて亡くなった74人の子どもたちや教職員10人への弔いとなると思っています。逆に言えばそうしない限り子どもや教職員の鎮魂はあり得ないと思っています。 親たちが裁判を起こしたというのも、そうでもしない限り先生は出てこない、出て来れないだろうということ、本当のことが分からないという思いからでしょう。
医師の診断書が都合よく利用されているような気がしてしまいます。日馬富士の暴行傷害事件と似たような気がします。
裁判所や行政側は本当に真相を究明しようという気持ちがあるのかはなはだ疑問です。イライラします。これは国も同じで、”かけそば”事件というか問題でも歯がゆいのは、肝心の人達の証人喚問等が行われないからです。
加計問題では、当事者を呼べばいいのに、そうしないで、ああでもしこうでもないと延々と一方は責め立て一方は逃げに終始している情けない言論の府の国会の現状があります。 加計幸太郎と安倍晋三の二人です、極めて灰色に近い黒は。
本当に真相究明、原因究明したいというのであれば、この二人をこそ証人喚問に付して正々堂々とやり合えばいいだけです。そうしたくてもしないのは出来ないのは、ひとえに自民党でしょう。自民党さえOKすれば白黒ははっきりするはずです。
普通に考えれば誰だって中心人物を呼んで事情を聴くなりして事実を究明するのが筋であると考えるでしょう。でもそうしようとしない。マスコミもあまり騒がない。どう考えたっておかしいし、本当に事実を究明しようと思ってはいないのだなと思わざるを得ません。
国民が知りたいのにそうしようとはしない政党が、国会の質問時間を与野党5:5にしろというのですから呆れてものが言えません。これは自民党が野党時代に要求したことを覆すのが怪しからんというのではなく、まともな質問ができるのか?と心配するからです。
やらせの質疑応答なんて、そんな茶番劇は見ておれません。ヨイショし合っての、自画自賛同士の質疑なんて唾棄すべきものです。地元の支持者に国会で質問したのだと自慢したいだけでしょう。言論の府なのに言論を封殺しようとしている、自由民主主義にまったく反することを行おうとしているのです。
反対意見こそ重宝すべきなのです。反対すると対案を出せと言う意見もありますが、それは反対意見を封じるためのものであり、極端ではありますが、反対のための反対でも構わないと思っています。
また質問主意書という制度があるのに、自民党の議員からは1件もないとこの前テレビで言っていました。480件近くの質問主意書が出されたようですが、与党からは1件もなかったといいます。