今日は11月30日、きょうで霜月もお仕舞で、あしたからは師走です。あと1週間くらいは「小雪」が続きますが、その後は「大雪」がやってきます。師走で、大雪とくるといかにも年末で雪の時期を迎えるという感じになってきますね。
日本列島では、相変わらずコロナ禍が止みそうにないですし、年末年始を迎えるというのに、いったいどうなってしまうのでしょうかね。毎日新聞で県別の「新型コロナウイルス感染者」を見ています。
この前ですが、一つ発見しました。47都道府県で唯一感染者が出ていなかった岩手県です。28日午後9時現在の統計では、岩手県の感染者は183人です。死亡はひとり。その数字は、秋田県の90人、山形県の122人を大きく抜いています。いつの間にか逆転していたのですね。秋田県、山形県ともに死亡者はひとりずつです。
お昼のニュースではコロナの予防ワクチンについて話していましたが、製薬会社3社から日本は1億4500万人分のワクチンを調達するようです。なんかそのワクチンさえ摂取すれば、もうコロナは怖くはないという感じがしましたが、本当にそうなればいいのですが、・・・・。絶大的な救世主となれるのかどうか、・・・。そううまくいくのかどうか、・・・。
きのうの朝日新聞に同志社大学の学長の話しが一面に載っていました。同志社大学の全面広告なのですが、今回初めて同大学の学長に女性(植木朝子さん)がなったということでしたが、同志社大学と言えば、思い出されるのは、創始者の新島襄、そしてその妻八重ですね。旧姓は山本八重です。NHKの大河ドラマ「八重の桜」でしたっけ、懐かしく思い出されます。
会津若松城での籠城戦。八重の鉄砲での応戦する姿、思い出しますね。綾瀬はるかさん、凛々しくカッコよかった。テレビ後も福島・会津とは交流を続けているようで嬉しいです。実をいうと私も綾瀬さんと過去に共演しています。「海街ダイアリー」ですね。丸森のロケ現場でアイスをごちそうになりました。(再掲)
会津出身の女性というと、この前26日ですかNHKのBSで放送していました、大山捨松さんもすごい人です。旧姓は山川咲です。題名も忘れましたし、再放送だったかと思います。山本八重は1845年生まれ、山川咲は1860年生まれで15歳離れています。
でも山川咲は10歳の時に、明治政府がアメリカに派遣した女性5人のうちの一人として、アメリカでホームステイして勉強してくるわけです。11年間という長い留学経験が帰国してからの彼女を社会改革に進ませます。
その前に、若くしてアメリカに留学ということで、両親は咲をもう捨てたつもりで待つということで、捨松という男のような名前になりました。22歳の時に陸軍の軍人大山巌(当時40歳)と結婚し、それから人脈もできて活動の範囲が広くなり、アメリカで勉強してきたことを日本に根付かせました。
うまく表現できないのが辛いところですが、英語を駆使して鹿鳴館の華として活躍もしたようですし、日本初のバザーを開いて、今でいうと1億円も集めたらしいですし、それを元手にして看護専門学校をつくったりもしたようです。
それまでは日本では、看護は男の仕事であったようですね。驚いたのは、夫婦間で夫を巌(いわお)と下の名前で呼んでいたとか。時間が経ってしまったこともあり、上手く紹介できません。スミマセン。番組の締めくくりは、「未来と平和は女性の中にある」(磯田道史)となりました。
要は、会津からは賊藩といわれながら素晴らしい女性たちが日本社会で活躍したということです。