写真は宮城県知事公館の正門です。昭和46年に県の有形文化財に指定されています。
知事公館は、私は子どもの頃から親に「佐久間さんの坂」ときかされてきた坂の上にあります。出勤途上にあります。家から歩いて10分くらいのところですか。
なぜ「佐久間さんの坂」か。何でも大日本帝国陸軍の第二師団長である佐久間師団長がこの庁舎に住んでいたからというわけです。日中戦争の初期の段階で第二師団がが戦果を挙げて、凱旋帰国(帰仙)した時の写真は見たことがあります。
この門は、とっても風格がある門構えで、周囲の桜並木に溶け込んでいますが、陰が薄くなっているというのではなく、時の経過とともにますます威風堂々としてきているように感じます。
それもそのはず、門は旧仙台城の門ですから。写真の左側に説明文板が立っています。
それによると、切妻座?造の四脚門で、規模は小さいが豪壮さをもつ。仙台城にあった門を、大正年間に第二師団長官舎の正門としてこの地に移築。仙台城の数少ない遺構。幕末の建築であるが、どこにあったかは不明、ということです。
桁行4.54m、張間1.53m、
屋根幅7.40m、棟高さ6.08m
知事公館ではありますが、ほとんど使われているのを見たことはありません。まあ、朝が早いからかもしれませんが。今では、少しでも収入を増やそうと、結婚式等にも貸し出しをしているようです。眼下に広瀬川を望むことができて、見晴らしは抜群です。
その昔(またもや昔話ですが)私が小学生だった頃、悪がきどもと行ったことがあります。その時はどの部屋に入っても、庭で走り回っても中の大人から全く文句は言われませんでした。なんでかなと思ったりしていましたが、後で分かったことはその当時は、ここが県の児童館だったということです。
なんだ、そうだったのか、それなら子どもが主人公だし、どこで遊んでも怒られなかったはずだと納得したものです。行った頃は、そんなことも知らずに中に入って遊んでいたのでしょうか?そういう自分も何か変な気がしないでもありません。
敗戦後すぐには、米軍の将校が住んでいたのではないかと思います。かなりの洋館という感じがしましたから。
そうそう、この建物の石垣の下からは湧き水が出ていました。当時は飲むことができました。いつしか小さい湧き水は埋められてしまいましたが。
この知事公館からほぼ東に200メートルくらい行ったところにある門が、昨日お見せしました門構えです。その門からさらに少し南下したところにも、このような門構えがありましたが、写真を撮りに行った時には、きれいに取り払われて、ビルの基礎工事が始まっていました。
ここまでそういう門構えが続いているというのは、壊すに壊せないという、伝統の重みとでも言うのでしょうか、歴史の重みが手をつけることを拒んできたのでしょうか。
国宝であったという仙台城の大手門は7月9日未明から10日にかけての米軍による空襲で灰燼に帰してしまいました。
そもそも第二師団が駐留していたことがよくなかったのでしょうが。