鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

ひと雨降ると、

2018-08-10 17:21:02 | 思いつくまま

  

              (午前8時50分頃)

 きょうは朝から暑く、午前中早くから30度を超える天気。これは予報どおりとても暑くなるかなと思っていましたが、午後3時前頃かなり強い雨が一時的に降ってくれたおかげか、一気に気温は、体感気温は下り過ごしやすくなりました。

 

 いわばにわか雨ということでしょうか、ありがたいですね。そういえばこの頃はいわゆる”にわか雨”は降らなくなったのではないですか。にわか雨は打ち水のような効果を与えてくれます。そうですね、やはり昔のようにはにわか雨が降らないような気がします。これも異常気象、温暖化のせいでしょうか。

         

 広瀬川はだいぶ水は引いてきましたが、まだまだ釣りができるような水量ではないです。大体濁っていますし、川底の石のコケは飛んでいるだろうし、このままいい天気で推移してくれれば来週の中頃には ””もしかして”” 何てことが起きないかなあとは思っている、願ってはいるのですが、果たしてどうなることやら。

 

 何かすっかり広瀬川も小国川も鮎釣りからは見放された感じで、今年の鮎釣りはもう終わってしまったかのような錯覚に陥ります。そして正直に言えば、気持ちも落ち着いています。半ば諦めの心境となっています。もう無理だろう、と。

 

 落ち着いているというのはうそだな、もうやけっぱちになっているというのが正直なところです。もうどうにでもなれ、どうなってもかまわない、驚かないという心境です。この時期からそんな気持ちになるなんて、ここ何十年とないことではないでしょうか。

 

 まあまったくひどい話です、今年の広瀬川の鮎釣りは。悲惨そのものです。残酷です。

 

 

 

 

 水温も大雨の前と比べるとかなり冷たく感じます。これで完全にリセットできて、これから広瀬川の解禁日を迎えるということになれば、もしもなってくれたら嬉しいことこの上もないことです。

    

  昆虫は生まれています。

          蛾だって生きています。   

  仲良し蝶々

 

 広島と長崎で6日と9日に平和祈念式典が行われたわけですが、そこで歌われている歌です。お恥ずかしい次第ですがはじめて目にしましたので、みなさまにも一目通していただきたく掲載します。

 

「ひろしま平和の歌」  

      作詞:重園贇雄(しげぞの よしお)

       作曲:山本 秀(やまもと みのる)

1 雲白く たなびくところ

  空のはて 東に西に

  おお高く こだまひびけと

  鐘は鳴る 平和の鐘に

  いまわれら 雄々しく起ちて

  その栄え ここに興さん

 

             2 波青く たゆとおところ

               海のはて 南に北に

               おお遠く 祈りとどけと

               鐘は鳴る 平和の鐘に

               いまわれら 試練を越えて

               その行手 ここに仰がん

 

3 風清く かがやくところ

  国のはて 世界の友に

  おお熱く 想いかよえと

  鐘は鳴る 平和の鐘に

  いまわれら 手をさし伸べて

  その睦み ここに歌わん

 

  長崎では二つの歌が歌われたようです。被爆者合唱と児童合唱が次第にありました。

    被爆者合唱  「もう二度と

                  作詞・作曲 寺井 一通

1 聞こえていますか 被爆者の声が

  あなたの耳に 聞こえていますか

  もう二度と作らないで わたしたち被爆者を

  あの青い空さえ 悲しみの色

 

            2 覚えていますか ヒロシマ・ナガサキ

              いのちも愛も 燃え尽きたことを

              もう二度と作らないで わたしたち被爆者を

              あの忌まわしい日を 繰り返さないで

 

3 聞こえていますか 世界の国から

  平和を願う 声がするでしょう

  もう二度と作らないで わたしたち被爆者を

  この広い世界の 人々の中に

 

       児童合唱  「あの子

                     作詞 永井  隆

                     作曲 木野普見雄

1 壁に残った      らくがきの

  おさない文字の    あの子の名

  呼んでひそかに    耳すます

  ああ あの子が生きていたならば

 

                 2 運動会の       スピーカー

                   聞こえる部屋に    出してみる

                   テープ切ったる    ユニフォーム

                   ああ あの子が生きていたならば

 

3 ついに帰らぬ     おもかげと

  知ってはいても    夕焼けの

  門に出てみる     葉鶏頭(はげいとう)

  ああ あの子が生きていたならば

 

 広島とほぼ同じことをあいさつとして喋った後、被爆者団体との面談に臨んだデンデン宰相は、あいさつ同様あくまでも日本の役割は「橋渡し役」だとのたまわって失望させています。

 『毎年答えは一緒で心がこもっていない。唯一の戦争被爆国である日本しかできないことは、核兵器廃絶の先頭に立つことではないのか』

 『核保有国と非核保有国の間を取り持つと言うが、対米追従だけで言っていることとやっていることが全然違う。』 

 

 

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