日頃なんとなく不思議に感じるんですけど、
パソコンの寿命って短すぎると思いませんか?
今は10万以下でも十分なスペックのノートが手に入りますが、
昔は20万以上のノートなんてザラで、
でも3年くらい経つとじわじわと病に侵され、
原因不明のまま突然死亡したり。
でも原因がわからないから責める先もわからず、
泣き寝入りすることが多いです。
普通20万もする品物が3年で壊れたらやりきれないと思うのですが。
OSもソフトも勝手に進化して「もうサポートしません」宣言。
それに人間だもの。 やはり新しいものは欲しくなる。
自分はメールとネットとOfficeくらいがあれば用が足りるので
Windows98だろうがOffice2000だろうが動けば使うだろうけど、
原因不明な不具合を起こされると、なかなかつながらないサポート
デスクでたらい回しにされて、心理的に疲労困憊させて
購買意欲をかき立てる意図ではないかと勘繰ってしまう。
アンチウイルスソフトにしても、一体誰が毎日毎日あのような
スパムメールの配信や新型ウイルスの開発をやってるのだろうと
思うのですが、この人たちがいないとアンチウイルス会社は
儲からないわけで、するとソフトメーカーおかかえのハッカーが
何万人も存在するのではないだろうか?と思ったり。
電化製品が全般的に高機能になったのはいいのですが、
メーカー各社は半永久的に機能する商品を生産する技術力を
実は持っているのに、3年~5年サイクルで壊れるように
作りこんでいる気がしてならないです。
修理代もプラスαで新製品が買えるくらい高いし。
じゃないと商売にならないのでしょうけれど。。
法律にしても社会状況の変化に従って法律が制定または改定される
のは当たり前だと思うのですが、十分な状況把握や弊害が
検証されないままに施行されるので、企業も民間人も
ただ義務的に法律に従って、本来の意図するところから離れている場合も多い。
法律が1つできると、産業指数などにどの程度影響があるのでしょうか。
商業は発展していくものだし、そのライフサイクルの短さについて
一概に否定したいわけではないのですが、
なんとなく踊らされてる感じがすることも。

CC読書日記
「自分をさがして旅に生きています」 吉田ルイ子
フォトジャーナリストとしての彼女のルポルタージュを
20代前半に読んだとき、かなりインパクトを受けた。
60年代後半~70年代初頭のニューヨーク・ハーレムに暮らし、
差別社会で逞しく生きる黒人たちをビビッドにとらえていて
時代のエネルギーを感じる。
自分を探す旅といっても目的のない、他人まかせの自己発見の旅ではない。
「
ハーレムの熱い日々 ~Black is beautiful」も思い出の本。