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eラーニングに関する情報、つれづれなる日々の写真日記

アンリ・カルティエ=ブレッソン

2007-10-01 | 写真

マグナムの創始者かつ構図の天才と謳われた20世紀を代表するフランスの写真家。
「カルティエ=ブレッソンのグレー」といわれる彼がみずから焼いた
ヴィンテージプリントの柔らかなグレー色はとてもやさしい色調。
単にモノクロ写真と分類するにはしのびない。

カルティエ=ブレッソンのファンは多いと思うが私もその一人。
少年時代は画家を目指しデッサンなどを学んでいたのが高じてか、
のちに「構図の名人」と呼ばれる所以となる彼のフレーミングは
実に絵画的で詩的。写真が1枚の絵みたいなのだ。
 
背景と人が完璧な構図になるまで根気強く待ってとらえた決定的瞬間を
芸術的センスでフレーミングした作品の数々。
息をひそめてシャッターチャンスを待つ写真家の息遣いが聞こえてくる
ようで、その緊張感はやはりアナログならではの気がする。

モノクロしか表現手段がなかった時代だからこそ
こんなに叙情的な写真が撮れたんだろうか。
好みの色合いに仕上げる露光の絶妙なタイミングも想像すると
やっぱり写真は奥深いなあと感じずにはおれない。

彼の親友には、同じくマグナムの写真家エリオット・アーウィットや、
ロベール・ドアノー、画家のアンリ・マチスや彫刻家のアルベルト・ジャコメッティ、
映画監督のジャン・ルノワールなどが名を連ね、そこに相関図があったとは
知る由もなかったがどれも好きな芸術家たちなのは偶然なんだろうか?
シュールレアリスムの影響を色濃く受けているらしいが、
ダリやミロの絵画に見られるような非現実的な深層心理ではなく、
それは写真があるがゆえに現実味があって温かい。

8月まで九段の東京国立近代美術館で開催されていた彼の回顧展、
知られざる全貌」を見逃したのがかえすがえす残念。
絵や音楽同様、写真もナマで見ると印象がガラリと変わりますよね。

Martin Parrトークショー

2007-07-14 | 写真

イギリスを代表するフォトグラファーであるマーティン・パーの写真展、
Fashion Magazine」が東京都写真美術館(恵比寿)で開催されている。
今回は、この写真展にあわせて来日した彼の作品解説付きトークショーが
あるというので出かけてきた。

ヴィヴィッドな色彩がまず目に飛び込んでくる。
「Fashion Magazine」というタイトル通り、ファッショナブルな洋服を身に付けた
女性や、宝石をまとった野菜など、撮られた対象たちはあくまで華やかだ。
しかしよく目を凝らすと、それらは単なるファッション写真ではなく、
ひとつ残らずして彼特有のアイロニーやウィットを反映していないものはない。

セネガルの行商人の青年が1ドルに満たないようなジャンクを山盛り抱えて
いる中に、800ドルもするシガレットケースを混ぜてみる。
もちろんフェイク、それは非現実ながら、その情報を知らなければ
その写真はジャンクを抱えたセネガルの行商人、としか映らない。

数十万ユーロはするような高価なジュエリーを身に付けた老婦人たち。
広告写真でそのような宝石を身に付けているのは若くて美しいモデルなのが常識だ。
しかし現実の世界では、そうしたジュエリーを手にすることができるのは
ごく限られた上流階級の年配の女性であったりする。

彼の写真観を貫くコンセプトに「Wealth(富)」があるという。
80年代イギリスの労働者階級の文化の激変とその中の大衆の不安を
経験していることが意識の根底にはあるのかもしれない。
貧困にフォーカスをあてたフォト・ジャーナリストは数多くいれど、
逆に富をシニカルにアイロニカルに表現した写真は珍しい。

ファッション・デザイナーのポール・スミスは自身のデザインの服を提供し、
マーティンのアイロニーを逆にポジティブに受け入れ写真展などでコラボレートしている。

世の中の常識を、暴力的にではなく、あくまで淡々と揶揄しながら
ソフィストケートされた世界がとても魅力的だった。

写真家から直接撮影裏話を聞くと、作品が全然違って見えるものだ。

「昭和」 写真の1945-1989

2007-07-05 | 写真

東京都写真美術館(恵比寿)で開催中の「昭和」を振り返る4部作

希望と躍動に満ちた昭和30年代を中心に、戦後の復興の時代から高度成長期を
経て、昭和天皇崩御で終焉を迎える約45年間を当時を代表するフォトグラファー
たちが独自のカメラワークで時代を敏感に切り取る。

第1部の「オキュパイド・ジャパン(占領下の日本)」では、
昭和20年代の戦後の日本を展示した。
廃墟の銀座、米軍占領下でそこかしこに英語の看板のある街並、
戦争孤児たちの、いたいけで逞しい姿。
東京駅で満員列車にしがみつく復員兵たち。
軍靴で胡坐をかきバーで談笑する太宰治。 血のメーデー。
誰もがしがみつくように生きていて、時代の呻きが伝わるかのようだ。
時代が動く背景には、いつもドラマがある。

現在は第2部「ヒーロー・ヒロインの時代」を展示中。
スターがスターであった時代。
王や長嶋、力道山。高倉健に石原裕次郎。松下幸之助に本田総一郎。
限られたメディアの中で目にする彼らは、遠い憧れの存在だったに違いない。
自らの主体性よりも、遠い存在の彼らに対する憧景に存在意義を
映し出していたのかもしれないなと想像したりする。
定年を迎えたお父さん、お母さんたちは「あの時代はよかったなあ。」なんてつぶやいたりしそうです。
ポートレイトフォトなど、写真の撮り方も多様化してきた時代なのでしょう。

今後、第3部「高度成長期」、第4部「オイルショックからバブルへ」と続き、
12月初旬まで順次開催されます。
昭和生まれの方も平成生まれのあなたも一見の価値ありです。


CCつれづれ日記

来年には平成生まれの人は成人式を迎えると思うと
時の流れというものは・・・とつくづく感じる。
平成の回顧展が開催される頃、地球はまだ青いだろうか?

世界報道写真展

2007-06-25 | 写真

恵比寿の東京都写真美術館で開催中。

毎年開催されているこの写真展は今年で50回目を迎えた。
世界各地124カ国、4400名以上のフォト・ジャーナリストたちによる
約7万8千点の応募作品の中から、事件・紛争・スポーツなどのジャンルごとに
選ばれた入賞作品を含む数百点が展示される。

チラシの表紙を飾るのは大賞を受賞したアメリカのスペンサー・プラット氏の写真。
イスラエルのレバノン爆破で破壊されたベイルートの町を通り抜ける若者
をとらえたもので、イスラエルの爆撃で壊滅的被害を受けた瓦礫の町を
赤いオープンカーに乗り、鼻をハンカチで覆ったり、
携帯に写真をとろうとしたりして通り過ぎる。

一見なんてことはない写真のように見えるが、
爆破された町、赤いオープンカー、逃避するこぎれいな若者、
などの対比が妙に現実的で生々しい。

戦場の報道写真というと廃墟そのものや、重傷を負った兵士などが
クローズアップされて報道されがちだが、
ニュースでは映らないこうした風景を切り取るのが
報道写真のおもしろいところだ。

写真展のサブテーマは、
 ―地球上でおきている、この瞬間を忘れないように―

アフリカ難民、中東紛争、独裁政権、貧困、飢餓などの報道写真は
やはりショッキングな場面の数々なのですが、
目をそらしてはいけない気持ちにさせられます。

たとえば南米のグアテマラ。コーヒーの産地くらいの知識しかなかった。
毎日2名の割合で女性が残忍な方法で強姦・殺害されている。
信じられないことに政府や自警団が絡んでいる説もあり、
犯人の検挙に警察は消極的でほとんど放置されているという。

最近日本もたいがい物騒ですが、1年間に殺人事件で亡くなる
人の数は1500名もいるそうです。かなり怖い。
しかしグアテマラでは人口は日本の10分の1以下なのに、
殺人の発生率は日本の4倍。40倍以上の発生率。

同写真展では東京の風景もあった。
テーマは、通勤や深夜残業で疲れ果てて飲み過ぎ、
路上の電柱に寄りかかって立ち寝する「孤独な男たち」。

暗い写真ばかりではない。
ネイチャーフォト部門は生命力を感じるし、
ワールドカップでのジダンの頭突きショットも。

8月5日まで開催中。

DEAN&DELUCAのカメラバッグ

2007-06-05 | 写真

といっても、本当はカメラ用のバッグではなくてクーラーバッグ。
あるサイトでカメラバッグとして使うのにちょうどいいというのを見て
早速真似してしまいました。
確かにクッションぽい布地が緩衝材になってナイスアイデア。

カメラバッグというとおじさんぽいデザインやかさばるものが多くて、
機能的なのでしょうが女性が持つにはちょっといかつい...。

寸法もチェックせずに購入してしまったので、残念ながら
手持ちの一眼レフにはややサイズが小さかったのですが、
フィルムやミニ三脚、小さめのレンズやフィルターなどの小道具を入れて
運ぶにもいいし、中古カメラを収納するにはちょうどいいみたい。

このクーラーバッグ、都内のどの店舗も品切れになっていて
オンラインショップでは若干在庫があったので、それを店舗に取り寄せてもらった。
別にそこまですることないんだけど、都内なのに送料だけで1,000円も
するのでばかばかしく思えて。。

DEAN&DELUCAは都内にどんどん店舗ができて、
先日は東京ミッドタウンにも大きなショップがオープンした。
NYソーホーのマーケットさながらの雰囲気で、
色とりどり整然と並べられたパスタソースやチーズを眺めるだけでも楽しい。
値段が高いので、見てるだけ~です。


CCつれづれ日記

と言いつつ購入してしまったバジル&オリーブオイルのソース。
パスタにからめても合うし、フランスパンに塗って軽くトーストしても美味しい。


マグナムが撮った東京

2007-03-18 | 写真

東京都写真美術館(恵比寿)では、5月6日まで
「"TOKYO" マグナムが撮った東京」展を開催中。

マグナムは戦後まもない1947年、ロバート・キャパの発案で
アンリ・カルティエ=ブレッソンやデビッド・シーモアらによって創設された
フォト・ジャーナリスト集団で、写真家の権利と自由を守り、主張する目的で
ジャーナリズムだけではなく、あらゆる写真分野で活躍を続けています。
日本人では唯一、久保田博二さんが名を連ねています。

今回の写真展では、戦後日本を訪れたマグナム・フォトグラファーたちが
撮影した東京が、復興-成長-発展-飛躍-狂乱-新世紀という
時代順に約150点展示されています。

私が印象に残ったのは、泥パックを体中に施されて脱落した表情の
ヨークシャー・テリアの写真(クリス・スティール=パーキンス撮影)。
同展示会では3人のマグナムメンバーによるギャラリー・トークが催され
(残念ながら2回分は終了)、3回目は3/24、上述のヨークシャー・テリア
撮影の写真家によるトーク。
私は残念ながら引越しで行けませんがご興味があれば写美のサイトからお申込を。

CCつれづれ日記

昔フンパツして買った「MAGNUM CINEMA」。

マグナム写真家が撮影したハリウッド俳優たち。
スクリーンでは見せない憂いある表情が切り取られて見ていて飽きない。
マリリンがハンバーガーをほおばる愛らしいカット。

写真は現実か

2007-02-08 | 写真

いまや誰でもデジカメの1台や2台は手にする時代になりました。
携帯カメラの解像度もすばらしく、
そのうち一眼レフ携帯でも登場するのではないかと。

プリンタの解像度もデジカメのそれとあいまって銀塩さながらの再現ぶり。
インクカートリッジを3回くらい換えると新しいプリンタを1台買えるくらい
高い消耗品はなんとかしてほしいですが。

誰もが気軽にデジカメで撮影し、不要な画像を捨てる。
息をひそめてピント合わせをする必要もなく、オートフォーカスに
手ブレ防止機能まで。
デジカメフォトは美しいけれど、その便利さゆえに撮影者の心象をまでは
とらえにくいかもしれない。

アナログでシンプルなほうが人間くさいのだ、いつも。

人はなぜ写真を撮るのでしょう。
たいていの場合は思い出として残し、友人や家族に見せたり、
何年も経ってから懐かしむ「自分の記録」として撮影するのでしょうが、
そこに映し出された写真は、しかし現実であり現実でないとも言えます。

実際に目に映った空の色、光の強さなど、撮影の瞬間に五感で感じた
景色とは異なるもの。

絵画に写実派、印象派、抽象画などがあるように、
写真は目に映る現象を切り取りながら、じつに多様なパターンで
虚構の世界に彩ることができるんですね。
そして時には目に映らないものも。

写真界の巨匠、森山大道さんの作品に多く見られる粒子のあらいモノクロ写真。
サンドペーパーのような質感のハイコントラストなイメージは
切り取られた瞬間的な絵に撮影者が息吹を吹き込み、芸術作品へと進化する。
現像プロセスで露光時間を長くとるとコントラストが強くなる。
0.1秒露光時間が違うだけで、写真の色合いはまったく異なる。
現実とか非現実を超えて、それはもう「作品」なんでしょうね。

写真の楽しみ方は思い出アルバムだけではもったいない。
携帯に撮りためた写真をインデックスプリントして手帳に貼ってもいいし、
チョキチョキ切り取ってコラージュするも良いし(旅行記など)。

撮り方も目に映るカタチそのままに残すのではなく、
モノクロやセピア、マクロで撮影したり、
カメラを45度傾けてみたり、
ポラやピンホールの素朴さを楽しんだり。

最近は一眼レフデジカメも廉価で入手できるようになりましたが、
一眼レフだからいい写真が撮れるわけでもないし、
形よりもセンスとテクニック、それと気持ちですね。 
(いつも形に惑わされてるのは自分だけど)


CCつれづれ日記

数年前、とある写真展で森山大道氏にお会いしたことがある。
60代後半とは思えない若々しさと、近寄りがたいオーラ。
寺島修司とかあのへんのおじさんの頽廃ムードに弱い私。

フォトコン

2006-09-04 | 写真

わが社のアットホームイベント、「フォトコンテスト」。
年2回程度のペースで実施されているのですが私も毎回応募しています。
今回は2点も入賞しちゃいました~。
投票いただいた皆様、ありがとうございます。

先日キヤノンから「EOS Kiss Digital X」が登場し、
とうとう画素数1000万画素時代に突入しましたが、
新聞くらいに引き伸ばすならともかく、メモリーカードは高いし、
一般人は500万画素クラスで十分高画質な写真が撮れますけれども・・・。
ちょっと気になる存在ではあります。

コンパクトデジカメでも普段あまり使わない機能で使えるものがたくさんあります。
一度まじめに取扱説明書を読んでみると目からウロコだと思いますよ。
すぐできる楽しみ方として、

◆マクロモードを使ってみよう
ファンクションボタンの近くに「チューリップ」みたいなマークがあると思いますが、
(メーカーによって違うことも)これはマクロモードです。
被写体に近づいて接写する際に使うモードですが、
意外に活用されていないのではないでしょうか。
花や虫などにググっとカメラを近づけ、手ブレしないように脇しめて、静かにシャッターを切る。 
するとバックが微妙にかすんで露出の効いた写真が撮れたりします。
半押ししてピントを調整するのを忘れずに。

◆三脚を使ってみよう
夜景や花火は必ず手ブレするので三脚必須です!
シャッタースピードをスローにして固定して撮ると写真集みたいな写真が撮れますよ。

◆フォトコンに応募してみる
自分の作品をPCの肥やしにせず、せっかくだからもっといろんな人に
見てもらえたらいいですね。 ブログやSNSにUPもいいけど、
偶然プロ顔負けの作品が撮れちゃったりしたら
気軽にフォトコンテストに応募してみるのもワクワク感があります。

キヤノン写真新世紀
新人フォトグラファー登竜門。プロ志向用。

富士フィルムフォトコンテスト。一般向き。

オリンパスフォトコンテスト。一般向き。

フォトモア
女性向けサイト。ミニフォトコンも開催。
お薦め写真集や写真の楽しみ方のセンスが結構好きです。

CCつれづれ日記

社内入賞作品の一つ。
タイトル: 南禅寺のしばわんこ
飼い主の膝の中に「俺んち」という佇まいで座り、
ちょこんと出したしっぽの無防備さ、飼い主と同じ方向をみつめる視線に
忠犬としての柴ちゃんの心を垣間見た。

アナログv.s.デジタル

2006-06-01 | 写真

フィルムカメラが姿を消す。 
さみしいニュースを耳にしました。
ニコンもキヤノンもその方向にシフトしているとか。

eラーニング会社に勤務しながら、素の自分は完全にアナログ派。
アナログのぬくもりは無機質なデジタルでは到底つくれません。

アラーキーも数年前は「おれはフィルム愛してんの。これからもアナログでいく」
って言ってたのに、フィルムカメラはレコードみたいな存在になってしまうんでしょうか。

デジカメは確かに便利。 不要なのは捨てればいいし。
でも味気ない。 簡単すぎる。 もっと濃厚なのが好き。
人間関係に似てるかな。
と言いつつデジカメも愛用していますが、
フィルム装填時の巻き音やシャッター音、ネガフィルムのカラーなんかに
ノスタルジーというか癒しすら感じます。

消費社会では少数派は朽ちていくしかないのでしょうか。
それが世の常なんですね。 私も年寄りの部類に入ったんでしょうか。。

上記のように絶対アナログ主義を標榜しつつ、
デジタルの恩恵を受けまくっている節操のない自分ですが。
理想でいえば「共存」です。 新旧の共存。 

携帯に付属しているデジカメの性能もどんどん上がって、
近いうちに電話と写真と音楽と読書とテレビとネットが全部いっしょになって
電機業界ビッグバンとか起こるかな。

デジカメが登場してから写真をプリントしなくなったという話もちらほら聞きます。
それはそうですよね、オンラインアルバムで公開、URLをぴっと送って終わりだから。
せっかく撮りためた作品、どうせならプリントしたアルバムみたいに
PC上でも自由に編集できたら楽しそう。
実際、雑誌を編集するみたいに写真をぺたぺた切り張りして、記事を加えたり
できるツールもある。
tabblo

また、自分が撮影したデジフォトをuploadしてユーザーから評価してもらったり、
自分で値段をつけて販売できるデジタルフォトラボも急激に増えてきました。
Pixta 
iStockphoto

デジカメで撮りためた写真、PCのタンスにしまっておいてはもったいない。
便利ツールを使って編集したり、販売したりして楽しみたいですね。

CCつれづれ日記

会社の近所にあるお気に入りのカレー屋、「もうやんカレー」。
ルイボスティーや八角、クンミン、その他野菜いろいろグツグツ煮込んであっておいしい。
辛さは1~20から選べて、量は8分盛り、普通盛りから
メガトン盛り(ライス500g)、ミレニアム盛り(測定不能)まであります。
ぽっちゃりさん大集合の人気店です。

目線と距離と

2006-04-24 | 写真

写真を撮る人はわかると思いますが、
マクロレンズを覗くと、被写体がまったく違った表情を見せますね。
マクロ、いわゆるドアップで被写体に近づくと、
ファインダー越しに見える相手は
その触感、色かたち、性格まで違う表情を見せるから不思議です。

近づくとディーテイルがはっきりして、
1つの物体が形の違うパーツの集合体に見え、
その1つ1つに意志が感じられます。

物事を理解するとき、そのパーツに気がつかないと
全体が見えないことがよくあります。
反対に、細かいところばかりに気をとられ、
本来の目的や全体像を見失ってしまうこともありますね。

距離だけじゃなく、目線も同じように
自分の目の高さから見上げたり、見下ろしたりするだけでは
自分を軸にした世界しか見えてこないな、と常々思います。

大事なのは、相手の目線に合わせてみること。
よく子供と話すときには子供の視点におりてみるといい、なんて言いますが、
彼らの視点の先に照準を合わせてみると、
きっと長いこと忘れていたような光景も見えるかもしれません。

意外と日常生活の中では、自分の視点からしか物事を見ようとしない
ことって多いんじゃないかと思います。

ネットラーニングはお客様のニーズに合わせてeラーニングコースを
カスタマイズすることを一つのサービスの柱にしていますが、
お客様目線、基本姿勢としていたいですね。

上のようなことを考えていたら、
昔見たイームズの『Powers of Ten』という映像を思い出しました。
インダストリアル・デザイナーの巨匠、チャールズ&レイ・イームズ夫妻が
70年代に撮影した約10分間の科学映像で、
最初ピクニックで芝生に寝ころんだ男性を写していたカメラは
画面の中心にその男性を据えたまま10秒ごとに10倍ずつ高度を上げていく。
10の25乗の太陽系をも超えたところで、今度は同じスピードで高度を下げ、
男性の細胞の奥、DNAまで映像は到達する。
そのマクロからミクロへの静かな空間の移動に、結構感動したのを覚えています。
DVDにもなっているのでご興味があったらぜひ。

 CCつれづれ日記

     イベリコ豚。なぜ最近君たちばかりがモテモテなのだ。
     どうでもいいと言えばどうでもいいが。
     豚界の名古屋コーチンみたいな存在?