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くれない族

2006-07-05 | 世情

という言葉が80年代に流行りました。
過保護に育てられ、「~してくれない」とダダをこねるスポイルされた
子供たちを指しましたが、欲求不満の主婦などにも引用されました。

最近、与えられることを当たり前と勘違いし、
与えられないことに苛立ちを覚えたりすることがあり、傲慢この上ない。

「与える」ことで、はじめて「与えられる」のだという
謙虚な気持ちを心の片隅にいつも置いていたいものです。
頭ではわかっているのですけれどね…。

そういうことをいつも思い出させてくれる友人がいることは、
この上ない幸福だと思います。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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「させていただく」 (sahi)
2006-07-06 22:40:58
っていう、



かたちだけで使う場合もあるけれど、

謙遜も意志も感じ得ることば。



「与えられる」ことはしょっちゅう。

でも自分が人に「与えた」と思うことはないかも。。



とか言いながら、

相手から、返ってこなかった時の

わびしさに

自分の小ささを感じる今日此の頃でございます。

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与えるということ (CCきのした)
2006-07-06 23:03:44
は、本当に無意識下でおこなわれて初めて

美しいのかもしれないですね。

「与えている」という感情は一種のエゴかもしれません。



見返りを意識すること、人間では誰しもあることですが、

物質的な見返りではなくて、ちょっとした感謝とか笑顔とか、

そういうものでのお返しはいつまでも心に残ります。

sahiさんは小さいのではなく、人の感情の機微を

ご存知の方なのではないでしょうか。
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