という言葉が80年代に流行りました。
過保護に育てられ、「~してくれない」とダダをこねるスポイルされた
子供たちを指しましたが、欲求不満の主婦などにも引用されました。
最近、与えられることを当たり前と勘違いし、
与えられないことに苛立ちを覚えたりすることがあり、傲慢この上ない。
「与える」ことで、はじめて「与えられる」のだという
謙虚な気持ちを心の片隅にいつも置いていたいものです。
頭ではわかっているのですけれどね…。
そういうことをいつも思い出させてくれる友人がいることは、
この上ない幸福だと思います。
かたちだけで使う場合もあるけれど、
謙遜も意志も感じ得ることば。
「与えられる」ことはしょっちゅう。
でも自分が人に「与えた」と思うことはないかも。。
とか言いながら、
相手から、返ってこなかった時の
わびしさに
自分の小ささを感じる今日此の頃でございます。
美しいのかもしれないですね。
「与えている」という感情は一種のエゴかもしれません。
見返りを意識すること、人間では誰しもあることですが、
物質的な見返りではなくて、ちょっとした感謝とか笑顔とか、
そういうものでのお返しはいつまでも心に残ります。
sahiさんは小さいのではなく、人の感情の機微を
ご存知の方なのではないでしょうか。