笛吹奮闘記

遠州に春を告げる「三熊野神社大祭」。祭りを彩るお囃子は、静岡県無形文化財「三社祭礼囃子」。四十を過ぎた男の笛吹挑戦記!

保存会研修会

2006年02月18日 11時52分56秒 | Weblog
笛をはじめて992日目。
 ここ数日、体調不良等で笛が持てていない。少しずつ元に戻りつつあるので、遅れを取り戻すために頑張ろうと思う。

 昨夜は、保存会の研修会があり出席してきました。保存会の事業で、年に一回様々な講師をお迎えして色々なお話しを聞きます。昨日は、遠州横須賀在住、彫刻師・不流庵の松林洋氏でした。彫刻師としての貴重なお話しから、横須賀の祢里の彫刻のお話しなど、大変興味深い内容でありました。
 特に、色彩のある彫刻と無い彫刻のお話しは大変興味深く聞かせて頂きました。高山の屋台の一部や、以前訪れた富山県八尾の屋台は全て色彩のある彫刻でしたが、遠州横須賀を始め、たとえば関東の神輿や、神社、仏閣等には色彩の入った彫刻はあまり見られません。時代背景による違いで、お国が贅を尽くした時代には色彩豊かな彫刻があり、贅沢を禁じた時代に彫られたのが白木彫刻として残っているとのこと。その分白木彫刻は、立体的で繊細、リアルな素晴らしい彫刻が多いとのことです。遠州横須賀の祢里も、江戸時代はほとんど彫刻等の贅沢品で飾られる事はなく、大変質素な祢里だったようです、それが明治期になり町内毎に競って、彫刻を入れはじめたようです。

 また、彫刻そのものには芸術的、文化的な評価は全くないというお話しにはビックリ。確かに仏像等は国宝級という話は聞きますが、いくら京都祇園祭の鉾や飛騨高山の屋台が立派でも、彫刻単独の評価もないし、屋台の一部とでしか見られないとのことでした。

 最近、ご縁があって仲良くさせて頂いている彫刻師の降旗氏は、この松林氏に師事し彫刻家の道に入った訳ですが、今でこそ松林氏は遠州横須賀を代表する立派な彫刻師ですが、いつの時代でもそうですが、第一人者というのは、今の名声を築くために並々ならぬご苦労があったことと思います。しかしながら、そのような思いの話は全くありませんでしたし、逆にものすごいオーラを感じました。最後に「どうして彫刻師になったか?」の問いに、「自分の町の祢里に彫刻がなかったから」と、「祭りに関する事で食べていきたかった」とお話しされました。「ねりきち」の神髄を感じました。