笛吹奮闘記

遠州に春を告げる「三熊野神社大祭」。祭りを彩るお囃子は、静岡県無形文化財「三社祭礼囃子」。四十を過ぎた男の笛吹挑戦記!

総会つづき

2007年05月16日 10時23分04秒 | Weblog
笛をはじめて1444日目。

昨夜は、観光協会の総会でした。夕方から総会、その後の懇親会もあり、結局昨夜は笛を持てませんでした。
 今晩は、定例研修日なので、出掛ける前に時間が見つけて少し吹いておかなくてはと思います。

5月が総会つづきです。先週の日曜日13日は、三社祭礼囃子保存会の総会、昨夜は観光協会の総会、来週は商工会の総会、その翌週は経済研究会の総会と、毎週総会があり、その後の懇親会もあります。さすがに、日曜日ということもあり保存会の懇親会は失礼してしまいましたが、毎回総会終了後は懇親会があるので、笛を持てなくなります。

 ただ、なぜ私が観光協会の会員なの?って思う人もあるかもしれませんが、結局若い人の会員が欲しいということと、断り切れない人たちからの勧誘もあり、渋々了承したのでした。遠州横須賀の様に、「お祭り」という観光資源があるのなら頑張ってしまうのですが、こちらの地元には「お祭り」の観光資源はなくちょっと寂しいのです。
 ただし、観光資源が全くないわけではありませんので、少ない観光資源を生かした、何かおもしろい行事ができれば良いなと思います。まあ、じっくりと考えていきたいと思います。

青梅大祭 儀礼

2007年05月08日 19時02分18秒 | Weblog
笛をはじめて1436日目。

 昨夜も一時間ほど笛が持てた。連続して笛を持てると、いきなり吹いてもしっかりと音も出るし、吹いていて調子も良い。やっぱり日々の積み重ねが大切です。

 青梅大祭リポートvol.4です。
こうしてブログにかくことが沢山あるということは、やっぱり良いお祭りだったと思います。写真は、「神酒所」こちらでいう会所です。人形場のある町内は併設してあります。紋のついた幕や高張提灯がおかれ、青竹で垣が結ってあります。
 長老はじめ役職のある方が詰めており、他町の山車が通過するときは、先に通過町の役員が挨拶に訪れます。一通りの挨拶の後、御神酒が振る舞われ、最後に「しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃん、しゃん」と青梅流の手締めが行われます。

 ちなみに、この手締め、関東一本締めとは、「しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃん、しゃん」と九回打って最後にもう一度打って手締めとします。これの意味は、「九」に点を打つと「丸」となることから、「すべて丸く収まりました」という意味があるそうです。
 青梅では、七回となりますの、どういう意味からなのかは解りません。

 ちなみに、遠州横須賀では千秋楽の最後の手締めは、「しゃんしゃんしゃん、しゃしゃしゃんしゃん」とリズムは違いますが、青梅と同じように七回打ちます。ただし、各町の祢理が会所に挨拶に寄るからといって、御神酒の振る舞いはありますが、手締めは行われません。
 青梅では、御神酒の振る舞いは手締めを行う役員のみでしたが、遠州横須賀では祢理についている人全員に御神酒が振る舞われますので、大変です。

 また、振る舞いの御神酒も、そば屋でよく見かける「そば湯」の入れ物のようなものに入れてあり、ちょっと粋ですし、おちょこも御神酒用の小さなお皿のような、よく神社で使われるものと同じようなもので、こちらも神聖な感じがして、良いなと思いました。

 役員や長老の装束もそれぞれにきまっていて、着物の長着を着て、裾をはしょり印袢纏を羽織り、手ぬぐいを首から提げてと、江戸の粋を感じさせる、見ていて気持ちの良い姿でありました。
 勿論、全体的に、装束がしっかりしていて、見ていて気持ちの良い印象がしました。やはり、どうしても装束の乱れに目がいってしまいますが、その点では最高のお祭りとかんじました。

青梅大祭 居囃子

2007年05月07日 18時11分33秒 | Weblog
笛をはじめて1435日目。
 昨夜も、一時間ほど笛を持った。「トロ」とはっきりと聞こえるように指を動かすことと、余分に指が動かないことを兎に角意識しました。ずっと、吹いていると飽きてしまうので、「大間」もちょっと予習しました。
 今週から稽古も再開、用事が無ければ保存会の研修旅行も参加できそうので、いろんな人に話を聞けるので、色々と勉強になりそうです。秋に向けて少し気合いを入れて頑張ろうと思います。

 青梅大祭レポート第三弾です。
遠州横須賀では、自町に笛を吹ける人が沢山いても、お祭りの時は必ず、よそから「笛吹」を招いて自町の祢理に載せます。これは、関東では今も残る風習の一つで、川越などでは「下座漣」(げざれん)とよばれるそうです。
 川越では、街中の大店がスポンサーで祭を取り仕切り、お囃子は近郊の村人達が山車に乗り込んだそうです。囃子連の人たちは、お米を持参して大店の家に祭り期間中はお世話になり、祭が終わるとそれなりの報酬を得るということで、成り立って居たようです。

 青梅でも、下座連の名残でしょう、12町の内現在でも3町が他の地区の囃子連が乗り込んで居るようです。それ以外は、自町で囃子連を作りお囃子を担当しているようです。
 町のあちこちに、写真のような櫓が組まれ、お囃子をやっていました。「居囃子」と呼ばれる用ですが、以前は山車に乗っていたが今は乗っていない囃子連や、青梅市内で活動している囃子連が、祭に合わせ参加しているようです。このような囃子連が全部で9団体ありました。

 最初は、この人達は山車に乗らないでずっと同じところでお囃子をやって居るのはたいへんだなと思っていたのですが、山車に乗れないという事情、また他地区からのお囃子のみの参加であるということが後からわかりました。従って、「居囃子」は居囃子で、色々な面の踊りがあったり、若い人達だけだったりとか、女性もいたりだとか、あるいは年配の方が張り切っているところなど、それぞれに特徴があり、見ていてなかなか楽しめました。
 また、山車が通過するときは、「ひっかわせ」といって、山車と居囃子の競演もあり、山車同士のひっかわせもありますので、沢山のひっかわせを見ることもできました。
 山車のお囃子も含め、踊りは、「天孤」「ひょっとこ」「岡目」「翁」「狸」はたまた「龍」などもあり、それぞれの踊りを見るのも結構楽しめますが、お囃子がどれもみんな同じに聞こえてしまうので、慣れなくてちょっと違和感もあるものもありました。ビデオでしっかりと録画すれば良かったのですが、生憎ビデオを持って無いので残念でした。

 見所いっぱいの青梅大祭でした。

青梅大祭 人形場

2007年05月06日 12時16分24秒 | Weblog
笛をはじめて1434日目。
 連休中は店も暇なので、早めに帰宅。夕食も外に食べに行ったので、8時過ぎに笛を持って、久々に長い時間笛を持つことができた。連休明けは、稽古や総会、旅行などもあり忙しくなりそうです。

 青梅大祭訪問記vol.2です。青梅住吉神社大祭には、12台の山車が出ます。そのうち、旧氏子町である五町で山車を曳いたのが青梅大祭の始まりだそうです。その五町には、江戸末期に商人達が買い求めたといわれる、見事な山車人形が今も残っています。明治の終わりまでは三層の山車の上に飾られていたそうですが、明治期以降町中に電線が張られるようになると、三層部分がはずされ山車は屋根を張り今の屋台との形となっていったそうです。
 江戸の祭り同様に、「文明開化」が祭り文化を衰退させていったのです。

 その後、山車から降ろされた人形は、町内に飾れるようになり、そこを「人形場」と呼ぶそうです。どの町内も、青竹で垣を結い、御幣、御神酒、鏡餅を飾り、神聖な場所として祀られていました。写真は、本町の人形場で、三代目原舟月作の、「神功皇后に応神天皇を抱いた竹内宿祢」です。さすがに見事な人形です。さらに後方には、三層目の胴幕が飾られており、こちらも大変貴重なものであります。文書によると、明治二年頃の作で、明治十七年に茨城県土浦市大町から購入したものではと推測されるとあります。江戸時代の粋な祭り文化が、江戸近郊で流通していたということでしょう。
 他の四町も同じように、大切に保管され、丁寧に祀られてありました。大変見応えある人形です。本来なら山車の上に飾られており、間近で見るということはできないものですが、山車に乗せられなくなったということで、現在は間近で見られるということは、何とも皮肉なものと感じました。
 そういえば、遠州横須賀の出し人形も、どれも素晴らしいものばかりですが、なかなか間近で見られるという機会はありません。お世話になる東本町は、だしを降ろす土曜日の夜は見学できるようにと展示もしますが、どこの町内も展示をすれば、さらに見応えのある祭りになるかもしれませんね。

浜松まつり

2007年05月05日 11時03分38秒 | Weblog
笛をはじめて1433日目。
 休みがないとはいえ、出掛けてばかりで、ここ数日しっかりと稽古ができていません。

昨日も、とうかい号のチームの子から、「リーダーに相談したいことがある」ということだったので、浜松で二人で飲みました。丁度「浜松まつり」開催中だったからね。

 掛川駅まで送ってもらい、電車で浜松に向かい、駅で待ち合わせをして居酒屋に向かいました。
駅は、祭りに参加する法被を着た連中がぞろぞろ。そんな中気になったのは、「じゃりじゃり」と雪駄についている金具の音。雪駄の金具は、普段雪駄を履き慣れていない人が履くと、滑って危ないのです。しかも、金具の音が履き方が下手だから、異様に耳につく「雑音」でしかないのです。
夜の「錬り」に参加するのなら、雪駄を履いてなんてことは邪道だと思うのですが、邪道が通ってしまうのも「浜松まつり」であり、決して私は好きなお祭りではありません。

 話は人間関係の事でした。友人からネットワークビジネスに誘われたけど、あまり良い返事をしなかったらそれから連絡がないとのこと。若い連中にはよくある話、しかもそのネットワークビジネスは私は5年以上も前から知っていた。だから第一声は、「何で今更」だった。本当に良い商売だったから、もっとのびていて良いし、市場からも認知されるはず、それがいつまでたっても「ネットワークビジネス」の域を抜け出せないのは、決して正しい商売ではないはず。そのことを彼に伝えました。彼は、自分の考えをしっかり持っているので、変なネットワークビジネスにはひっか掛からないだろうが、逆にまじめな奴ので、友達付き合いが無くなってしまうことに少しがっかりしていた。誘った友達も今は自分の事しか頭に無いから、しばらくはそっとしておいた方が良いかもと話をした。

 二時間ほど飲んで、外に出ると、屋台の引き回しと「錬り」で町中盛り上がっていた。
浜松祭りは、神事を伴わない「市民参加祭り」の為、参加しようと思えば誰でも参加できる祭りで
す。だからこそ、装束が乱れて至り、リズムに合わせてきれいに錬るとかの見せ場もないし、せっかくの屋台も、ただ引っ張って歩くだけ。何がすごいのかと言えば、参加人数の多さ、参加町の多さということだけでしょう。
 彫刻を施した屋台も、こうこうと投光器で照らすし、中からも証明だらけ。蝋燭の明かりに浮かぶ情緒ある屋台なんて事も全く無く、非常に残念です。

 「そんなにダメ出しばかりなら見に行かなきゃいいじゃん」っていわれそうですが、やはり色々なところを見て、色々と判断したいと思うから時間があれば見に行きます。秋の地元の祭りに向けて、変な装束が流行らないようにちゃんとチェックしておかなくちゃいけないしね。
 「内袢纏」なる自分勝手に作る袢纏が若い連中にはまだはびこっているし、せっかくの印代紋の袢纏も台無しです。疲れにないからと「エアージョグの地下足袋」も多く見られ、楽してお祭りを楽しむなんて、「粋」だ「いなせ」だという、祭りの醍醐味も感じられないのも残念な事ですね。

青梅大祭

2007年05月04日 15時41分26秒 | Weblog
笛をはじめて1432日目。

GW毎年恒例のお祭り訪問に出掛けてきました。
今年は、初の関東に。東京都青梅市の「住吉神社青梅大祭」に行ってきました。

 3日朝5時我が家を出発。東名高速・相良牧之原ICから一路東を目指す。渋滞こそないものの結構混雑はしている。とはいえ100キロ巡行で順調に進む。途中静岡過ぎから80~60キロの巡行速度になり、だいぶ詰まってくる。問題は、「サンデードライバー」か?追い越し車線を悠々と80キロで進んでいる車ばかりで、だんだんといらいらしてくる。
 いらいらしながらも御殿場ICでおり、東富士道路から河口湖IC経由の中央道コースを選んだ。当初は厚木ICから一般国道を北進して八王子に入ろうと思ったが、渋滞が予想されるので中央道コースを選んだ。御殿場の一般道が少し詰まったものの、渋滞とは全く無縁で快調に中央道を八王子ICまですすめた。途中の東富士道路では二度も520円の通行料金を取られたのが少し府におちない。
 途中一度休憩を挟み、八王子ICから圏央道あきる野ICを目指す。多少の渋滞はあったものの圏央道を青梅ICまで進め、到着したのが8時40分過ぎだった。

 事前にネットで調べておいた無料駐車場に止めて、青梅街道にでた。9時からの山車の運行はすでに始まっており、すぐに何台かの山車を見ることができた。
 今回の目的は、今では山車に乗せられていない昔からのだし人形を見ること、山車の上で踊られる数々の踊りを見ること、また青梅の町並みも昭和レトロで町おこしをしているようで、そんな様子を見てみたいと思ったから。
 
 写真でも解るように、町のあちこちに古い映画の看板を再現したものが飾られていたり、街灯などのオブジェも凝ったものがあり、青梅の町を楽しめた。
 勿論、祭りも、山車や山車人形、装束や祭り行事など、昔ながらのしきたりを守り、大変素晴らしい祭りであったことは言うまでもなかった。
 写真もデジカメだから100枚ほど撮ってきた。また追い追いに紹介していきたいと思います。