笛吹奮闘記

遠州に春を告げる「三熊野神社大祭」。祭りを彩るお囃子は、静岡県無形文化財「三社祭礼囃子」。四十を過ぎた男の笛吹挑戦記!

お祭り総括vol.4

2006年10月17日 19時30分19秒 | Weblog
 笛をはじめて1130日目。
昨夜は久々に、夕食後一時間ほど笛を持った。しっかり笛を持てたのは本当に久しぶりでした。兎に角、一箇所のみ注意されましたので、そこを集中的に繰り返し繰り返し稽古しました。今週末の稽古では、必ず次に進めるように頑張りたいと思います。
 10月の定例研修会はお休みです。今月は25日に出演の練習をするために稽古がありますが、一日だけになります。11月4日(土)は、静岡のグランシップにて、ちい祢里を持ち込んでの出演があり、準備等で役員の皆さんは大変な様子です。

 お祭り総括vol.4です。
土曜日は、会所開き式のあと、まずは氏子神社である「諏訪神社」へと向かい、その後夕方までかけて地区内を一周します。我々は単独の別行動の為、青年衆が東に向かうと西へ、西に向かうと東へというように、出来るだけバッテングしないように曳き回しを行います。と言うのも、3台連ねて曳き回しをすると、それだけでも100mほどの行列になってしまいますので、さらにそれに付いていくとなると、交通の問題からも傷害が多いので、当初から別行動で運行しています。
 小学校区5地区で祭りを行っておりますが、本来なら初日は、各地区の会所に挨拶に出向くと言うのが当然の事なのですが、古くからその様な慣習も無く、突然その様な事をやると言っても、すでに各地区共に巡行のコースを変更するのは問題があり、昔からどの地区も初日は町内回りのみとなっています。その替わり、日曜日は我々の地区に集結するということもあり、各地区の代表者の方は、御神酒を持って我々の地区に挨拶は必ず来てくれるのです。
 遠州横須賀と同じように、昼間は町内回りをし、夕方になると夜支度の為に、一端祢里小屋に戻ります。そこで、だしを外し、天幕を取り、祢里花を花差しに巻き、提灯を取り付けます。夕食後夜支度の終えた祢里を引き回します。初日は、夜9時終了ですが、青年衆はどうだったのでしょうか?

 翌日は朝まつり。我々OB会は、朝4時半集合で5時枠上げです。今年はお天気も良かったせいか、集まりもよく10分前には枠上げをしました。昨年は、巡行コースに無いところまで遠くまで遠征しましたが、今年も昨年回れなかった地区まで遠征しました。途中から「屋台下」の曲にして笛を吹きましたが、前日の日焼けで唇が荒れていて、まともに音が出ませんでした。今年一番の反省点です。途中のコンビニに寄って、みそ汁とおにぎりの朝食を軽く食べて、我々の祭典本部まで戻ります。
 その後、だしを乗せ、天幕を取り付ける等して祢里を正装にします。午前中は町内回りをした後、正午からの合同の祢里巡行に備えて、早めの昼食を取るため休憩場所まで向かいます。

 12時前に所定の位置に集合し、いよいよ祢里巡行が始まります。写真は、一番祢里である、我が「お組」の青年衆の祢里と、それを見守る各地区役員です。

 この様な巡行式も、10年ほど前から色々と思考錯誤しながら進められて来ました。しかしながら、我々の現役時代もそうでしたが、「色々と工夫してさらに良い物にしよう」という思いが強い人が大勢いる年と、「去年と一緒でいいよ。めんどくさい事はやりたくない」とい思いの人が大勢いる年とでは、やはり雰囲気からして違います。年々問題点が出てきて、それを少しずつでも良い方向にクリアしていかなければ、良い物が出来上がりません。今でこそ、事故も無く滞り無く進んでいますが、出来るならもう少し、時間の事や、巡行についての取り決めをもっとしっかりやって欲しいと私は思います。
 まずは、「浜松まつり」じゃ無いのだから、役員がする「たすき」は止めてもらいたいと思います。役員は役員なりの半纏があるわけなのでそれを着用して欲しいし、「役半纏」の意味や重みもしっかりと伝えて欲しいと思います。
 しかしながら、残念なことにこの「たすき」もすっかり定着してしまいました。今さらなくすというのは無理かもしれません。

お祭り総括vol.3

2006年10月16日 19時25分12秒 | Weblog
 笛をはじめて1129日。
昨夜は、自宅のファクスが壊れてしまったので、買いに出掛けました。ついでに、食事をして、少し足を延ばして菊川の祭りを見学して帰って来ました。毎年、妻の実家に出掛けているので、菊川中心部での祭りをここ数年見ていなかったのですが、区画整理が行われていて、祭りの様子も少し様変わりしていました。JCの後輩や、参議院議員のS君等とも会うことができて、楽しい一時でありました。

 お祭り総括Vol.3です。
まずは、昨日の写真の説明から。土曜日の朝8時半から、防災センター(いわゆる公会堂)の広場にて、会所開き式が行われます。一通りの挨拶のあと、役太鼓が披露されますが、今年は「天孤の舞」の初披露と言うこともあり、祢里の上で踊るのではなく、下にゴザを敷いてのお披露目となりました。後方の祢里は、一番ふるい祢里で、今中学生が曳いていますが、昭和8年に遠州横須賀の中本町から譲りうけた祢里で、すでに100年以上経っている、大変貴重な祢里ではあります。しかしながら、保存状態は決して良い物ではありませんので、老朽化が激しいのです。すでに本体の保存は難しいので、彫り物と彫金だけは何とか新しい祢里に付ける等して残していきたいものです。

 そして、本日の写真は、我がOB会が曳く「ちい祢里」であります。だしは「高砂」、何と今年は、人形の位置が入れ替わったしまいました。組み立てをしているときに、誰も知る者がいなかったと言うことで、「雛人形や結婚式の高砂は、男が右だから」と言うことで、この様になってしまいました。実は、昔は「左が男」だったようで、そのことを何とか言うと、遠州横須賀の「め組の角つなぎ」さんに教えて頂いたのですが、ど忘れしてしまいましたので、また聞いて報告します。しかも、着物を着せるときも、女性の合わせを逆に着せていたり、いくら知らないとはいえ、少々情けなく思ってしまいました。着物の合わせ位は誰だった知っていると思ったのに・・・・。

 写真でもお解りの用に、「ちい祢里」ですから確かに小さいです。小太鼓が大人で叩くと巾は一杯です。大太鼓と笛吹が乗れば、大人4人で少々窮屈になってしまいます。それでも、車軸と下台の間に、木をかって少し高さを上げたりして、大人が曳きやすい用に工夫もしてあります。小型ですから、曳き回しも楽ですし、狭いところでも入っていけます。にも関わらず、最終日の夜は、大勢いたのに、良く枠が上がって、上に乗っている人はひっくり返りそうになるなんて場面がちょくちょくありました。人は大勢いても、しっかりと祢里も持って曳いている人が少なく、曳き方が本当になっていません。

 宵宮は、夜7時から9時まで行いました。土曜日は、8時半の会所開き式に出席したあと、OB会は毎年全員で記念撮影をします。最初の年は、注文を取ったのですが、半年以上取りに来なかった人がいたらしく写真屋さんも困ったと言うことで、二年目から会費で全員分を買うことにしました。従って、3千円の会費を払っても、会費で写真代の千円まで負担してくれるのです。
 昼食は、各自一端家に帰ってとなると、午後から誰も出てこなくなるのではという心配から、会長の奥様はじめ数名の奥様が協力してくれて、おにぎりを支度してくれます。今年は50食分、おにぎりの具が色々合ったり、赤飯のおにぎりも合ったり、唐揚げや漬け物までつけて下さり、大変おいしく頂きます。しかも、土曜日と日曜日もと二日間作ってくれるのです。わずかな報酬しか差し上げられ無いのですが、それでも楽しく作っているから苦にならないと言ってくれますので、本当に有り難い事です。

 祭りで一番お金が掛かるのが食事代です。私の地区では、昔から青年、中老会は、毎度毎度食事があります。夕食は、だいたいが丼だったり、ちょっと贅沢です。それも、町内にその様な業者がありますので、いきなりお金が掛かるから今年からカットと言うわけにはいかないようです。しかしながら、祭りの時だから事、奥さん連中が出てきて、みんなで炊き出しをして食事の支度を摺るというのも、悪く無いと思います。その様にやっているところは、数多くあります。

 その前に、私から言わせると、食事に家に帰ってまた出て来ないと言うのもおかしい話です。年に一度の祭りだから、出来るだけ長く祢里を曳いていたいと思います。ですから私など、祭りの時は朝一度家を出れば、夜終わるまでよっぽどの用事がない限り家に帰りません。ご飯だって、一食くらい食べなくたっていいし、途中で何でも買って食べようと思えば食べられます。それがごく普通の事だと思うのですが、どうも私の地元では普通で無いと言う人が多いの本当に残念です。
 まだまだ、「ねりきち」の養成をしていかなくてはいけませんね。

祭り総括vol.2

2006年10月15日 18時24分43秒 | Weblog
 笛をはじめて1128日目。
先ほど、師匠のお宅におじゃましての稽古に行って来ました。祭り期間中はほとんど自宅での稽古も出来ず、祭り本番はまともに音も出ない等悲惨な状況が続いていました。
 また、昨夜は、とうかい号の関係で、四日市と島田からの我がチームの子が、掛川に出掛けて来てくれ飲んでいましたので、まともに稽古も出来ていませんでした。そんな状態での稽古ですので少々不安もあったのですが、昨日出掛ける前に少し吹いたときも、思いの外調子良かったし、今朝も調子良かったので、少しは自信を持って望みました。
 師匠から、「問題の箇所が、時々つかえる。それ以外は満点に近いから、そこをしっかりなおしなさい」とのお言葉がありました。誉めて頂いて嬉しいけど、次に進めないのもちょっとショックでもあり、何とも複雑です。いずれにしても、次に進め無かったので、今週はしっかり稽古したいと思います。

 お祭り総括VOL.2です。
我々の地区は、町内で3台の祢里を所有しています。24歳までの青年が曳く「若連の祢里」、40歳までの中老会が曳く「中老の祢里」、そして中学生が曳く「中学生の祢里」と言う具合に、世代別にわけられています。40歳を過ぎた私達は当然曳く祢里がありませんので、3年前から「中老会OB会」として、遠州横須賀の中本町で譲って頂いた「ちい祢里」を曳いています。
従って、私は基本的に町内の祢里につくことはなく、もっぱら「OB会のちい祢里」についています。我々には、町内から支給される祭典費もありませんから、自分達で会費を集め自主財源で祢里を曳いています。
 基本的には、会費(3,000円)を納めれば、会員としていつでも祢里を曳くことが出来ます。しかしながら初年度は、参加者がどの位集まるか解らず、みんなで苦労して声を掛けて人を集めたり、また祢里の準備も始めて色々とあったので、毎晩総出で準備にあたったものでした。それが、3年目になると準備の段取りも良くなり、また要領も解って来るので、少ない人数でも簡単に出来るようになりました。
 そうなると、準備に一回も顔を出さないで、会費を払っているからと祢里を曳きに出てくる人間が、今年は特に多くいました。祭りなんて、当日が来ればあっと言う間に過ぎてしまうもの。支度をしていて、あと何日と指折り数えている時が一番ワクワクして楽しいものです。そういう気持ちにもならずに、当日を迎えると言うことは、私には解りません。

 案の定、設立の時の事を知らない連中は上の物に文句を言ったり、支度に出てこなかった連中が多く祢里を曳くようになると、祢里のひき方が下手になるのもすぐに解ります。私など、祢里の上で太鼓や笛を吹いているので、上手な引き手とそうでないのはすぐに体で解りますし、下手な引き手が多いと、太鼓や笛も調子良くいきません。

 結局、「誰もが楽しく祭りをやろう」いう主旨で始めたOB会も、今年は色々な問題が投げかけられました。本当はあまり大所帯で無く、少ない人数でも本当に祭りが好きな連中だけで楽しくやりたいと言うのが本音ですが、なかなかその様に上手くはいかないようです。
 色々な意味で、ちょっと残念です。

お祭り総括vol.1

2006年10月14日 10時10分33秒 | Weblog
 笛をはじめて1127日目。
一年で一番楽しみにしている祭りが終わりました。今年は、久しぶりに金曜日の夜から、宵宮で祢里の曳き回しをしましたので、いつもより長いお祭りでした。翌日は、結婚式出席の為、岐阜県ひるがの高原まで出掛けました。連日の朝4時半起きでした。
 暫くは、気力、体力共に限界の日が続き、やっとここ数日で体調も戻って来ました。次は、4月の三熊野神社大祭に向けて気持ちを切り替えます。

 祭り前は、毎晩支度で帰宅が遅く、満足に笛が持てませんでした。祭り期間中も、機会があるたびに笛をもちましたが、日中はお天気が大変良くて、日に焼けて唇も荒れてしまったので、日曜日は満足に吹けない状態でした。何とも情けない結果に終わってしまいました。来年はフルにふけるように、頑張りたいと思います。

 しばらくお祭り総括でブログを進めたいと思います。
今年の話題と言ったら、まずは我が「お組」で「天孤の舞」を披露したこと。土曜日朝の開所式や、日曜日お宮での奉納祭に披露しました。私も立ち上げから、少しだけお手伝いをさせて頂いておりましたので、奉納祭の時は、見ていて鳥肌が立ちました。

 二つ目は、「宵宮」を行った事。昨年もその動きがあったのですが、祭典委員長の許可が下りず敢えなく断念。今年は、事前に根回しをし、またいつも最終日が遅くなるので、早めに終わる事を条件に許可を頂きました。「景気つけ」と言う意味でも、宵宮は正解でした。しかしながら、最終的に祢里の格納は10時半を回ったそうで、その辺のけじめはしっかりと付けたい物です。他の地区では、12時を回ったとか、2時までやっていた等の声を聞きますが、みんなが楽しく余韻を残しながら終わるのが、やはり「粋」だと思うので、遅くとも10時までに格納するのが、私は良いと思います。本来は、道路使用許可の9時に終わるのは筋だとは思いますが・・・。

 三つ目は、何と言ってもお天気に恵まれた事。ここ数年ぶりの雨の無いお祭りでした。金曜日の午後までは時折激しい雨も降っていたのですが、夕方から雨が上がり、夜には星が出ていました。祢里の曳き回しを始め、色々と手間暇掛けて準備したことが、雨で台無しになるということもありますので、お天気になって全ての事が滞りなく行えて、本当に良かったと思います。

 但し、良いことばかりではありません。大きな事故こそありませんでしたが、ある地区では子供が祢里の輪に引かれたなんて話も耳にしましたし、軽いけが人も出たようです。いつもの事ながら、酔っぱらいの喧嘩の話もありましたし、神社境内に裸でいる人間が大勢いたことも、本当に情けない話です。
 祭りの基本は、「誰もが笑顔で楽しく」であります。

中 八坂神社祇園祭

2006年10月03日 09時58分35秒 | Weblog
笛をはじめて1116日目。

 お祭りの準備で毎晩忙しいです。特に、今年は5年に一度の「奉納祭」の当番なので、地区のお囃子の稽古に毎晩顔をだしています。その時に、少し笛を持つくらいで自分の稽古はあまり出来ていません。時間を見つけては、夕方など店でも笛を吹くようにしています。

 あと祭りまで何日と、指折り数えている今が一番楽しい時期です。祭りが始まってしまうとアッという間に過ぎてしまいます。

 掛川市中地区、八坂神社祇園祭が始まり、八坂神社からご神体を乗せた神輿が、御旅所である「青谷」に、1日の日曜日に運ばれました。8日の日曜日まで「青谷」で過ごしたご神体は、午後から八坂神社に向けて送られます。その際、4台の山車がお供をします。
 祭礼日は、7、8日ですが、実質ご神体が運ばれましたので、すでに祭りが始まっていると言えます。各地区の公民館では、毎晩太鼓が打たれ祭りを告げています。

 段々と忙しくなってきました。しばらくブログの更新が出来るか解りません。特に祭り期間中はお伝え出来ませんし、9日は岐阜県ひるがの高原に結婚式出席の為、朝早く出掛ける事になります。体調に注意して、楽しい祭りにしたいと思います。