笛吹奮闘記

遠州に春を告げる「三熊野神社大祭」。祭りを彩るお囃子は、静岡県無形文化財「三社祭礼囃子」。四十を過ぎた男の笛吹挑戦記!

江戸天下祭

2007年09月30日 19時12分43秒 | Weblog
笛をはじめて1678日目。

 昨日は、東京・日比谷公園を中心に開催された「江戸天下祭」に行ってきました。
平成15年に、江戸開府400年祭を記念して開催されて「江戸天下祭」も、今回で三回目。遠州横須賀からは、せ組(大工町)と旭組(西新町)の二町が参加しました。また、今回は前回と違い山車・御輿巡行が、夜祭りと言うこともあり、また二年前は用事でいけなかったので、少し無理して思い切って出掛けました。というのも、月末で色々と店の方も忙しいし、お祭り一週間前と言うこともあり、時間を作るのは難しかったのですが、午前中に婚礼の配達をしたりと、気持ちにも少し余裕ができたので、ちょっと無理をして出掛けたのです。

 また、久々の東京だし、いつも我がブログにコメント下さる「勿忘草さん」ともお会いしましょうとお約束もしてあったのです。

 14時5分掛川駅から新幹線に乗車、勿論正装である、袢纏に腹掛・股引の祭り装束です。ちょっと人目も気になりますが、逆に注目されて気持ちも良かったりするもんです。しかも一人じゃ無いしね。一緒に行ったのは、いつもろ組(東本町)に参加するときの相棒のJ君に、遠州横須賀にお住まいのJ君のおばさま、そしていつもお祭りでお会いする「助っ人仲間」のHさんの四人です。新幹線に乗る前から、ビールを買ってすでにお祭りモード突入です。

 16時前に品川に到着、新橋まで出て、そこから徒歩で日比谷公園を目指すと、すでに巡行の先頭はスタートしておりました。足早に、遠州横須賀の祢里の待機する場所に。兄弟子や顔見知りの面々にお会いして、せ組の祢里につきました。しばらく日比谷公園で足止めを食いながら、それでも調子よく曳いています。4年前に来たときは、日比谷公園を出て帝国ホテルの両脇の歩道はものすごいギャラリーで埋め尽くされていましたが、今年はどうよなどと思いながら、ゆっくりと進みました。
 遠州横須賀で祢里を曳くときとの違いは、東京ならでは広い道幅です。ちょっと面食らっちゃます。そうこうしていると、勿忘草さんからお電話がありました。祢里を先回りして通りに出ると、「あれ?前回とちがうぞ」そうなんです、ギャラリーが思ったほどいなかったのです。よると言うこともあり、また日中は雨が降っていた影響なのか、ちょっと寂しいギャラリーでした。

 その後お互いに携帯で連絡を取りながらも、無事勿忘草さんとお会いすることができました。おみやげまで頂戴してしまいました。その後は、祢里から離れコンビニにビールを買いに行って休憩したり、後半は勿忘草さんと一緒に祢里の後ろについて、色々なお話をしながら進みました。
 東京駅を背に皇居に向かって進む頃は、周りのギャラリーもぱらぱら、祢里を曳く方も少し元気がありませんでしたが、無事ゴール地点に到着。そこからはお囃子を止めて、がらがらと祢里を曳いて日比谷公園に向かいました。たぶん交通規制の関係でしょう、片道5車線の道路は、一番端の一車線のみを使用できるようになっていました。これも東京という事情でしょう。

 最後に祢里が仮説の小屋に格納されるのをみて、日比谷公園を後にしました。周りのギャラリーも少なかったのですが、遠州横須賀の「ねりきち」も少し少なかったのでは?って思いました。
また二年後、東京の街で祢里が曳けたらたらいいなと思いました。

 ちなみに、本日日曜日は日比谷公園内で各山車が展示されているようですが、雨のなか元気に引き回しを行っているのは、遠州横須賀の祢里だけのようです。さすがに遠州横須賀の皆さんです!

伝統を守ること

2007年09月28日 09時45分44秒 | Weblog
笛をはじめて1676日目。
いよいよ、明日は東京での「江戸天下祭」が開幕です。世間はF1で騒いでいますが、私の興味はもっぱら天下祭ですね。

 昨夜は、仕事が終わってからお祭りの準備に、帰宅後少し笛を持った。今年の祭りは昨日の生地通りなので、ゆっくりと丁寧に吹くように心がけた。

 先日隣町の青年衆が店に寄った。「手拭いを作って欲しいができるか」とのことだったが、私が「今作った物があるのに、どうして新しく作るのか」と尋ねると、「今の柄が気に入らないから」と答えた。
 それはごく一部の人間の考えであって、町内全体の総意ではない。だから私は、「町内みんなが替えたいと言うのならともかく、数人や青年衆が替えたいでは替えるべきではない。しかも、作った当時の人達がどういう思いで作ったのかを知ってから直すべきだと思うけど」と話をした。
 数日後、話を持ってきた彼がきたのでどうなったかと尋ねると、あっさりと「他の店で作ることになった」と言った。私は返す言葉が無かった。

 先日も、「音合わせ」で地元の公民館に出向くと、部屋の中ですが、おかしな旗が飾ってあった。5~6年前だと思うがあるお店が勝手に作って「寄付」だと言って置いていった。そんな物いらないけど、捨てる訳にもいかず倉庫の奥の方にしまってあったが、ここ数年引っ張り出しては飾ってある。
 浜松祭りを模しての大旗であるが、我々の祭りに大旗を掲げる伝統も風習もない。なぜなら立派な祢里があるから。しかもその旗の「代紋」はそのお店が勝手に作っている代紋。本来の代紋とは違う物。
 10年ほど前、祢里を新造した際に手拭いを作りましたが、その際に見直しを行い、当時の役員初め建設委員等で「お」の字の代紋はこれでいこうときまった物。当店の袢纏は、そのことを知っていたので同じ代紋をつかっていますし、祢里の格納庫のシャッターにも同じ文字が書かれています。しかしながら後発で作っているにもかかわらずそのお店はそういう事情も知らないというか、調べもせずに勝手に袢纏を作ったり、勝手に旗を作っているのです。

 伝統を作ることは大変です。また、伝統も守ることも大変です。そのとき、そのときの思いがあるはずで、そうした思いをしっかりとくみ取って守っていかなければおかしな物になってしまいます。
 数年前に作った提灯も すぐにまた柄が変更になってしまいました。なぜ、その柄に変更したかも聞かず、そのときの年長者の勝手な思いで変わってしまいました。柄を替える前に、なぜその柄にしたかを昔にさかのぼって調べ、様々な思いを込めて良い物へと変更したのに、ほんの数年でまた変わってしまいました。本当に残念です。

 江戸天下祭に参加する遠州横須賀の祢里は、江戸時代江戸で曳き回されていた「一本柱万度型」の祢里が、江戸近郊からすべて姿を消し、唯一遠州横須賀にのみ残されていると言うことで、毎年参加要請があります。江戸時代からずっと伝統を守り続けているわけですから、大変素晴らしい事です。

赤信号

2007年09月27日 11時42分37秒 | Weblog
笛をはじめて1675日目。
 この秋本格的デビューに向けて頑張ってきましたが、やっぱり赤信号。
「大間」を吹くことができません。今年も「屋台下」一本で頑張ります。

 先週の木曜日、兄弟子にの指導員の方にお願いして個人的に稽古を付けていただきました。だいぶ良くなってきたけど、「後もう一歩だな」と言うことで、「大間」の曲には進めず、しっかりと直さなくてはいけない箇所、二カ所を指導していただきました。
 きっと他の笛吹の会ならどんどん次ぎに進めるでしょうが、大きな看板を背負った我々の会ではそうは行きません。最近では二ヶ月に一度、指導員の為の研修会も開かれるようになったとか。「これで良し」と言われるのは師匠だけで、その他の人は一生精進しなければなりません。だからこそ、安易に教えてもらえません。

 兄弟子もよく私の気持ちもわかってくれていますので、師匠が気に掛けていてくれるとか、こんなにも上手くなったと師匠を見返してやらざあとか、励ましの声を掛けてくださいます。本当にありがたいことです。今年の地元の祭りは「大間」を吹けませんが、今度は半年先の「三熊野神社大祭」の時、少しでも吹くことができるように目標で頑張りたいと思います。

 祭りまで後一週間となりました。いま、袢纏の仕上げ作業に追われています。大事な袢纏は当店では、母親自ら仕立てをするこだわりの袢纏です。今や「藍染め」が主流ですが、本当の良さを知らないで、「藍染」って言う人が多くて少し疑問です。しかしながら、当店も今年は染め上がりが遅くなってしまい、今のこの時期にまだ仕立てをしているというのは当店でもちょっとペナルティです。母は夜なべをして頑張って仕立てています。

稽古日

2007年09月13日 18時43分35秒 | Weblog
笛をはじめて1561日目。
 昨夜は、稽古日でした。7時半からですが、一端自宅に戻り着替えて行ったので、少し遅刻してしまい、太鼓はすでに兄弟子が縛り終えていました。
 集まりも良かったので、すぐに稽古が始まりました。最初は「屋台下」から。私を含め弟弟子も二人いたので、最初は3人でふきました。勿論後から習い始めたとはいえ、後の二人の方が私よりもずっと進んでいます。最初は良かったのですが、他の人の吹くのを見て、色々と考えていたりしたら、指を間違えるし、太鼓と合わなくなってしまったりと、全くもって進歩がありません。但し、人の吹いているのを見て参考になったので、自分のも修正しなくてはいけないことを見つけたので、少しは発見がありました。

 8時半すぎに太鼓を止めて、一端稽古を注ししました。会長から残りの時間は、手古舞についての勉強をするといわれ、昨日は指導員から、「岡目」さんの踊りについて、みんなで勉強しました。
 「岡目」さんは、基本的に小学生の女の子が踊るので、保存会の会員は踊ることは無いのですが、子供達に教えるためにも全員が知っていた方が良いとのことで、全員で勉強しました。
 まずは、座って構えているときは右手を上に置くとか、鈴の房は「紫」を上にしておくとか、立つときは右足から、ちなみに男の子の踊る「ひょっとこ」等は左足から立ち上がるそうです。太鼓に合わせて足を運ぶとか、今まで何気なしに見ていたことですが、一つ一つの動きに意味があり、またその動作一つ一つが大切であることがわかりました。昨日は、まだほんのさわりだけでしたが、これから稽古の度に少しずつみんなで勉強していくと思いますので、しっかりと覚えて、地元に帰ったら伝えて行きたいと思います。

 それにしても、色々な事が奥が深いです。しかも、保存会に入れてもらえなければ勿論なかなか教えてもらえないこと、笛の稽古も厳しいのですが、厳しい中にもこうして色々な事が勉強できるので、保存会の一員として、皆さんの足手まといになってはいるのですが、頑張っていきたいと思いました。
 笛の稽古も、以前に増して指導員の兄弟子が色々と指導してくれます。しっかりと正しい技術を身につけていきたいと思います。

ちいねり

2007年09月11日 19時06分51秒 | Weblog
笛をはじめて1560日目。
 昨夜は、9時から10時まで笛をもった。できるだけ続けて長く吹くように心がけた。今週は稽古日もあるし、兄弟子のところにおじゃまして稽古付けてもらいたいと思っている。少しずつペースアップです。

 今週末、15日、16日は、遠州地方各地でお祭りが開催されます。
まずは、国指定重要無形文化財の磐田・見付の「裸祭」、掛川市日坂の「事任八幡宮大祭」そして、遠州横須賀では「ちいねり」が開催されます。それぞれのお祭りについては、またブログにアップしたいとおもいmすが、今日は遠州横須賀「ちいねり」の話題を。

 「ちいねり」とは「ちいさい祢里」のこと。9月のちいねりでは、中学生を中心に子供達だけで準備から運営まですべて行うという、全国でも大変珍しいお祭りです。春の大祭に曳き回される祢里を一回り小さくした祢里を子供達が曳き回します。つまり、各町には大きな祢里とちいねりと二台所有していると言うわけです。
 子供達だけで運営されているという珍しさがクローズアップされますが、実は秋のお祭りの「ちいねり」は、横須賀地域に点在する、氏神様のお祭りです。愛宕神社、松室神社、軍神社など各神社のお祭りと言うことです。昔は、それぞれの神社のお祭りを別々にやっていたそうで、「遠州横須賀では、年柄年中祢里がでている」と言われたそうですが、現在では、氏神様のお祭りを「ちいねり」として、秋に、春と同じような形態で行われています。

 三熊野神社に対する思いは、春の大祭で感じられますが、秋にはそれぞれの氏神様をちゃんとお祭りしているというわけです。

試楽と本楽

2007年09月10日 11時36分29秒 | Weblog
笛をはじめて1559日目。
 昨夜は妻が、金谷の「志都呂」さんという釜飯屋さんに出掛けていたので、8時過ぎにおみやげで買ってきてくれた釜飯を食べた。お店に行けば色々な種類の釜飯があり、お薦めのお店です。但し、注文を聞いてから炊き始めるので、少々時間が掛かります。

 その後、笛を持った。肩や背中がまだ痛いけど、持てる時間の間休みながらだけど吹いた。

昨日のコメントの、レバンナさんのご質問に関連して・・・。私見をふくんでいますので、最初にお断りしておきます。
 我々の所は「揃い」はないのとのご質問ですが、我々の所は昔から祭りは「二日間」行われていました。勿論二日目に神社で神事が行われますので、日曜日が本楽と言えますから、土曜日が宵宮と言っても良いと思います。但し、一つの神社のお祭りではなく、地元の氏神様すべてのお祭りであり、また祢里の曳き回しは、神様のご加護を町内に振りまくという意味と、神様と共にご先祖が光臨し、我々を守っていると言われております。故に、○○神社大祭などの大きな神社のお祭り以外では、地元の氏神様またそれぞれのお宅の「地の神様」も含めてすべてをお祭りすると考えられています。従って我々の地元のようなそれぞれの氏神様のお祭りは、祭り期間中が「本楽」であると考えるなら、金曜日は「宵宮」で私は良いと思います。

 遠州横須賀の金曜日の「揃い」は、お祭りの準備が滞りなく整い、いよいよお祭りが始まりますよと言う意味合いがあり、基本的に自町を中心に祢里が動きます。土曜日の「宵宮」は、まず準備が整った事をお宮に集まり報告、その際「奉納祭」も開かれます。その後は、各町に挨拶回り、夕方まで掛けてすべての町内に、挨拶に伺い会所では「儀礼太鼓」が打たれます。日曜日「本楽」では、神社から御神輿のお渡りがあり、それにお供して13台の祢里が続きます。そして最後にお宮にて千秋楽が行われ、お祭りがお開きとなります。

 また、お祭りによっては、土曜日に神社からお渡りが御仮屋に向い、御仮屋で一泊して翌日また神社にお戻りになる等のお祭りは、当然土曜日を「宵宮」とは言いません。掛川市中、八坂神社のお祭りでは、一週間前の日曜日に御仮屋にお渡りがつきますから、すでにその日からお祭りが始まっています。中には、そのように一週間神事が続くお祭りもあります。今週末の磐田・見付「裸祭」も昨日から神事が始まり、水曜日は参加者全員が「浜ゴリ」で海岸でお清めをするそうです。そして、土曜日の夜中がクライマックスであり、翌日曜日も神事が行われます。

 また、土曜日を「試楽」とよび、日曜日を「本楽」というところもありますし、半田亀崎の潮干祭は、「前の日」「後の日」という言い方もします。

 タダ少なくともお祭りは、地元の神社や氏神様をお祭りするもの、イベントでは無いわけですから「前夜祭」や「曳き別れ」ではなく、「宵宮」「千秋楽」と呼びたいものです。
 我々の地元の祭りでは、参加各町に挨拶回りや、また神社での「浦安の舞」なども行われていませんから、是非その辺もお祭りとしてしっかりと整えていきたいと私は思います。そうすれば、もっともっと良いお祭りに変わっていけると思います。

注)わかりやすくするために、土曜日・日曜日で言い回しをしましたが、お祭りによっては当たり  日で行っているところもあります。但し、最近はどこでも、週末に合わせてお祭りを行っているところが多くなりましたので、わかりやすく土曜日・日曜日で言いました。

前夜祭と引き別れ

2007年09月09日 11時19分39秒 | Weblog
笛をはじめて1558日目。
 先週は、「夏バテ」の為体調を崩し大変でした。顔は腫れるし、体中鉛のようにかちかちに。
2~3日前からだいぶ良くなってきましたが、それでもまだちょっと体がだるい。
 そういうわけで、笛の稽古もできたり、できなかったり。まずは体調をしっかりと整えないと。

 昨日は、浜北宮口の「六所神社の御祭礼」でした。ここ数年毎年おじゃましていましたが、昨日は少し野暮用ができて、結局おじゃまする事ができませんでした。次の週末は、遠州横須賀「ちいねり」に、磐田見付「裸祭り」、掛川日坂「事任八幡宮大祭」と遠州地方の祭りが各地でスタートします。

 祭りの時になぜか耳にする、「前夜祭」と「引き別れ」。当然格式ある祭りであったり、伝統のある祭りではこのような言葉は出てきません。なぜなら、祭りの前の日は祭りで無いから「前夜際」なんてあり得ない。神事をする前の日は、当然「宵宮」と呼ばれるからです。
 「引き別れ」なんて言葉もありません。当然お祭り事ですから、「別れ」などという言葉を使うわけが無く、「千秋楽」や「お開き」という言葉で締めくくります。

 しかしながら、残念な事に、「前夜祭」「引き別れ」の言葉は、年々耳にするようになってきています。私の地元の祭りも、以前は土、日曜日の二日間でしたが、ここ数年「前夜祭」と称して金曜日の夜から、祢里の曳き回しを行っています。「宵宮」と呼ぶ人は誰もいません。
 今年の祭り告知のポスターには、「千秋楽」ではなくしっかりと「引き別れ」とのっています。誠に残念な事であります。

 ちなみに、「三熊野神社大祭」では、金曜日を「揃い」、土曜日を「宵宮」、日曜日を「本楽」といい、締めは勿論「千秋楽」と言います。

 ちょっとした言葉かも知れないけど、でも「お祭り」のこと。こうした所にもこだわって欲しいと思うし、何よりもこうした言葉からお祭りの意味も学ぶことができると思います。「前夜祭」ではなく「宵宮」、「引き別れ」ではなく「千秋楽」と呼びたいものです。

お祭り始動

2007年09月03日 18時47分42秒 | Weblog
笛をはじめて1552日目。
 昨夜は、お祭りの役員会議が、地元の飲食店で行われました。本年度のお祭りの骨格が決まり、いよいよ、10月5日(金)からのお祭りに向けて本格的に動き出します。
 以前は、10月10日の体育の日が祭礼日であり、9,10日とお祭りが行われておりましたが、祝日の改正により、お祭りが体育の日の前日の日曜日、土曜日と変更になりました。従って、今年の5日はたぶん今までに一番早い祭りの開催日となると思います。

 私の住む地元の祭りは、5地区の町内から、14~5台の祢里が出ます。祭りの歴史は昭和になってから、また祢里の改築が進み、彫刻がついたりしたまともな祢里の出現は、ここ10~15年という歴史の浅い祭りです。従って、遠州横須賀と比べると、祭りや神社に対する思いも全く違いますし、何より祭りを楽しむという思いが違います。心から祭りを楽しむ遠州横須賀の人たちと比べ、地元の青年衆中心にほとんどの人は、日頃の憂さ晴らし的な騒ぎ方で、祢里の曳き方にしろ、神社でのお参りの仕方にしろ、まだまだ改善の余地は沢山あります。

 商売柄よく、「うちのは祭りが大好きだから」なんていう親が良くいますが、そういっている息子に限って、だらしない装束だったり、変な物を着て粋がっているってのが多いんです。

 私の地元町内は、39歳の年に役員が回ってきて、今頃は毎晩準備をしているのですが、役を終えると、なぜか朝から袢纏を羽織って祭りに参加するっていうのに抵抗がある、そんな風習がありました。そこで3年前から、40歳以上で会費を払ってでも祢里を曳こうと始まったのが、中老会OB会という組織であります。
 昨晩は、中老会OB会の役員会でありました。そして今年も、会費3,000円をみんな払って祭りに参加すると言うことで決めさせていただきました。会費を取らなければ運営できないと言うのは、本来の筋からいうとちょっとおかしいのですが、自分たちで責任を持って運営すると言うことで、会費を徴収し、そのお金で準備やら当日の食事や酒代をまかないます。

 年齢も年齢ですから、勿論おかしな格好をして出てくる者いませんし、比較的自由に準備の段階から楽しくやっています。勿論当日も、中心になって祢里を曳いているのは限られた人ですが、だからこそ楽しく祭りをやることができます。今年も、お天気でけがのない無事の、よいお祭りができますように!

 お店で送ってもらい、9時過ぎから少し笛を持った。今週から少しペースを上げていかなくては。