笛吹奮闘記

遠州に春を告げる「三熊野神社大祭」。祭りを彩るお囃子は、静岡県無形文化財「三社祭礼囃子」。四十を過ぎた男の笛吹挑戦記!

お祭り総括 「来年に向けて」

2007年10月24日 10時01分23秒 | Weblog
笛をはじめて1702日目。
 最近は、しっかり笛を持てる日とそうでない日があり、稽古にもムラがある。今週末は、笛吹反省会があるので、また兄弟子と相談して稽古をつけていただけるように相談しなくては。

 お祭りが終わり一段落で終わりではなく、色々なところから来年に向けての話を聞く。
昨夜は知り合いのところにおじゃまして打ち合わせをしていたのですが、その時も来年に向けての話が色々と出た。お囃子をしっかりやろうとか、祢里のバランスが悪いから見直しをしようなどの色々な話題があるとか。しかも、町内のみんなで集まって正式に話し合いを持っているのだとか。

 先週も、この春に笛の兄弟子から紹介していただいた地区の方から、来年に向けて藍染め袢纏の相談を受けました。今年の祭りの時に話をして、ある程度の同意が得られたらしくお客様の方からわざわざご来店いただいた。袢纏事態の柄は総柄でもあり、現状を変える必要は全くないと思うものの、襟文字の書体や間隔、また大紋の大きさ等多少の変更をしたほうが良いと思われる点があり、それらをまとめて私の方から近日中にご提案をさせていただくと言うことになった。ありがたいお話です。

 以前師匠からもこんなお話を聞いた。よく「笛を教えてください」と尋ねてくる者がいるそうです。だいたいが夏前で「どうして来た」と尋ねると、「今からなら秋の祭りに笛が吹けるのでは」とだいたいの人が答えるそうです。勿論、そのような者は門前払い。笛がたかが3ヶ月や半年で吹けると思うのでは、最初から話にならないと。
 いつのタイミングが言い訳じゃないけど、知らないなら知らないなりにも、「来年のお祭りに笛が吹けるようなりますかね」とお祭り直後に訪ねて来るのなら解らんでもないがと、その時師匠も話しておられました。

 だいたいがお祭りの準備が始まる頃になって、あれもこれもなんて慌てて支度や準備をするパターンが多いのですが、やっぱり色々な事を考えて、良いものを作ったり、しっかりとしたお囃子をするにはそれなりの準備と稽古が必要であると言うことです。

 私なんか、今年のお祭りにはなんて思いながらもできないものだから、そのタイミングがどんどん先延ばしになっています。まあ、いつまでという期限がある訳じゃないから、一つ一つしっかりと身につけていくことが大切なんですよね。

菊川の祭り

2007年10月15日 18時23分18秒 | Weblog
笛をはじめて1693日目。
 昨夜は夕方から、妻の実家に遊びに行く予定だったので、店で少し笛を持った。短時間で集中して吹いたのですが、時間にしてほんの15分程度。これでは稽古不足。それでも一日でも間を空けてしまうと、空けた次の日が元に戻すまで時間が掛かるので、短時間でも笛を持つことは大事と思い持ちました。勿論長い時間持てればそれにこしたことは無いのですが。

 夕方少し早じまいをして、妻の実家のある菊川に出掛けた。菊川の祭りは毎年第三土、日曜日になったのに、今年は第二土、日曜日に変更。聞くところによると、第三日曜日は行政主催のイベントがあるので、祭礼日が変更になったとのこと。と言うことは、来年は我々と同じ日程になるのだろうか?色々な都合で、ころころと祭礼日が変わるのはどうかと思うのですが・・・。

 菊川神社・鹿嶋神社等の合同の祭りのようですが、大々的に神事が行われているような事はなく、また屋台も色々な所からの中古屋台が集まっており、それも一つの特徴でもあるのかも?
 中には、遠州森から買い入れた明治初期の建造の屋台もあり、それを知った森の人たちは「買い戻そう」という声も最近あるのだとか?そういう意味では、大切に屋台をつかっていると言うことでもあり、立派な事であると思う。屋台を見ると、最近流行のごてごてと彫刻のばかりついた屋台は少なく、どちらかと言うと質素な屋台が多いが、それはそれで地域の人たちが大切にしていると言うことで良いことだと思いました。
 新聞で見た、今年掛川の中古を買い入れたといいう屋台を偶然みましたが、どこが悪いわけでなく、ましてや大幅に修復したと言うところも見られず、どうして掛川の人たちはその屋台を手放したのか不思議に思った。新しく新築した屋台を色々なHPで見ましたが、勿論最近流行の屋台になっており、何も新築しなくても今の屋台を手直ししたり、彫刻を追加したりすればいいんじゃないって思ったのですが、色々な事情があるにせよ、屋台にしてみたら新しく日の目を見たので、それは良かったと思います。

 妻は、小さい頃自分が曳いた事のある屋台を見つけて懐かしがっていました。「昔からあの天幕はついていたの」「提灯は昔もあの柄?」と色々と聞いても、「知らない」「忘れた」ばかり。まあ、小さい頃の関心はそんなところに無かったので、それは無理ないかも。
 青年会議所の後輩も見かけましたが、話が長くなるからとそっと帰って来ました。

 妻の実家は菊川の街からはずれて田舎。そこでは夜は寂しく一台の屋台が動いています。特に気になるのが、づっとマイクでかけ声を掛けること。せっかくのお囃子の笛も太鼓も、ましてや三味線まで乗っているのに台無しです。調子の良いかけ声ならともかく、だみ声で訳のわからない囃子詞で、最悪です。
 師匠が以前言われましたが、「マイクをつかっているような所は笛吹をやらん」と。確かに、途中の「手踊り」の為の音響設備のようですが、何も道中はマイクを使わなくても。どうせ使うならまだお囃子を拾うなら少しは許せるものの、だみ声のかけ声は、せっかくの笛の音もつぶしてしまいます。
 一度マイクをやめて見れば、どれだけお囃子がよく聞こえて、みんなが調子よく屋台を曳けるか解ると思うんだけど。

 そういえば、以前 掛川市中 「八坂神社祇園」では、若い衆が笛、つまりホイッスルをやたらとピーピー吹いていたのですが、ある年から一切禁止になりました。すると上手に祢里を動かすし、お囃子もよく聞こえて、調子よくすべてが行くようになりました。
よそのお祭りや、浜松祭りなど訳も無く、ピーピーと笛(ホイッスル)を吹くところが多いのですが、あれはじゃまなので止めるべきと思います。

遠州福田 六所神社祭礼

2007年10月14日 12時04分43秒 | Weblog
笛をはじめて1692日目。
 夕方から祭り好きな仲間を誘って、旧福田(ふくで)町六所神社の祭礼の見学に出掛けた。店で留守番をしながら少し笛を持った。これではちょっと稽古不足。

 以前から一度はのぞいてみたいと思っていたが、なかなか出掛ける機会が無かったが、昨夜は祭り好きな仲間を誘って初めて見学に出掛けた。
 詳細の情報は、「遠州福田六所神社祭典」のHPに紹介されているので、そちらをのぞいてから出掛けた。HPの管理人のM氏とは、色々な祭りでお見かけしたこともあった。

 7時半前に、屋台が集合する中川通りに到着。大きな破風の一層屋根の屋台は、掛塚の屋台と同じ、でもお囃子は「三社祭礼囃子」という、色々なお祭りが融合した独特の文化があるのが、福田の祭りの特徴と思います。四輪の屋台での「三社祭礼囃子」のお囃子は、馴染みのない我々にはちょっと違和感すら感じますが、屋台を曳いている人は誰もが楽しんで曳いていました。

 但し、こちらもご多分に漏れず、「浜松祭り」に近いこともあり、おかしな袢纏、内袢纏、血止めは我々の土地以上に氾濫していました。しかも、若者だけが勝手に作ってしまったであろう袢纏もあり、同じ屋台に着いているのに色々な袢纏を着ている町内もありました。しかも、勝手に作ったであろう袢纏が格好いいならともかく、どうしてそんな変な袢纏作ったの?って言いたくなるような袢纏であり、ここにも悪い流行が起こっているのだと残念に思いました。
 反面、神社では「浦安の舞」の奉納など、神事がしっかりと行われているようですから、余計に残念に思えてしまうのは私だけ?

 一番最初に目に入ったのが、偶然にも今年笛吹デビューを果たした、兄弟弟子が笛吹として乗っていた「昭和組」の屋台でした。一日中笛をふているわけですから、若い彼も少々お疲れ気味でした。今日も一日あるので最後まで頑張って欲しいと思いました。
 お囃子は聞き慣れたお囃子でも、やっぱり祢里と屋台とでは調子が違うので、一時間ほどで切り上げ、「やっぱり祢里を見に行こう」と言うことで、お隣の地区旧浅羽町に向かいました。そこで偶然にも最後に、いつもコメント下さる”REDMOON”にお会いすることができました。丁度笛を吹いていたのでお話できませんでしたが、相手の笛吹も大先輩の兄弟子でありました。
 やっぱりこのお囃子には、「一本柱万度型だね」なんて話をしながら、短い間でした見学しました。曳き方も大変上手で、調子のよい祢里の引き回しを最後に見ることができました。

 今晩は、妻の実家に行く予定。菊川ですが、またこちらも二輪ではありますが屋台の形が違うので、勿論違和感がありますが、毎年の事なので街中を少し見学しながら遊びに行く予定です。

 これで遠州の秋祭りも 来週の「掛塚屋台祭」と11月の「遠州森の祭り」を残すのみとなります。これからいよいよ本格的な秋から、初冬を迎える事になります。

祭り総括vol.3

2007年10月13日 18時30分21秒 | Weblog
笛をはじめて1691日目。
 昨日は、車の名義変更のために陸運局に、その後浜松で打ち合わせをしたので、結局帰宅が遅くなり、笛を持てませんでした。

 今年のお祭りで感じた事です。
我々の地区では、それぞれの町内で決められた袢纏があるものの、販売するのはそれぞれのお店が販売をしており、年々統一されなくなっています。それは、本来ならおかしな事なのに、どこの組の全く問題になっていません。
 ふつうなら、町内で決めたものを町内で管理し販売したり、またお店に委託するなど、他におかしなものが出回らないようされているのは普通です。そうした事により、統一された祭り装束となるわけです。
 現に当店でも、中、八坂神社祇園祭の氏子町の肉襦袢を販売させていただいておりますが、すべて氏子総代なり青年衆が注文を取り纏めて頂いて、当店に発注して頂いております。袢纏は、同じように別の業者に発注すると言うわけです。

 今年のお祭りでやたらと目についたのが、だらだらと長い袢纏です。以前に書いたことがありますが、袢纏の長さはある意味階級を表す意味があり、むやみやたらに長い袢纏は、いうなら一般の人は着られないのです。しかしながら、販売する側はそんなことをしらなければ、「長い方が格好いい」「長いのが流行り」なんて言おうものなら、意味を知らない人は当たり前の事として、購入するし袖を通してしまうわけです。

 さらに残念な事に、伝統あるしかも意味あるものを勝手に替えてしまっていること。写真をアップしましたが、襟をよく見てください。一番左端の彼が着てる袢纏が正規の袢纏です。「は組」の袢纏ですが、今から30数年前と思いますが、初めて印袢纏をそろえるのに、同じ「は組」である遠州横須賀中本町「は組」の袢纏を参考に作られたそうです。中本町「は組」の袢纏と言えば、まさに江戸町火消しの一番組は組の袢纏であります。
 その伝統ある袢纏を模した訳ですから、襟文字もそのまま 日向文字の「は組」であります。ところが、最近作ったお店の袢纏は、真ん中の彼が着ているように、意味もなく勝手に「影文字」に替えてしまっています。しかも、ちゃんとした影文字になっていなし、文字と文字の間隔は間がぬけたように本当にみっともないくらい。しかも、勝手に個人名を入れるなんて言語道断。印袢纏を冒涜しているとしか言いようがありません。

 せっかくの伝統ある良い袢纏もこれでは本当に台無しです。作る側、売る側はどうして勝手にこのような事をするのか聞いて見たいものです。今回紹介したのはほんの一例ですが、その組の看板を背負っている大切な印袢纏ですから、売る側も店の利益ばかりじゃなくて、しっかりと時代背景から事情をよく理解してやらないととんでも無いことになります。
 私の組の袢纏も同じように、でたらめな事をして平気で販売しているのですが、問題にしたくても伝えるところがなく、何とも歯がゆい思いです。
 

お祭り総括 vol.2

2007年10月12日 10時27分40秒 | Weblog
笛をはじめて1690日目。
 昨夜も8時前に帰宅。食事、ボクシングを見た後笛を持った。自宅で吹いているときは、良い感じだが・・・。兎に角稽古あるのみです。

 今年の祭りも一時雨に降られた。これも、10月10日という晴天の当たり日であった体育の日が、祝日の改正で移動した影響でもある。また、この第二月曜日に祝日が移動したことで、この地方の祭りが集中するようになり、笛吹が足りないなどの色々な弊害も出てきている。

 今まで祭りで雨に降られた経験の少ない地元の祭りでは、少しの雨でも大きな影響がある。今年もそうだった。10時過ぎにぱらぱらと降りはじめ、一時期は雨脚もひどい時もあった。私が曳く「ちいねり」は途中から急いで帰って来たので、雨の被害をあまり受けず、雨宿りしながら早めの昼食となった。
 青年・中老の祢里は、かなりの距離を祢里小屋まで戻ったようだが、雨に濡れたとのこと。朝の空模様からは誰も想像つかなかった雨だが、どれだけ臨機応変に対応できるかがそのときの役員の技量でもあるといえる。
 何もわざわざ祢里小屋まで戻らなくても、途中に高い屋根の所はないのか、応急処置で電柱に登ってシートを掛けても良いし、いやいや危険だからやっぱり祢里小屋に戻った方が、たしかにその場その場での判断であるので、そのことについてとやかく言うつもりもない。

 しかし、問題なのはその後のこと。私たちと同じように早昼飯にしたのは良いけど、祢里の「だし」は降ろしてしまっている。しかも、その後雨は降るわけでもなく、すぐに晴天になり暑い日となった。そうなれば、シートをはずし「だし」を乗せるのかと思ってもいたが、結局「だし」を乗せることはなかった。

 土曜日の夜や朝祭りは「だし」をおろします。日中挨拶回りを済ませたので、軽装にして動きやすくするためや、横須賀では土曜日の夜はすれ違いも頻繁に行われようになり安全の為という意味があります。中には、彫り物や擬宝珠をはずす町内もあります。
 しかしながら日中は、台風のような余程の事が無い限り「だし」をおろすことは、まず考えられません。なぜなら、「だし」には神様が光臨され、神様のご加護を振りまくために祢里を引き回すと言われています。また、先日掛川の龍尾神社の宮司さんから聞いたお話では、ご先祖様も光臨されていると考えられるとも聞きました。
 従って、雨で一時「だし」をおろしたとしても、お天気が回復して支障が無ければまたすぐに「だし」を乗せるべきであると私は思います。その辺ができないのは、やはり手抜きと言うしかありません。

 我々の祢里は、小さいが為、「だし」を付けたまま軒下に避難し、その後も日中はずっと正装のまま引き回しを行いました。
 祢里を曳くことの意味を理解していたら、今回のような事はしないと思うと、ちょっと残念です。
 「そんなことを言うのならそのとき注意すれば」という人がいるかも知れませんが、中老を終えたものは外部の者、そんなこと言っても聞いてもらえません。もし、我々の「ちいねり」が「だし」をおろしたら、それは断固として「だしはおろすべきでない」と言います。

お祭り総括

2007年10月10日 19時04分55秒 | Weblog
笛をはじめて1688日目。
 昨夜は久しぶりに早めに帰宅、食事の後笛を持ったが30分ほどで敢えなくダウン。そのまま寝てしまった。これではいけない!今晩はがんばらねば。

 今年のお祭りについて、感じた事を色々と書きたいと思います。
兎に角一番目についたのが「血止め」。膝下にヒモを巻くのですが、実際どういう意味で、どのような効果があるかをしっていて付けている人はいないと思います。なぜなら、本当の事を知っている人は、そんな物付けないから。

 江戸時代の飛脚やかご担ぎなど、荒れ地を走り回る訳ですからたいそう疲れたことと思います。少しでも疲れは軽くするために考えたのが「血止め」です。足がむくまないように血の流れを止めるから「血止め」。従って、膝下にただヒモを巻いただけでは全く意味ないし、しかもわらのような弱い素材では全く機能しないということ。
 しかも、「血止め」をつけた連中が、一生懸命足が疲れるほど祢里を曳くのか?っていったら、絶対そんなことないし。タダ単にファッションで付けているだけなんです。

 しかし、私も遊び心で一度巻いた事はあります。きつく絞めたので半日でやめましたが、それを付けたのは今から15年ほど前です。
 流行は「浜松祭り」から始まったのですが、今では「浜松祭り」でもあまり見かけない物、要は必要で無いから廃れていったものです。しかしながら、今我々の地区では大ブームです。なぜなら、それをたきつけている店があるからです。

 だらだらと丈の長い袢纏しかり、変な帯もそう。粋だとかいう装束とは、どんどんかけ離れて言っていると感じるのはわたしだけでしょうか?

一年で一番寂しい日

2007年10月09日 19時22分33秒 | Weblog
笛をはじめて1687日目。
 今日は一年で一番寂しい日です。大好きなお祭りが終わってしまいました。
でも最近は、一年で一番寂しい日は4月の第一日曜日の次の日で、今日は二番目かもしれない。

 いつものように、もめ事はあるし、腹が立つこともあったし、年々心の底からお祭りを楽しめません。せっかくのお祭りのに、祢里につかないで家に大勢招いては飲んでいたり、訳もなくけんかをふっかけたりと、お祭りをなんだと思っているのと疑ってしまう人が多くなっています。

 私は、勿論金曜日の夜からしっかりと祢里についていました。今年は、注文を受けていたものがトラブルで納品が遅くなってしまったので、土曜日の朝宅急便の営業所まで出向いて荷物を受け取り、それを掛川まで配達に行きました。その件があって土曜日は二時間ほど離れましたが、後はずっと祢里についていたり、笛を吹いたり、太鼓を叩いたりしていました。
 笛も合間を見ては吹きましたが、腹掛・股引のヒモをきっちりと絞めているし、その上から帯もしてるのせいか、いつもより息が続きません。笛を吹くときは少しゆるめに絞めた方が良いと一つ勉強になりました。
 それでも、日曜日の朝祭りの途中から笛を吹いたのですが、朝もまだ6時前と言うこともあり、笛を持ってもすぐに本調子にはならず、ぼーっとしながら吹いていたら、わざわざ磐田に笛吹に乗っているのに、朝祭りをやりに帰って来てくれて兄弟子から、「うらにはいっている」と注意されました。自分でもおかしいなと思いながらいたのですが、自信が無いときは一度止めてしっかりと太鼓を聞かなくてはと思いました。
 その後一時間ほど、兄弟子と交代で笛を吹きましたが、色々と注意されたことを思い出しながら気をつけて吹きました。でもまだまだです。修行が足りません。もっともっと頑張らなければと少し反省をしました。

 地元でほとんど自己流でふている連中の笛も聞きましたが、全く問題外でした。あの笛が我々の地元の組の笛を思われるのはしゃくなので、来年はしっかりと吹けるように頑張って今日から稽古したいと思います。

 色々と反省したこと、思ったことが沢山あった祭りでした。褒められる事はあまりありませんが、おかしいと思うことは沢山ありました。私の愚痴になってしまうのではいけないので、このブログを見ている方で少しでも同じ思いの人が増えるように、これから少しずつ記事にしていこうと思います

御祭礼

2007年10月06日 21時43分18秒 | Weblog
笛をはじめて1684日目。

 地元の祭りが昨日金曜日の宵宮から始まりました。
祭りが来るまでは、ワクワクどきどきしながら気持ちも少しずつ上がって来るのですが、始まってしまえばアッという間に終わってしまいます。

 但し、今年は前日までバタバタと忙しかったり、また祭りのグッズの納期が間に合わなかったりと、気持ちも色々と焦りがありました。
 祭りが始めると気になるのが、祭り装束で、中学生などがしっかりとした格好をするのは良いことですが、「血止め」と言って訳もわからず膝下にヒモを巻いたり、おかしな格好が年々低年齢化しているのが非常に気になります。まだ今日までは地元しか見ていないので目につくのは少ないのですが、明日になってよその地区の人々が繰り出してくるとさらにその数は増えます。

 だらだらと意味もなく長い袢纏であったり、兵児帯の「巻き帯」や、「血止め」。さすがに「内袢纏」などという袢纏二枚重ねは減ってはいますが、まだまだ喜んで着ている人も見かけます。
 祭りに紺色の足袋もおかしいと思うのですが、残念ながら我々の地元でも数名見かけました。

 よその地域ではとっくに廃れ、また原点に戻そうという動きがある中で、先に述べて格好は10年から15年ほど前に浜松等の他の地域で流行したものが、今我々のところで人気になっているのは、何だろうなと思ってしまいます。

 そんなこんなで、心からお祭りが楽しめません。
笛も機会がある度に吹いていますが、出番が少ないので少々残念です。
 あともう一日です。心から楽しめるお祭りになったら良いなと思います。