<こんなところにもいるんじゃないかな?なんてのぞいちゃったり…♪>
『ゴーイングマイホーム』(フジ)が面白い。
視聴率があまり芳しくないときくが、
そんなものはかまわない。
いいものはいいのだ。
そう、世界は目にみえるものだけではないんだよね。
ドラマを見た後の感想を
「#」(ハッシュタグ)をつけてたびたびつぶやいてきた。
(抜粋してます…。)
食卓のカタチに興味。
愛情の行方はどこにゴーイングするのだろう?今後に期待。(10/10)
(→その後、食卓は優しい変化を遂げる。)
ゆったりと流れていく時間の描写が心地良く温かい。
“あたたかいナニカ”を家族でみつけられるといいね。(10/24)
息子たちが幼い頃、黒いビニール袋で帽子やマントをつくりハロウィン遊びをやったなぁ。
あんまり可愛くてその写真をモチーフにして魔法使いの絵本をつくった私。
ドラマみてたら思いだした。あれどこにしまったかな?(10/30)
効率や損得勘定から離れた曖昧な時間に「目に見えないモノ」は
いるのかもしれない。
それが消える前に手を握りしめたママ(山口智子)にエール。(11/23)
実家のぬくもり…小苦いけれど愛おしい記憶の産物。
私たちはこんなセピア色の思い出を次世代に残せているのかな?
残せてるといいな。(11/28)
【注】ドラマをご覧になっていない人にはさっぱり?だと思います。
スミマセン。
観る人によって推し量る部分に違いがあるだろうな~と思いながらも
このドラマの魅力にとりつかれ
私は私なりの視点でつぶやいてきた。
母として、家族の一人として、娘として。
それもまた楽しい時間だった。
大人たちが
クーナの存在を信じる、信じようとする、信じさせてあげたいと願う・・・
その過程の中で“あたたかいナニカ”に出会う瞬間の描写が秀逸。
私たち大人は
いつの間にか現実(ほんとう)と非現実(空想)の世界に線をひいて
生きてしまっている。
たしか子どものころはごちゃまぜだったはずなのに。
ただ、
子どものときの経験から非現実(空想)の世界があることは知っている。
だけど、
現実と非現実の「はざま」に隠れている「ナニカ」に気づいてる人は意外と少ない。
気づこうと思う人だけが気づくことができるものなのだろう。
宮澤賢治の「風の又三郎」の中の
転校生、高田三郎がみんなの記憶の中では“風の又三郎”であったように、
「遠野物語」のかっぱ淵には河童がいたように、
「はざま」には不思議と感じる「ナニカ」が隠れているものだ。
・・・知ってるよ。だからわかるよ。
そんな風にうなづきながら私はこのドラマを見ている。
同じようにうなづいている人がいると思うだけで
なんだかうれしい。
あげるよと言って さしだした君の
指先風にふるえる 四つ葉のクローバー♪
(主題歌の「四つ葉のクローバー」)
もうずいぶん前のことなのに、
草花をにぎりしめてプレゼントしてくれたあの小さな息子の手を
昨日のことのように思いだす。
その愛おしさを抱いて私はまた前を向くことができる。
たくさんあげようと思ったものは
いつの間にかもらっている。
遠く愛おしい記憶に励まされているのは大人のほうなのかもしれない。
あぁ、今日も見終わったあとにポッと温かくなった。
ありがとう。
ゆったりしてなければ気づくことができない
珠玉のドラマの時間。
こんなのほんとに久しぶり。
大切なあたたかいナニカをいつも心に留めておけるような自分でありたい。
そう思いながら来週の最終回を楽しみに待っている。
『ゴーイングマイホーム』(フジ)が面白い。
視聴率があまり芳しくないときくが、
そんなものはかまわない。
いいものはいいのだ。
そう、世界は目にみえるものだけではないんだよね。
ドラマを見た後の感想を
「#」(ハッシュタグ)をつけてたびたびつぶやいてきた。
(抜粋してます…。)
食卓のカタチに興味。
愛情の行方はどこにゴーイングするのだろう?今後に期待。(10/10)
(→その後、食卓は優しい変化を遂げる。)
ゆったりと流れていく時間の描写が心地良く温かい。
“あたたかいナニカ”を家族でみつけられるといいね。(10/24)
息子たちが幼い頃、黒いビニール袋で帽子やマントをつくりハロウィン遊びをやったなぁ。
あんまり可愛くてその写真をモチーフにして魔法使いの絵本をつくった私。
ドラマみてたら思いだした。あれどこにしまったかな?(10/30)
効率や損得勘定から離れた曖昧な時間に「目に見えないモノ」は
いるのかもしれない。
それが消える前に手を握りしめたママ(山口智子)にエール。(11/23)
実家のぬくもり…小苦いけれど愛おしい記憶の産物。
私たちはこんなセピア色の思い出を次世代に残せているのかな?
残せてるといいな。(11/28)
【注】ドラマをご覧になっていない人にはさっぱり?だと思います。
スミマセン。
観る人によって推し量る部分に違いがあるだろうな~と思いながらも
このドラマの魅力にとりつかれ
私は私なりの視点でつぶやいてきた。
母として、家族の一人として、娘として。
それもまた楽しい時間だった。
大人たちが
クーナの存在を信じる、信じようとする、信じさせてあげたいと願う・・・
その過程の中で“あたたかいナニカ”に出会う瞬間の描写が秀逸。
私たち大人は
いつの間にか現実(ほんとう)と非現実(空想)の世界に線をひいて
生きてしまっている。
たしか子どものころはごちゃまぜだったはずなのに。
ただ、
子どものときの経験から非現実(空想)の世界があることは知っている。
だけど、
現実と非現実の「はざま」に隠れている「ナニカ」に気づいてる人は意外と少ない。
気づこうと思う人だけが気づくことができるものなのだろう。
宮澤賢治の「風の又三郎」の中の
転校生、高田三郎がみんなの記憶の中では“風の又三郎”であったように、
「遠野物語」のかっぱ淵には河童がいたように、
「はざま」には不思議と感じる「ナニカ」が隠れているものだ。
・・・知ってるよ。だからわかるよ。
そんな風にうなづきながら私はこのドラマを見ている。
同じようにうなづいている人がいると思うだけで
なんだかうれしい。
あげるよと言って さしだした君の
指先風にふるえる 四つ葉のクローバー♪
(主題歌の「四つ葉のクローバー」)
もうずいぶん前のことなのに、
草花をにぎりしめてプレゼントしてくれたあの小さな息子の手を
昨日のことのように思いだす。
その愛おしさを抱いて私はまた前を向くことができる。
たくさんあげようと思ったものは
いつの間にかもらっている。
遠く愛おしい記憶に励まされているのは大人のほうなのかもしれない。
あぁ、今日も見終わったあとにポッと温かくなった。
ありがとう。
ゆったりしてなければ気づくことができない
珠玉のドラマの時間。
こんなのほんとに久しぶり。
大切なあたたかいナニカをいつも心に留めておけるような自分でありたい。
そう思いながら来週の最終回を楽しみに待っている。