■鳥道楽■ネケネケ
鳥・面白いこと好きな心の中はoutdoor派の管理人。好きな言葉は塞翁が馬。
 




Cを失った経験で何かしら他の方のお役に立つかもしれないと言うことで
飼い主の覚書も含めて記しておこうかと思います。(一挙に書いたので誤字脱字があるかもしれません、ご了承ください、、)



■動物を飼っている以上いつかは出会うペットロスについて■
他の方に役に立つように、また家のちゃうサンがいつかいなくなってしまう時の
為に、Cを亡くした時の私の感情・体の状態の推移などを記しておこうと思います。


と、その前に。

まずペットロスには段階があるようで、
手元にあるペットロスの本を読んだり、ネット検索した結果知ったことを。
一般的には下記の流れで感情の推移が起こるらしく・・

1ショック:今まで生きて動いていたのに、死んだということが信じられない、受け入れられない状況
2怒り:  自分の飼育管理・最終選択への自責。動物病院を介した、あるいは事故の場合などでは関わった相手に対する怒り。もっと長生きさせられたかもしれないのに、と言う後悔もここに含む
3抑うつ: 今まであった強い感情は薄れ、悲しみ・孤独感が持続するもいつもの生活に戻りつつある段階。ある意味、この期間が一番寂しく、悲しく感じるのではないでしょうか。
4立ち直り、受容: 悲しかった記憶は薄れ、楽しかった、幸せだった記憶の方が前面に押し出されてくる時期。でもまだ昔の写真などを見ると涙が出てくることもあったり・・


上段階への更に詳しい情報はグリーフワークとは?へ。

私が読んだペットロスの本には、上記のプロセスを早い人で3週間でクリア、
普通は2ヶ月くらい、半年以上、10ヶ月以上かかる人もいる、とありました。

※早いうちに自分を客観視(例えば上記の段階のうち、自分は今どの辺りに居るのか)できるようになれば、回復も早くなるかもしれません。


更に詳しくは”ペットロス 段階”などで検索するといろいろ出てきます。


【Cを失ったことによる体・感情への影響】
以下、今回の喪失体験で自分のみに起こった事。(全ての人がこれと同じ症状が起こる訳ではないと思うので・・念の為)


3月28日(月)16時5分前後頃
目の前でCが死んだのを見て、死んだという事実自体はすんなり受け入れていた
と思います。完全に動かなくなったのが解ってから号泣しました。
その夜暗い場所で横になるのが怖くて明かりをつけて寝ました。部屋をしめきると息苦しく
感じるので戸も開放。
横になっても心臓の鼓動が速く、結局殆ど眠れず。
交感神経が優位になっている為か眠れてないのに日中は全然眠くなく。
夜に近くの小山を(いつものランニングルートです)思い切り走って来たんですが、まるで疲れない、
火事場の馬鹿力みたいな状況なんでしょうか。それが4,5日続きました。
食欲は全然無く、1週間で4キロ痩せました。

・・今思い出しても何故あんなに暗い所や密室に一人で居るのが怖くなったのか謎です。
あれは何に対する恐怖だったんでしょう。憶測になりますが、おそらく自責の念に押しつぶされるという
類のものだったのかもしれません。そしてたまらなく自分が孤独に感じてました。
(4月7日ちゃうの誕生日、10日目にしてようやく暗い場所が怖いと思わなくなりました)



数日間は黄色い物を見ると(あれ?Cまだいる?)と一瞬思ったり、
とにかくパステルイエローに飢えているような状況でした。
いつもCが好んで居た場所・・私のひざの上にまだ乗ってる気がして
無意識に乗りやすいように足の位置に気を使ったり、ちゃうの頭をなでると、
ヒザにも手が伸びたり。
眠る直前にCの匂い(幻臭?)がしたこともありました。


どうにかしてちゃうの中にCの面影を見だそうと努めるものの、この2羽はあまりに
違っていてオカメインコの♀である、と言う以外に共通点がありませんでした。
色は勿論、体型も性格もまるで正反対。匂いも全然違う。このとき(どうして似たような鳥を2羽
飼わなかったんだろう。そしたら残った1羽の中に面影を見ることが出来るのに)
と本気で思い込んでおりました。

数日間はCに関するもの以外のことに手を出すとなんとも言えず息苦しくなるので、
それに素直に従って、写真整理、ブログアップなどしてみました。

外出する方が一時的には気が晴れるものの、家に帰ると今までみたいに
2羽分のコールは聞こえず。それでも今までどおりに2羽分の名前を呼んでただいま、と言ったり。


つい前まではちゃうがここに居たらCはここにいてこうだったのに、、みたいな感覚が
抑えようもなくこみあげてきて涙が出てきて、完全に情緒不安定。

ちゃうのことまで心が置き去りになる始末。この期間、ちゃうサンには本当に申し訳なかったです。
ちゃうを見ながらCのことばかり考えていました。


一週間後くらいで急に食欲が戻ってきました。
空手道場に復帰したのもこの頃。ちーさん以外のことを考えられるようになったのもこの頃です。
きっかけは風邪っぽくなったから。
きっと泣きすぎて、食欲が落ちた為に免疫が下がったんだと思います。
これじゃあダメだな、と思うようになってきました。



そして、
先日で3週間目。
まだ何かきっかけがあれば涙ホロリとなるものの、とりあえずいきなり涙したり情緒不安定にボーッとしたり
するようなことは無くなり、完全に社会復帰は出来るようになりました。







Cはもともととても騒がしく主張の激しい鳥で、とにかくよく動き回る、よく鳴く、カーテンを登って壁をかじる
悪さをしたり、ちゃうを追い出したり、そのくせ甘える時は、こちらの目をじっと見つめて無言の催促をし、ちゃうよりもすんなり頭をなでさせるし、
人間のお客さんが来ると興味深そうに寄って行くし、セキセイインコと初めて出会った時も自分から近づいていったり、で。
好奇心旺盛、そしてあの明るい羽色・・よくも悪くも非常に存在感のある鳥でした。


特に休みの日はCと家のKは口笛と鳴き声で戯れていたので、本当ににぎやかで(動物園のようでしたヨ^^;)
家の中はちーさんが主役のような状態。(ちゃうは離れた所からひっそりと見守ってる感じ)
・・だから、家のKが在宅する土日が一番寂しく感じるのかもしれません。

ちゃうは壁はかじらない、ちーさんがそばに居ない時だけを見計らって頭をなでさせる、人間のお客さんが来るとパニくって遠くまで飛んで激しく震えるような
性格、ちーさんにいじめられていたのでいつもちーさんの動向を見て自分の行動を決めているような所がありました。
・・だから今まで、ちゃうが不憫に思えてかばっていた面(ちーさんから守ってあげようとする行為)、ちゃうの方を多く構っていたのは否定できないです。
Cももっと構ってあげたかった、という後悔はこの辺りから出てきてるようです。死ぬ1ヶ月前にたくさん構えてあげられたのがせめてもの救いかな・・。







■自分の場合、考えもしなかったくらい数日間体に強い症状が出た訳ですが、その原因として考えられるのが
・初めて1から自分だけで飼育した(飼育環境など全ての要因が飼鳥に反映されるということを初めて経験した)、
・在宅が多かったので1日のうち一緒に居る時間が長かった、
・今まで元気だったのに突然死んだ、
・絵を描くような人間なので、もともと感受性が高い(自分では自覚無かったけど・・)
そして
・オカメインコの平均寿命は15年くらいと聞いていたので天寿をまっとうさせることが出来なかった
ことへの自責を強く感じていた(多分平均寿命を知らなければここまで後悔の念は出なかったかもしれないです)
・死んだその時、自分ひとり(+ちゃう)だけで他には誰も居なかった
が関係しているのではないかと考えています。

あと、これは痛感したのですが、その人にとって飼っている動物を何”とみなしていたかで
悲しみの度合いが変わってくるというのもあるようで。
子供、とみなしていた人は重度のペットロスになる確率が高くなるようです・・そりゃそうですよね・・。
私はCのことを来た当初はちゃうの友達だったのが、いつの間にか2羽とも自分の子供、友達、恋人(人間にベタ馴れの鳥なら避けられない関係性かと思います)
になっていた訳で。


一方
■思ったよりも回復が早かった原因は
ネット(mixi)の日記に書いたことによって、またブログでCが死んだことを公表することによって、(飼っていた動物が死ぬことに対しての)理解のある方々から、
心のこもった温かいメッセージをいただけた、そしてその中でもおそらく同じ経験をしたことがあるであろう方からのコメントは
自分がこれからどうすればいいかの指標にもなった、
他にも電話、花を戴いたなど、今まで生きていて経験したことが無いようないろんな人の優しさに触れることができたのが回復が早かった理由だと思います。



そして自分を客観的に見直すのに役立ったのが、市販されているペットロスに関して書かれている本とペットロスに関して書かれていた個人様のブログでした。
Cがいなくなって2週間のうちに2冊読みました。
以下に、今回お世話になった本、ブログ記事をご紹介させていただきます。

ペットロスについて
言葉の贈り物
私に何の関係があるというのだ



そもそもペットロスと言う言葉を初めて聞いたのはここ数年だったかと思います。
それほど認識が無かったわけです。自分がまさかなるとも思っていませんでした。

子供の頃家にはセキセイインコ・十姉妹・ボタンインコ・カメ(カメはまだ生きてます)・金魚がいました。
鳥は殆どが他の方が飼えないのを引き取ったり、ペットショップの売れ残りをもらってきたり、飼い主さんの
見つからない逃げてきた鳥だったり・・
一時期21羽、全部手乗りでたくさん居たんですが、少しずつ死んで悲しい経験をしてきたものの、
飼育は母親がしていたのと(妹と私はは一緒に遊ぶの担当でした)、自分自身まだ子供だった為、鳥は
友達”と言う認識だっので、今回ほど酷く落ち込むまで行かなかったのかもしれません。
(勿論、凄く悲しかったのです。実際、オカメインコを飼う前までは、21羽のインコが何度も夢に出てきました。
オカメを飼ってからパタリと夢で見なくなったのです・・。)


死んでしまう時の一時の悲しみよりも一緒に暮らしていた幸せな時間、鳥が自分に与えてくれたたくさんの幸せの方がよっぽど大きく感じた・・
だからこそみんなまた新しい鳥さんを飼う訳ですよね、きっと。

(2009年春)




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以下は蛇足的内容です。



【Cに対しての覚書】
(Cの子供の頃からの体質?体の状態も)
Cのことについて。
こちらは、もし同じような症状が見られた場合に参考になることが有るかもしれないので
念のため記しておきます。

元々インコ類の色変わりの品種、ルチノー種も勿論、ノーマルに比べたら何かしら
体に問題がある場合が多い、と言うのは了解済みで飼い始めた訳です。(※但し交配状況にも因るとは思います。)


Cは家に来た子供の時から
・多食・偏食(麦ばかり食べる、麦を与えないと他のものを食べないで麦を探し回る)
・多食な割りにフンが小さい。ヘキサミタは居たようで(ちゃうは居ない)それが関係してるのか少し水っぽいフンをすることも多かったです。
・飛行はちゃう(ノーマル♀)よりも短距離でヘタってしまう、直線にすっ飛ぶような飛び方で、方向を変えるのは苦手(体格が大きめの鳥だったのでそんなものかと思ってました。)
 ―それでも近年は自由に曲がっていろんな場所まで華麗に飛べるようになっていたのです。息切れしたこと自体は今回(2月~)が初めてでした。

・餌を食べるのに上手く飲み込めないのか、いちいちケージの檻に口を持って行って餌を支えながら食べてるような行動があった(こちらも子供の頃から)
・時々下あごが外れたような状態になりながら上を向いてしばらくの間半目か目を閉じたまま少し苦しそうにでじっとしている
(大抵餌を食べてる途中で起こっていたので、舌を噛んだものと思っていましたが、今考えてみるとあれは餌が上手く飲み込めなくて
ああいう状態になっていたのかもしれないです。比較的短時間(10~20秒くらい)でケロッとした顔で元に戻ったのであまり気に留めてませんでした)(子供の頃から)

・腰の辺りから長めの羽毛が糸のように出てきたことも有りました。(数年前、ブログにも載ってます。循環器系の病気の兆候だった可能性もあったみたいです・・死んでから知りました)
・そして卵が。初産は私の小指の先くらいの卵を産んで(しかも血がついてました)、その後産む卵も正常なものもあったものの、細長い爬虫類のような卵、
殻の柔らかい卵、表面に筋の入った卵などを産んでました。難産で病院に行ったこともありました。
ちゃうと違って産卵回数・期間はかなりランダム。


↓これはちーさんが死んでから買った、鳥の病気について書いてある本です(amazonのURLに飛びます)
コンパニオンバードの医学書

ここには、Cの死んだ理由が発情過多などが原因の動脈硬化によるものだとほぼ断定できるような内容が載っておりました。

鳥の医学書のようなものを飼い始めの頃(2002~数年)はいろいろ買って読んでいたのですが、
その頃の本にはまだ心臓疾患や循環器系の内容・症状の記述は一切載っていませんでした。
ただ卵関連の疾患に関しては詳しく載っていたのでそちらに関してはとても気を使っていました(今でもそうです)
その後、何かあった時は自分の持っていた医学書を参考に対処していました。
最新のものをたえずチェックしておけば、もう少し早くCの心臓・循環器系のことを気付くことが出来たかもしれません。
・・Cが上手く飛べないのは体格が大きい為、麦を偏食するのも含めて、その鳥の個性だと思い込んでいた部分は否めないです。
↑の本にも書いて有りましたが、心疾患は検査でみつけるのが難しいのだそうです。目だった症状が出てきた時は手遅れの場合が多いらしい・・

Cが死んでから買った上記医学書みたいなものの中で初めて心疾患の症状・治療法などを確認できた訳です。
もしそれがもっと早く解っていれば、カゴの中に閉じ込めてでも飛ばさないように気をつけただろうし・・・・と、でも地震が起こった時はかごの中でパニックになって
息切れしてたみたいだからどのみち無理だったかな、、しかもルチノーの方が地震に対するパニックが起こりやすいと聞いたこともあって・・実際家ではそうでした。
(けど知っていれば少なくとも心構えくらいは出来ていたか)

寒い時期のCの息切れと自分と家の人間がノロウィルスにやられて10日近く人の居る場所へ積極的に動きが取れなかったこと(他の人にうつすとまずいので)、
祖母の入院と地震と停電と、ガソリンが手に入らなくなり車で移動できなかったこと、
Cを病院に連れて行く時に留守中いつもちゃうを見に来てくれていた私の母親が妹のいる他県に行って2ヶ月間不在だったこと、
それに伴う初めての一人暮らしをする父親が心配だったこと・・などなど
丁度Cの調子が悪くなった頃にそれらが全て重なってしまい、計画停電の駄目押しで病院につれていくのが大幅に遅れてしまったのは事実です。
(ただ、病院につれていって容態が良くなったかどうかは解りません)

今更いろいろ言った所でCは戻ってきませんが・・





で、今現在4月22日の私の心境は・・
「ちーさんが居ないとつまんないよー」
です。

あれだけ騒がしくて手のかかるいたずら大好き、汚すの大好きちーさんが居ないと、
やらなくてはならないことが半減(どころかほぼ全減になるのかな、、
ちゃさんは本当に手がかからないし、かごも全然汚さないので)

多分ちゃうも今同じ心境なんじゃないかな・・あれだけ毎日いじめられていたのが
急に無くなったので寂しく感じてるのは確かだと思います。
今までは殆どしなかった、Cの鳴き方のマネをしたりしてるので。
いつもCのにぎやかな声で1日が埋まってたから、その分を自分で埋めようとしてるのかな>ちゃうサン

ただ、ちゃさん鳴きまねはへたくそなので(グイヨ!)と言えずどうしても(ヴイヨ!)になってしまうようです。
あとCほどお腹に力を入れて鳴かない為か
やはり少しか細い声なんだよね。Cは鳴き声も凄くコシがあってしっかりして大きかったのです。


今のちーさんは静か過ぎるよー。


【ちーさんマジック】
マイミクさんに(何かいいことがあったらそれはきっとちーさんのいたずらです)
と言うお言葉を戴いたのですが、
はい、ありました!^^
良いことかと言うと微妙なんですが、

いなくなって5,6日後くらいに家の蛍光灯×2がいきなり明るくなりました。
私は無精者なので、蛍光灯が暗くなってきても完全に消えるまで取り替えない
人間で・・もう1年以上ずっと蛍光灯がいつもよりも弱めの光になっていたのです(でも、明るすぎよりはこの方がちゃ達にもいいかなと思ってそのままにしておりました)
それが・・
いきなりパーッと明るく点きだしたんです。買ったばかりの蛍光灯のように。
もう、まぶしすぎなくらい(笑
しかも2部屋の蛍光灯が一気に。こんなこと初めてで。
あまりに暗ーい、陰気な雰囲気だったので、ちーさんが明るくしてくれたのかなあ(笑
※22日現在、片部屋(ちゃう・ちーさんのカゴのある部屋。私がまぶしすぎと文句を言ったからでしょうか)の電気は元に戻りましたが、
いつも家族みんなが集まっていた方の部屋はまだまだ明るいです^^




■(最後に)いっぺんに来た喪失感
私がネットを始め、HPを作ったのが2000年、その当時からCG絵描き関連でずっと仲良くしていた義子さんの消息が今年1月26日からパッタリと途絶えました。
ちゃう・ちーさんが来た2002年時からネットにアップした画像、鳥ブログにいつも真っ先にコメントを付けてくれた人で、
3Dの絵を季節のイベントごとに私にプレゼントしてくれてた人・・と書けば、こちらのブログを覗きに来てくださっている方の中でも記憶に残ってる方がきっと
いらしゃるかと思います。
なんとかして消息・安否を確認しようとしております。義子さん、元気でありますように・・








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TOP画像は日干し中のちゃうサン。
ひとりぼっちの日干しにも慣れて来たのかな・・

随分と暖かくなってきたけど、風はまだ冷たいね。

以上、全て2011年4月6日撮影:一眼






さて、ちーさんが居なくなって昨日で3週間経ったわけです。

4月初め~今日までのちゃうサンの様子を写真で見てみましょう。

ちーさんが居なくなって粟穂場を追い出されることが無くなったので
我が物顔で粟穂を食べてるちゃうサン。



かじるの大好きだったちーさんがせっせとカゴを解体して行ったおかげで
粟穂をたくさん挿せるようになったんだったね。


ちーさんが齧った引き出し。齧るたびにコラっと怒ってたけど、ここまで齧られたんだから
もっと齧らせてあげればよかったなあ。



スズメさんと遊ぶちゃサンも健在。

ちゃサン、日干し時にはわざとえさを食べ散らかしてるような・・。ちーさんに影響されたのかな?
ちーさんは特に餌を撒き散らして食べていたのでスズメは大喜びでやってきたのです。


ひとり水浴びも慣れて来た。


横から押すとコロンと転がりそう、、


なんと、珍しく家のKがちゃうの為にリンゴを切ってくれました。

ちゃう、よかったね。
Kはちーさんが居た時は、ちーさんを肩に乗せて一緒(笑)にちゃうをよくからかっていたものです、、

ちゃ「Kが優しくて不思議。」

ちゃうはちゃう&ちーさんになったって事だよ。もうちーさんにいじめられてた不憫なちゃうは過去のものだってこと。
・・でも、寂しいね。



ちーさんが居なくなってから数日間は特に甘えてきました。




今の時期は毎日が発情との戦いです。
ちゃうは多産系なので、その年に1度でも産気づくと、5~6個の卵を
一ヶ月に1回、毎月連続で寒くなるまで産み続けるので、なんとかして産卵開始時期を
遅くしたいわけなのです。


去年8歳に産んだ卵が、以前のように表面がツルツルしていた健康卵と、
今までには無かった少しざらついたものも混じっていたので、出来る限り
産んで欲しくないものの・・産みそうなものを無理にとめる気にはならず。

↑こちらは2011年2月ごろのもの。
どちらもせっせとカルシウム補給しておりました。
ちーさんも産む気満々だったんだよね・・

【飼い主の覚書】(ひとりごとなので読み飛ばしてくださいね)
・そういえば2008年の春は最後の2羽同時ダブルタマゴッチモードだったんだね。
ちゃうがゴミ箱に篭って、Cは私のTシャツの中に篭って、どちらも1日中こもって
いるので寂しかったけど、あの状態はある意味飼い主には幸せな状態でもあったんだよなあ。
過去の卵関連記事
・その後2009年は春にCが産卵・抱卵するもちゃうはこの年は1個も産まず(ちゃうが1年間産まなかったのは今までで初めてでした)

・2010年は春にちゃうが産卵・抱卵してたけどCは1つも産まなかったのです
(Cは2009年に難産・軟卵を産んで、病院に行ったので産卵しないように気をつけていたのでした・・。
でも結局弱い発情モードは続いていたおかげで、たくさん食べて体に脂肪を取り込み過ぎ、
カルシウムの体内への沈着が進んだようで(産卵すれば
そのカルシウムが卵の殻として使われていたかもしれないけど、Cにとって産卵自体が危険な行為だったと・・)
もともと心臓が弱い+持続発情による動脈硬化の、急激な運動による
動脈破裂の突然死で亡くなった可能性が高そうです。

産ませない、という選択肢がベターだったかどうかは未だになんとも言えませんが、
Cにとっても飼い主・家の人間にとっても毎日楽しく一緒に暮らせたと言う点では
ベターな選択だったと言えるのかもしれないです。・・そう思いたい。


キクスイさんのキューブ塩土が製造中止になったので、ホームセンターで買ってきた
塩土(炭入り)を与えたのが2010年の春。


例によって2羽とも最初は怖がっていたんですが、今目の前にある塩土は角が
丸くなってます(↑参照:2枚上の写真)





【ちーさんとの思い出コーナー】


3月28日14時18分に撮ったちゃうの写真です。なんだかぬボーっとしてます。
そして、これがちーさんが一緒に写っている最後の写真となってしまいました。




・・と。

暗いノリで終わらせるのもなんなので。
今回は前日3月27日の写真を載せてお開きにしようか。

3月27日 日曜日の朝、ちーさんは今冬に入ってからのマイブームの乾燥リンゴを
いつものようにくちゃくちゃ噛んでました。


朝といっても、2羽が発情しそうだったので日照時間の調節の為起床時間は昼近くでした。


ズプリームペレットに混じっている乾燥リンゴを目ざとく選別。

ちーさんのカップの中にはちゃうよりも少し多目のリンゴを入れてあげてました

で、何故かいつも机の端まで持って行って下に落としてたよね、、噛むだけ噛んですぐポイッ(笑
とにかくじっとしていられない、いつもチョコマカ動いてるちーさんでした。

その頃、ちゃうサンは・・


ちゃ「また変なところ撮られた・・」

この日も日向ぼっこをしました。







ちーたろ、これから実家に行って来るからちゃうとお留守番頼んだよ。

寒くないかな?なるべく早く帰って来るね。

(いつも外出前に2羽の写真を撮るのですが、この日は何故かCの写真しか撮らず。SDカードのメモリが
少なくなっていたので、枚数制限していた、というのもあった訳だけど・・)

実家に行くにも、地震・停電の影響でガソリンスタンドで給油出来なかったため、
家の人間と一緒に徒歩片道40分近くで行ってきました。

そういえばこの日も、明日の計画停電は夜間になるから、また保温しないとなあ、とか考えていたんですよね。
結局28日から計画停電は中止になった訳です。


帰宅したのは7時ごろ。
でもいつもの宴中、ちーさんはいつものように家のKのひざの上に乗って私に頭をなでられてました。
(ちゃうはCが怖いのでいつものように遠くの洗濯物ハンガーの上で葉っぱを齧ってました^^;)

家族みんなが居る時は、いつもちーさんが輪の中心にいたのです。
そして、夜寝る前はいつものように家のKの肩に乗ってごきげんに大声で鳴いて、
Kがうるさい、と文句言ったくらい。ただ、行動する時の勢いが前日に比べて少し力なく見えたような気も・・

Kが寝室に入るとちーさんも一緒についていって、気の済むまで布団の周りにいました。
カゴに入れる時は(はい、回収ー)といってちーさんを連れて行こうとするものの、果敢に攻撃されて
なかなか手に乗ってくれなかったんだよなあ。
3月27日は、いつもどおりの楽しい日曜日を過ごせたのです。
3月27日は残念ながら面白い写真は撮れなたっかようです


基本的には最近のものから、どんどん昔の写真へ・・という感じで
ちーさんの画像をアップして行くことにします。
どんどん若返って、最後は家に来た頃の子供写真へ。
(季節によって何年前の今頃はこんなことしてた、と言う形式も織り交ぜるかもしれません)


まだやっぱり、元気なちーさんの写真・ちゃうと一緒に写ってる写真を見ると
切なくなってとても寂しい気持ちになるようで。
少なくとも一週間に一度の更新をがんばろうと思うものの、以前の写真を見ると思考が停止
してしまうのです。


・・・ふぅ。
困ったもんだね、ちーさん。





なんとか週1回の更新に戻したい・・。絵も再開したいな。ちーさんの絵も描きたいねえ。




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温かいお言葉をいただけて私はとても幸せ者だと思います。ちーさんもきっと喜んでいるでしょう。
お返事は・・・もう少しほとぼとりが冷めてから・・忘れた頃にさせていただくかもしれません。(まだまだ読むと涙ホロリになってしまうようで)




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TOP画像は今まで有りそうで無かった高品質画像?ちゃうの顔アップ。(以下の日干し写真は全て2011年4月6日撮影)

昨日4月7日はちゃさんの来家9年目でした。





【4月7日のちゃうの一日】

朝はCちゃんの前でうまうま。

昼はCちゃんの前でガリガリ。

日干しタイムもCちゃんと一緒・・・よく見るとスズメも一緒。


スズメを見ると何故か食が進むちゃう。








あ、おやつの時間だね。
久々にブロッコリースプラウトを買ってきたから食べな?


ちゃ「うまあ♪」
よかった、、食べない時もあるからどうかなと思っていたよ。

手に乗って食べるかい?



ガリガリ音がすると思ったら種を食べてました。9年目にして初のスプラウト種食いスキルゲット(笑


羽の手入れも。


フと寂しくなったりするのかな?


水を飲む時は、わざわざちゃうのカゴから伝ってちーさんのカゴに行きますよ。
これはCもそうでした。きっとこちらのカゴの方が飲みやすかったんだね。



夜の宴中。
一人での宴にも慣れて来たかな?
ちゃうにとっては体当たりで追い出す黄色い塊がいなくなったので
逆に安心して食べてるようにも見えます。


誕生日の為に特別に用意したトウモロコシにご満悦ちゃう。

つい、今までと同じ量をお皿に出してしまいました。
そうだった・・ちゃうはいつも5,6粒くらいしか食べてなかったね。
ちーさんはこれ全部余裕で食べてたけど・・
しかもちゃうはコーンの中身だけ器用に取り出して食べるのに
ちーさんは全部くっちゃくちゃに噛んでとても汚い食べ方だったんだよなあ^^;
(多分去年の未公開の写真が残ってると思うのでいつかアップしたいです)


ちゃうは口の周りについてもすぐ丁寧にぬぐってしまうんだよね・・几帳面な
キチンとさんだから。
ちーさんは口にいっぱいつけたままで絶対自分から口を拭かず他のものも
一緒くたにして食べるので食後の口の周りは凄い状態になっていたよね。
いつも拭いてあげてたなあ・・
これは1歳ちょっとの時の写真、


つい最近、9歳になる頃も↑と変わらない食べ方でした。細かいことを気にしないタイプ
だったんだよねえ^^;
と、ちーさんはその他にも本当にいろいろと手のかかる鳥さん(比:ちゃうサン)
だったのです。
だから今空虚感がこんなに大きいのか・・馬鹿な子(ちーさんすまん;)ほど可愛いと言う言葉が今になって頭をよぎってます。
・・でもちゃうがいなくなってもきっと酷く悲しむことになるんだろうけどね・・










去年~おととし頃、8歳になるあたりから2羽の体重が重くなってきました。
中年太り開始時期だったのかな?
2羽とも丸みをおびてきたのでヒマワリの種を減らし始めたのもこの頃でした。

ちゃうはもっと華奢で羽も少なかったのにね。小柄なのは相変わらず。








オカメインコの顔は・・もともと優しい顔立ちだったのが、歳をとるにつれて更に柔和で穏やかになっていくように思えます。


それにしても・・

四角いね、ちゃうの顔。

(この日ちゃサンは発情で非常にやかましかったのです。本日も発情用のホルモンで日中は頭の中が馬鹿ちゃうになっております。
夕方になると落ち着くみたいだけど・・感傷に浸ってる暇もありませんTT)




ちーさんは居なくなっちゃったけど、これまで通り、毎日楽しく過ごして行こうね。


【おまけ画像】
あ、ちゃう!ちーさんをかじったらダメ!

ちゃ「かみごこちがすき。」
ち「(ちゃうめ・・)」




※家の場合、お誕生日と言っても、鳥の来家記念日に当たる訳で、
ちゃうはこの日を1羽で過ごすのは2回目になるんだね。1回目はまだ
ジャージャー言って挿し餌をねだってた訳ですが^^


※そうそう、実家のカメ(ミシシッピアカミミガメ/ミドリガメ)が4月5日に32歳になりました。私が小学校5年にペットショップで買った亀はまだまだ元気なようです。





【ちーさんとの思い出コーナー】
2008年3月22日の2羽の未公開写真がみつかったので。



6歳になっていた頃。気力・体力供に充実していて、毎年いろんな進歩が見始められたのもこの年頃くらいだったかな?
ちゃうは今まで羽がスカスカだったのが羽毛が増えて、体も華奢だったのががっしりしてきて・・Cは以前と変わらず元気元気なものの、落ち着きを見せ始めていたね。

オカメインコにとって、1年目、5~6年目は節目の時期だったのかな。


2008年の3月28日は暖かかったんだね。














今はこの明るいパステルイエローの元気鳥がとてつもなく恋しいです。

うらやまCがりだったちーさん、「グイヨ!(ちゃうばっかりずるい、Cも!)」って声が聞こえて来そうです。
正直、ちーさんの写ってる写真を見るとまだ心臓がドキドキ
してきて胸がいっぱいになります。でも涙は殆ど出なくなってきました。本日11日目です。


(ちーさんの来家記念日の5月19日には未公開画像で特集を組みます)






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TOP画像はCが居なくなってからの1羽での日干し&水浴びです。
画像は2011年4月5日のもの。実際は4月2日に既に日干し&水浴びしてます。

躍動感があるこの姿を見ると生きてるんだなあ、とつくづく身に染みます。





ちーさんが一緒に水浴びしていた記憶がまだ鮮明に思い出されます。
お互い、こっちにもっと水かけろ、と【ぐぃい!】【ヴぃい!】とやかましかったなあ(笑


私の気持ちが落ち着くまで、ちーさんのお骨と一緒の日向ぼっこでいいかな?




そうそう。昨日買ってきたプランターにヒマワリを蒔いてみました。

ヒマワリの種は数年前に花を咲かせたものと同じく、キクスイさんで買ったヤツです。
今回も芽が出てくれるといいねえ。ちーさんの代用になるくらい元気なのが咲いたらいいなあ。

ついでに、原発事故直後に買い求めたチンゲン菜の種も蒔いた。
以前(収穫したチンゲン菜を食すちーさんとちゃう2007年)のように豊作になるといいね。






と、言うことで、ちーさんの未公開写真が尽きるまで、
【本日のちゃう画像】と【ちーさん思いでコーナー】の二本立て+αで行きますよー。


飼い主とちーさんは似ている(ちーさんの美しーい部分を除いて;)
と言われてました。
ちーさんも私も基本的に楽天家・お調子者、ひょろんとしたファニーフェイスで時に引っ込み思案・・おかげで明るいズッコケ写真がたくさん残ってます。
いつも元気が有り余って、真夏のヒマワリのようなちーさんでした(うるさいとも言うね、、)
そして、たくさんの写真を撮り貯めていた過去の私、グッジョブ!








【本日の思い出コーナー】
2011年2月3日のちゃう・ちーさん。アップし損ねた画像です。

ちゃ「あっ! Cちゃん粟穂ずるい」 ち「ちゃう、後ろにスズメがいるよ」

ちゃ「~~~。」 ち「(ちゃうってやっぱり弱虫。)」



2010年6月ごろ↑
いつもはちゃうが行く場所に先回りしてちーさんが・・
義子さんとディアブロ(オンラインゲーム)してる時でした



2011年2月25日19時16分
家のKが帰ってくるまで2羽+1人で待っているひととき。
ちゃ「Cちゃんまた粟穂食べてる。いいなあ・・」


2010年4月9日、丁度去年の今頃の写真。


2010年3月5日





今回は時間が無いのと、まだ思い出写真をアップする要領を得ないのでここまで。
少しずつストックされてる画像を出して行きたいと思ってます。








【ペットロスについて/オカメインコの♀を可愛がることの難しさ】
本日でちーさんが他界して9日目、
初めの一週間は本当に辛かったのです・・。
子供の時に何度もセキセイインコ他小動物の死を体験していたし、
大切な人が亡くなった時も乗り越えられたので
そういうのには慣れている、自分は大丈夫と思っていたんですが・・正直かなり堪えました。

mixiやブログ関係の方々、家の人間、家族、友人などの温かいお言葉がどれだけ
助けになったことか。
感謝してもしきれません。

そして同時進行で読んだペットロスの本、ネットで検索したペットロスの段階
に関しての記述が自分のことを客観的に見る助けとなりました。




今も飼い主はまだ完全復活とは行きませんが、このままだとちゃサンも寂しそう
なので、
「ちーさんとちゃうは合体した!」ということにして、
今まで以上に残されたちゃうを可愛がっていこうと考えております。



ちゃサン、4月に入ってからホキュホキュ・・と春の歌を歌い始め弓なりに(TT
必要以上に可愛がってはいけない時期に入ったので心中複雑です。
・・オカメインコのメスって、本当に難しいなと感じてます。
可愛がりすぎると発情→卵を産むための準備の為にたくさん食べる
=卵を産む→抱卵→発情→産卵→抱卵(これはちゃうのパターン)
=歳をとっていたり、卵が育つ器官が未発達(Cがそうでした。オスみたいな柳腰で
産む卵はちゃうの半分以下の大きさだったり、爬虫類のように細長かったり、普通サイズの卵を産むといつも血がついてました。軟卵の時も有りました)
=小さな発情を繰り返すと、えさをよく食べる機会が多くなる為か、肥満が加速する
こともあるようです。Cは去年の11月ごろからダイエット食にしていたものの例年の重めの換羽が重なったので、やたらと制限することも出来ませんでした。
保温しすぎても発情するから適度な温度までしか上げることも出来ず
・・結果、長い距離を飛ぶと息が苦しくなって、そして・・

オカメインコのメスは可愛がりすぎると短命になるということ、
これはもう殆ど間違い無い気がします(稀にベタ馴れでも発情しないコもいるらしいですが)
何処かで一線ひいて接しないとならないんですよね・・そのバランスが難しいな
と今更ながら感じてます。

ちゃ「・・なんぢゃ、あいつは。」
今まではちーさんが居た為適度なストレスがあったので発情に多少歯どめがかかっていたんですが。
数年前にズーラシアで買ったオカメインコ人形が今役に立ってます。






ちーさん、その当日その時まで、ここ3週間くらいは珍しくやたらと私に甘えてきていました。
mixiの動画へのリンクです。2011年2月4日、ちーさんの一番最後の動画
飛ぶと息切れするので飛ばないようにいつも近くにちーさんを持ってきていました。
いつもはちゃうが独占していた場所を死ぬ1ヶ月前まではちーさんが
大部分の間ずっと陣取っていたのです。
ちゃうがヴぃいいい!と悔しそうな鳴き方で文句を何度もいったくらい。
でもおかげでこの点に関しては心残りが無くてすみました。
前日に大好きな家の人間とも就寝時までずっと一緒で遊んでたし。

あの時ちゃうとCを台所で待機させて別部屋に私が移ったほんの僅かな間に
Cが私の方を飛んで追っかけてきてしまったようで。
普段はその場所で待っていたのになあ。
遅かれ早かれこういう結果になっていた可能性はあるものの、その点に関しては
自分の中にずっと残ってしまいそうです。

やはり死ぬには早すぎたな、と。
私は動物のいる天国に行けるんかねえ。もう一度会えたら楽しいだろうね。


【擬似的な悲しい、と言う感情は人間にとって気持ちのいいものなんだろうか】
お涙頂戴的な映画・ストーリー・ドラマが好きな人達が居ます。
(映画タイタニックを見に涙を拭くハンカチ持参で何度も映画館に通った人とか)
真に悲しむ時への予行練習みたいなものなのかな。
でも、実際は両者は全くの別物だよね。今しみじみとそう感じております。









ちーさんがいなくなってからの、ここ一週間の画像を何点かあげておきます。


怖がりのちゃサンでもちーさんのお骨は全然平気みたいです。

残されたちゃうはどんなことを考えているんだろう。



お友達に戴いた花と一緒に

ちーさん、よかったねえ。

















私も家の人間も飲兵衛なんですが、この週は酒の消費が加速しました。
弔い酒、お神酒と言うことで2人でグイグイ飲んでました(ダメダメですね;
ちなみに私の方は一週間で体重4キロ減りました、、




この腕輪は形見みたいになっちゃったね。
ちゃうは未だに怖がってよりつかないけど、ちーさんは齧ったり乗っかったり、
遊ぼうとして寄ってきてたよね(笑

私が何かしてると、いつも興味深そうにこちらにやってきたねえ。




ちーさんはカゴを綺麗にして部屋の掃除をした直後にいなくなってしまいました。
朝方ちーさんが食べてたチンゲン菜の歯型だけが残されてました。

新しく出した麦、食べさせてあげたかったな・・




こうやって記録しておけば、いつかきっと懐かしい思い出になると願って。






【予告】
4月7日はちゃうの誕生日。記事アップするよ!


勿論ちーさんの写真もアップします^^

追記※4月7日中のアップが間に合わなかったので明日8日に更新します。
ところで、記事作成途中で久々に大きな地震が起こったのですが、
みなさんのお家のオカメさんは大丈夫だったでしょうか?無事でありますように








【おまけ画像】

2011年3月28日14時18分、最後の日向ぼっこ時のコンデジ写真です。 
ね、上のちーさんがいなくなった空のカゴと同じ歯型の葉っぱがあるでしょう?






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※今年1月末より、10年来(2000年から)の友達だった義子さん(私とCG関係の友達から始まって、ちゃう・ちーさんが家に来た時からずっと私のインコサイト、ブログを
見守ってくれてた人で義子さん自身もセキセイインコを12歳まで飼育していた経験の持ち主でした。いつもブログのコメントを真っ先に書いてくれてた人です)
が消息を断ちはや2ヶ月半。「2月14日には帰って来るね」と言い残してそれきり。今まで1ヶ月くらい音沙汰無しのこともあったので今回もひょっこり現れるかなと思うものの・・。
その間どうしてもブログコメントもランキングもオンにする気になれず・・・でもちーさんが死んだ今少し吹っ切れてきたので、コメント欄・ランキングもオンにする気になって
きました。・・義子さん、どこかで元気にやっているといいんですが。
嫌なことって重なるものなんですねー・・今年の2月に入ってから今までろくなことが無かったけど、これからはきっと良いことがあるはず・・!


戴いたコメントは時間がかかるかと思いますが少しずつお返事書きますね。







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