摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

一汁一菜

2009-01-21 10:31:07 | エッセー
しばらく前に母が送ってくれた新聞の切り抜きで
とても共感したものがあります。
それは、料理研究家の土井善晴さんが書かれた
日経新聞の「味のツボ」というコラムです。
以下、主な部分を抜粋します。

「日本料理はご飯と汁、漬物で『一汁一菜』の献立になります。
いわゆる『汁飯香(しるめしこう)』といわれ、
最小限の献立にして、日本の食事において一番大切なものです。
 普段の食事なら実はこれで十分」

「ご飯と汁を中心に献立を作るのが家のご飯です。
 まず、何を食べようかとおかずを先に考え始めると
あれもこれも……となって、どうしても
『作りすぎ、食べ過ぎ』になりがちです。
普段の食事をシンプルにすれば
休日に腕を振るう楽しみがあります」

少し前から私も同じようなことを考えていました。
自然育児の本でも、玄米のご飯とおみそ汁があれば
子どものご飯は十分と書いてあったし、
あれもこれもと作るばかりに、
フードマイレージの高い食材を買ったり、
食べ過ぎになることの矛盾と無駄を感じていたからです。

主婦の毎日の大きな悩みの種が、献立づくりです。
でも、本当は土井さんの言うようにシンプルに考えればいいものを
必要以上に難しく考えてしまっているのではないでしょうか。


うちの息子は、とにかく野菜嫌いなんですが、
去年の夏私が作ったきゅうりのぬか漬けと
自然食品の共同購入会「オルター金沢」で買う
「ばあちゃんのたくあん」は大好きで、
冬になってもぬか漬けの容器を見て、
「このきゅうりが食べたい」と言ってます。
先日、友達からもらった自家製キムチもおいしかった~
一汁一菜のこんなところから、
私なりの丁寧な暮らしに挑戦したいなと思ってます。

罪を犯した人の心

2009-01-17 18:57:38 | エッセー
私が心理分析を学び始めたのは、
たまたまいただいたご縁がきっかけで、
特にカウンセラーになりたかったわけでは
ありませんでした。
心理分析の知識は広く応用が利くだろうから、
何か事業をプロデュースする時に役に立てば
と思って、受講し始めたのです。

今でもおそらくカウンセラーにはならないだろうと
思うんだけど、
カウンセラーだったら何か役に立てないかなと
思う分野がいくつかあります。
その1つが、罪を犯した人のカウンセリングです。

もうずいぶん前から、何か事件が起きると
私はそれを犯した人はどうしてそんなことをするに
至ったのかを考えるようになりました。
それは、もう何年も前からそれまでの常識では
考えられないような事件がたくさん起きるように
なったからだと思います。

最近気になったのは、入院中の1歳の娘の点滴に
腐った水を入れたとして逮捕された母親の事件です。
心理分析では、病気などがなかなか治らない場合は
深層心理において病気でいることによって
誰かの関心を引きつけたいと思っていることがあると
言われています。
今回の事件では1歳の娘ではなく、
母親のほうにそんな心理があったのかと思っていたら、
「(子どもが病気で)大変だと言ってほしくてやった」
「看護する母親の姿を周囲の人に見てほしかった」と
彼女は言っているそうです。
そして、子どもをわざと病人に仕立て上げてしまう特殊な児童虐待、
「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の可能性を
疑われているとのことです。

もし彼女が本当に報道されているようなことを言っているとしたら、
彼女はなぜそれほど周りの人に認めてほしかったのか。
何が満たされていなかったのか、気になります。

また、最近ネットで記事を見てあらためて考えさせられたのは、
日本の犯罪史上もっとも凶悪な犯罪とも言われる
東京足立区で起きた女子高生コンクリート殺人事件です。
事件の詳細を読むと気分が悪くなるほど凄惨な暴力は
なぜ起きたのか、
何人かの人がこの事件については本を書いているので
詳しく検討されているのかもしれません。
私も子どもが産まれて落ちついたら
その手の本も読んでみたいと思いますが、
今は胎教に悪そうでちょっと。。

最近見たその記事の中で引っかかったのは、
主犯の少年の身長が160センチということでした。
160センチと言えば、女性でも背が低いほうの私と
そんなに差がありません。
もしこの記事が正しいなら、
小柄な自分が仲間の少年たちになめられないように
いつもやることがエスカレートしていたのでは?と
疑いました。

そう思ったのは、以前受けた命の教育に関するセミナーで聞いた、
ある高校での事件のことを思い出したからです。
この事件を起こしたのもやはり背の低い上級生で、
180センチくらいある下級生に応援団への誘いを断られて、
下腹部をナイフで刺して失血死させてしまった
という概要だったと思います。

応援団や不良グループなど
男性としての荒々しさが求められる(?)ところでは
「男性らしさ」でコンプレックスを感じている人は
必要以上の暴力で力を誇示しようとするのではないかと
思いました。


腐った水を点滴に混ぜた母親も
女子高校生をコンクリート詰めにした少年も、
誰かありのままの姿を認めてくれる人がいたら、
そういうことに走らなくて済んだのではないだろうかと
思えてなりません。
そういう人たちの心の軌跡を、
じっくり聞き出すことによって、
同じようなことが起きるのを防ぐことに
役立つだろうと信じています。


日本でヘミシンクの普及に尽力されている坂本政道さんが、
最近こんな話をされていたそうです。
「“いま”という時代は、
それぞれの人が内側に抱えている不安や問題が、
形となって外側に出てきてくれている。
せっかく形となって現われてくれたのだから、
それを一つひとつクリアしていけば、不安の原因がなくなり、
内に抱えていた不安や恐れも克服できるのです」

まったく訳がわからないように見える犯罪もまた、
私たちの内面を映し出したもののように思えます。
この世の中に無駄なものなど何一つない。
無駄な人間など誰一人いない。
だから、罪を犯してしまった人の心の声に
耳を傾けてみたいと思うのです。

上善如水

2009-01-04 18:26:41 | エッセー
帰省中に読みたいと思ってた本を借りられなかったので、
岐阜の家にあった本を読んでみました。
『結婚帝国 女の岐れ道』というタイトルで、
著者は日本におけるフェミニズムの草分け、上野千鶴子さんと
臨床心理士で原宿カウンセリングセンター所長の信田さよ子さん。
私はこれまでに上野さんの本を何冊か読んで、
ファンだったので期待していたのですが、
今の私にはちょっと違和感を感じる内容でした。

上野さんの言葉の中で、特に違和感を感じたのは、
「『紳士的な男』には、『紳士的な軍隊』と
同じくらいの背理がある」というものです。
私は上野さんほど男や女について
徹底的に研究してきたわけではないし、
自分の固定観念というのも多分にあるでしょうけど、
「え?男に生まれただけで、
軍隊に象徴されるような攻撃性などを負ってきて、
それを制御するには去勢するしかないって言うの?」
って思いました。
男の人にもいろいろあると
上野さんも考えているのかと思ってたけど、
こういう見方にはちょっとついていけないな。
そういう見方をしていたら、
人間の半分は男に生まれてきているんだから、
そのこと自体への強い不信感につながってしまう気がする。
つまり、この世界、宇宙自体、
そして同じくこの宇宙の仕組みで生まれてきた
自分自身への不信感に。
それってちょっと苦しくない?

信田さんの言葉で「ん?」と思ったのは、
カウンセラーとしての自分のスタンスを語っているところ。
「わたしという人間があなたという人間と出会って、
あなたという人間はこういうニーズを持っている。
それにとことん従うことは私の職業倫理であるけれど、
わたしが1人の人間としてあまりにも許せないことは
『イヤです』と言いますから、そういうわたしがイヤならば、
ほかのところに行ってください」

このあたりを読むと、同じカウンセリングでも
私が学んだものとはだいぶ違うんだと実感します。
だって、私だったら上の言葉を見て、
「おいおい、カウンセラーが自分の主義主張を
クライアントに押しつけて、どうすんのよ」と思っちゃう。
こう言ってる一方で、DVを受けている妻たちが
またDV夫の元に帰っていくのを見て、
「その人たちがお帰りになるのを見て、
敗北感に打ちひしがれるだけです」と語っている。
また別の機会には、「『いやし』という言葉はいやだ」
というような発言もありました。
そういう発言をする人はほかにも見たことあるけど、
現に傷ついている人たちが多くて、そのニーズがあるのに
その概念に反発するってどういうこと?と思います。
「それはあなた方が弱いからだ」とでも言うのかしら?


この本を読んでみて、お2人には共通して
「男は狼なのよ」という強い観念があることが感じられ、
それが私に違和感を与えていたんだろうと思えました。
上野さんは、現代の(と言っても5年前ですが)30代女性に
フェミニズムのメッセージを送りつづけているが、
届かないことに危機感をいだいていると言っていて、
メッセージが届かないのは送る側の責任ではなく、
その女性たちが聞く耳を持たないからだと発言しています。
でも、私は真理をついたメッセージは
必ず届くと信じているものです。
上野さんたちのメッセージが届かないのは、
男性全体に対する不信、
ひいては男性を生まれさせている仕組み自体への不信に
30代の女性も直感的に違和感を
感じているからなのではないでしょうか。

「体にいいから、これを飲みなさい!」と青汁を出されても
飲めない人はいます。
酒は、百薬の長とも言われますが、
飲めない人もいるし、飲み方を間違えれば害にもなります。
無味無臭の水は誰でも飲みます。
誰にでも役に立って、害もない水のような思想が、
これからの世界を救っていく気がしています。


追記:
この本の内容には賛同できなかったけど、
介護などについて書かれた上野さんの本には
強く共感し、多くのことを学びました。
上野さんご本人にお会いする機会もありましたが、
赤ちゃん連れだった私にも、
細かい気配りをされる方でした。

コーチの仕事

2008-12-26 00:01:32 | エッセー
高畠導宏さんというプロ野球の元打撃コーチが
高校の先生として活躍するドラマ、
フルスイング」を見ました。
今年の1月から6回シリーズで始まったときから
見たいと思っていたけど見逃して、
10月の再放送ではデジタル放送の予約録画を失敗。
3度目の正直で、ようやく最終回まで見られました。

高畠さんが言っていたという
「夢が一番大事」とか「あきらめない」とか「気力」とか、
スポ根もので出てくるようなテーマは、
今の私はちょっと苦手になってしまったけど、
今日放送されたドラマの後のミニドキュメンタリーの話は
印象的でした。

「コーチの仕事は教えないことですよ」という言葉。
こういう逆説的な言葉、特により自然体をめざす言葉には
真理が含まれていると直感します。
この言葉を高畠さんから聞いた剣道部の監督によれば、
次のようなことも話していたそうです。

高めのボールに手を出してしまう選手に、
「高めのボールには手を出すな」と指導すれば、
かならず高めのボールに手を出してしまう。
そうではなく、うまい部分をほめれば、
自然に高めのボールに手を出さなくなる。

これって、人の心理をよく見抜いた指導法だなと思いました。
さすが、伝説の打撃コーチと呼ばれ、
高校でもみんなに慕われた人、
心理学の原則を現場で身につけていったんでしょうね。

よく、長谷川泰三さんが「絶対の魔力」ということを言います。
「絶対~するな」というと、必ず禁止されたことをしたくなるそうです。
「絶対高めのボールには手を出すな」というのは、
「高めのボールに手を出せ」と言い続けるのと
同じ効果を持ってしまうのかもしれません。

じゃ、「明日は絶対早起きしないぞ!」と言い聞かせたら、
明日早く起きられるかしら??
ま、まだ風邪が治らないから、体の欲求に任せることにします



武家屋敷でこもがけ始まる

2008-12-01 12:54:59 | エッセー
息子を幼稚園に送って武家屋敷方面から帰ってきたら、
たくさんの人が二の橋付近に集まっていました。
今日から土塀にこもを掛ける作業が始まるのです。
集まっていたのは、その作業を取材する報道関係の人たちでした。
金沢の冬ですね。
我が家への道すがら、土塀にかかったこもを吊るす縄を見ながら
庭師さんたちの誇らしげな仕事ぶりを想像しました。

今年の9月に金沢職人大学校の一般向け公開講座があり、
私は当時うちにホームステイしていたイギリス人の青年と
造園の講座に参加しました。
松の剪定、雪吊り、縄の結び方などの作業を学びましたが、
確か私たちのグループの先生は石川県造園業共同組合の理事長さんで、
作業が始まる前に話してくださった金沢の造園のうんちくが
とても興味深いものでした。

有名な雪吊りは、石川県周辺の水分を多く含む雪の重みで
庭木が折れないように発展したとか。
黒松はもともと海の近くに生えるものだから、
庭に植えるなら赤松の方がふさわしい(だったかな?)とか。
でも、武家では男松(おまつ)=黒松と女松(めまつ)=赤松の
両方を植えて子孫繁栄を願ったとか。
今ではよく覚えていないこともあるけど、印象に残っているのは、
「造園は奥深くて、突き詰めていくと哲学まで行ってしまう」
というようなことを話されていたことです。

行った作業の中では、松の剪定(透かし)がおもしろかったです。
どの芽を残すか、取るか、2,3年後の枝ぶりを想像しながら
決めていきます。
まるで、何手先も読む棋士のようです。
一つ一つの枝の透かし方とその理由を聞くのは、
とても興味深いものでした。

こんな風に自分が職人さんの仕事を体験してみると
あらためてその奥深さ、ありがたさに気づきます。
「自分でできることは自分で、できないことは職人へ」と
庭師の先生たちもおっしゃってました。
そして、何年も先のことを考えながら庭の面倒を見てくれる
ホームドクターのような庭師さんがいるといいということも
教えてもらいました。
ぜひ金沢で庭付きの家に住んでいる方には
それを実行していただき、
すてきな金沢の街並みを保つことに貢献していただけると
いいなぁと思います。


老子の言葉へのシンクロ

2008-11-30 15:02:46 | エッセー
今朝の北陸中日新聞「けさのことば」に、
老子の言葉を見つけました。

「あともどりするのが『道』の動き方である」
(『老子の思想』張鍾元、上野浩道訳)

「これは、どこにあったっけ?」と思って、
手もとの『老子・列子』(奥平卓、大村益夫訳)を
久しぶりに開いてみました。
上の言葉がどこに書いてあったかを確認するより、
あらためて深く共感する言葉が多いのに驚きました。
いくつか現在の社会状況に照らし合わせて、
特に響いた文章を抜粋します。


「才能などというものを重視さえしなければ、競争はなくなり、
人民は安らかに生きられる。
道徳などというものを強制しさえしなければ、心を偽る必要がなくなり、
人民は自然の情愛に立ち返る。
商工業などというものを廃しさえすれば、欲望をそそるものがなくなり、
人民は盗みをしなくなる。
才能、道徳、商工業の三者は、いずれも作為であって自然に反する。
すべて取るに足らない。
治世の根本は、人民の本性を回復するにある。
すなわち、無心にさせ、私欲をなくさせることである」

「一国の政治は、農夫を手本として行うべきである。
農夫は、作物の自然を全うさせる。つまり、自然の理に従うのである。
自然の理に従うことは、徳を内に深く体することにほかならない。
徳を深く体すれば、いっさいの不可能は消滅する。
不可能が消滅すれば、無窮の境地に到達する」

「国は小さく、人口は少ない。たとい人並みすぐれた人材がいようとも、
腕をふるう余地すらない。
住民はすべて生命を大切にして、遠くへ足を伸ばさない。
舟にも車にも乗る必要がないし、武器も使い道がない。
文字を書いたり読んだりするこざかしさを忘れて、
ひたすら現在のままの衣食住に満足し、生活を楽しんでいる。
手の届きそうな隣の国とも、絶えて往来しない。
これが、わたしの理想郷である」


ちょうど夕べ、あるMLで世界各地の子ども達へ本を寄付している
社会起業家の話を読んでから、教育の功罪について
寝床でうつらうつら考えていました。
教育に「罪」なんてあるの?と思われるくらい、
教育は絶対的な善と神聖視されている気がしますが、
私は老子とかなり似た見方をもっています。

それは、以前テレビのドキュメンタリーで
ヒマラヤのシェルパたちが子どもを大学に行かせたいから、
登山ガイドよりグルカ兵というイギリス軍の傭兵の職を希望する人が
多くなった、というような内容の話を見たことがきっかけでした。
ヒマラヤの素朴な生活に大学の教育は本当に必要なのか、
そんな必要性が疑問なものに対して、
それだけの犠牲を払う必要はあるのか、
とても疑問に思ったのです。

親のすねをかじりまくって、高いレベルの教育を受けさせてもらった者が
こんなことを言うのはどうかとも思うけど、
高いお金を払って行かせた大学で得られる知識・技術は
今地球や人々を追い詰める社会を作り、維持するために
使われているように思います。
もちろん、そうではない方向を目指した知識・技術もありますが、
そもそも老子が言うように無為自然な生き方をしていれば、
そんな知識や技術もいらないのではないのでしょうか。
老子の言う「現在のままの衣食住に満足し、生活を楽しんでいる」状態は、
ガンジーの言うチャルカ(糸車)に代表されるような非工業化の
生活でもあると思います。


ガンジーの思想とのつながりを感じたり、
最近自分は作為が嫌いということに気づいたりしたのも、
今日久しぶりに老子の言葉をひもとくことに連なった
シンクロのような気がしました。
あらためてじっくり読んでみたいと思います。

共感した衣の本2冊

2008-11-22 22:43:48 | エッセー
先日、「衣を自分の手に取り戻す」という記事で、
自分が生きていることを肯定できるような服、
体が喜ぶような服がほしいと書きました。
昨日、最近リニューアルオープンした
金沢市の玉川図書館に行って、
裁縫関係の本の中に、何か私が求めるような服を
提案している人がいないかなと探してみました。

すると、まず真砂三千代さんの「風着(かざぎ)」
という本が目に入りました。
アジアの布を実に自然に体にまとって、
野を歩くモデルたちの姿に、目を奪われました。
真砂さんは、「インドへ旅した際に
生活に根ざしたモードを目の当たりにし、
創造のインスピレーションを得た」そうです。
また、バリ島に暮らしていた時は、
「作り手が自然に囲まれ、
仕事と生活が無理なく調和した環境に共感した」そうです。
私が求めている感じにとっても近いわ!

もう1冊目に止まったのが、「安藤明子の衣生活」という本。
副題の「ずっと着られる衣服を求めて」という言葉に
ひかれました。
安藤さんは、結婚して日本家屋に住みようになったら、
洋服の不合理な点に気づくようになったそうです。
そして、「風土に適い、いつでも気持ちよく着られて、
年齢や体型にとらわれることなく、
いつまでもその人らしく、ずっと美しく着られるもの」を
求めたそうです。
これって、今の私が抱えている問いとすごく似てるな。
安藤さんが行きついた答えは、サロンという筒状のスカート。
東南アジアの国々で着られていて、
日本の着物の下半分みたいな感じでもあるから、
親しみやすいものです。
この本には、マタニティとしてのサロンの使い方や
ベビー、子ども服も載っていました。
しばらく、この本をながめて楽しめそう。

安藤さんは、岐阜県多治見市に築100年の古民家を移築した
「ギャルリ百草」というお店で、
衣食住の道具を扱っているそうです。
来年帰る予定の岐阜県に、そんな素敵なところがあるなんて
早く行ってみたいなぁ。
また楽しみが増えました。

生き延びるためのシュタイナー教育

2008-11-14 00:19:38 | エッセー
今の社会では、人は大きなシステムの部分として働かされています。
だから、自分をそのシステムに適合させようと
高度な専門性を持った、より付加価値の高い部品になろうと
努力していますが、それはとても危ういことだと
お風呂の中でふと思いました。

なぜなら、システムを支配する層にとって都合のいい部品になれば、
そこに頼らなければ生きていけないと思いこむ
奴隷のような存在になってしまうと思うからです。
そして、支配層はより性能のいい(都合のいい)部品を選ぼうとするため
ニーズに合わなくなった部品はどんどん捨てられるでしょう。
実際それが、今の社会での人間の扱いです。

本当にこれからの社会で生き延びたいのなら、
いい大学、会社に入るための受験勉強なんてやめて、
生きるために最低限必要な仕事を身につけた方がいいと思います。
食べ物を手に入れて、食事を作ること。
夜露や暑さ、寒さを防ぐ住まいや衣服を作り、整えること。
一緒に支え合う仲間を大切にし、ケアすること。
そして、仲間に認められ、生きがいを感じるために、
人の役に立ったり、人を楽しませたりする仕事を見つけること。

できるかぎり自然にちかい素材が保育に使われるシュタイナー教育では、
そんなことができると私は思っています。
どうやってその素材を加工すれば、自分たちの役に立つようにできるか
こどもたちは学んでいくから、
どんな状況におかれても自分は何かできると思えるでしょう。
確か、本当にそんな風に卒業生たちが育っていると
外国のシュタイナー学校の本で読んだおぼえがあります。

今日、私はもう一度岐阜に帰って、
気になっていたもう1つの幼稚園を見てきました。
野菜を育てたり、布を織ったり、人形を大事に抱っこしたり、
人が生きていくための本質的なことが学べそうだと直感しました。
大波がはじけている今の世界ですが、
ひょうひょうと無人島で釣りをしているような
しぶとい人に息子はなってほしいです。


風通しのいい家に住むには

2008-11-06 16:32:20 | エッセー
昨日の断捨離セミナーで、こわ~い話を聞きました。
吹き抜けのある古い町家に住んでいた家族が
収納場所を確保しようと吹き抜けをふさいで物置にし、
たくさんの物を押しこめました。
すると、そこの長男が自殺し、
それを苦にした母親ががん(?)になって亡くなり、
父親も弱って病気になり、亡くなったというのです。
次男夫婦は気味悪がってこの家に寄りつかなかったそうです。

このエピソードはもちろん実話で、
ものに空間を占領されると息苦しい場所になり、
行きところまでいくとこんな恐ろしいことにもなるという
例として取り上げられたものです。

これとは対極にあるのが、昔の日本の家かもしれません。
(もっとも、冒頭の例のように、使い方を誤ったら、
元も子もありませんが)
夏をむねとして、風通しを重視したつくりになっていましたから。

以前、自然育児の本で、住まいの通気性がとても大切で、
冬でも窓を開け放って、薄着をさせろのようなことが書いてあり、
冷え性の私は「ひぇ~」と思ったものです。
でも、○×断熱とかで完全に自然界と遮断された空間を家と呼ぶなら、
それもどうなのかなぁと、今は思います。

とは言え、築40年の木造家屋に住んでいると、
やはり冬の寒さは無視できません。
光熱費もかさみますし。
レイキの呼吸法をやっていると体がぽかぽかしてくるので、
それがずっと続いていれば薄着で過ごせると思うんですけど
呼吸法をやめると、また寒くなっちゃうんですよねぇ。。
食べ物でも、体をあたためる作用のあるものをとって
冷える作用のあるものを控えれば、
だんだん冷えはなくなるのかもしれません。

古民家に住むのが夢なので、
もっとレイキや食養などで体質改善して
冷え性と完全におさらばできるといいんですが。
そうしたら、リフォームも簡単に済ませられそう




【おすすめ記事】「お前らの作品は所詮コピーだ」

2008-11-04 23:44:39 | エッセー
ガンダムの監督、富野由悠季さんが、また吼えていたようです
意図的と思えるくらい挑発的な表現で、
クリエイターの聴衆に向けて、プロとは何かを語っています。
長いですが、一読の価値はある記事です。

「『お前らの作品は所詮コピーだ』――富野由悠季さん、プロ論を語る」

ちょっと「ん?」という表現もありますが、
本当に大事なところははずしていません。
私が特にひかれたのは、
「11,12歳まで好きだったものにこだわれ」というところです。
これは、自分の本質を探るために、心理分析の講座でやった
本当に好きなことを書き出すというワークに通じる言葉です。

また、最後の部分に書いてある
「第1がコミュニケーション、第2が原理原則で考える」ということは、
クリエイターに限らず、すべての仕事人に必要なことだと思います。

お忙しい方は、ぜひ上記の2ヶ所だけでも読んでみてください。