桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

軍歌・・軍歌・・痴呆軍歌ですヨ!! 「今月の謡uta」

2010年12月04日 | OZUの謡uta・・・今月
 さてさて、今まで「OZUの謡uta」として童謡6曲、民謡1曲の替え歌を謡ってきたが、今回は軍歌である。
日本の軍歌は哀しい・・・日本の国歌は芸者ソングである(註1)・・・等と外人が驚くが、
狩猟民族である彼らの国歌自体が軍歌である事が多く、
例えば、明治開化先生達が民権運動の手本として騒いだフランス国歌などはギロチン歌(←クリック)である。
        
 
 H22/12/03  Utatteru#8   別サイト OZUの声(←クリック)から

                        元歌:戦友 
     痴呆軍歌            作詞 真下 飛泉   作曲 三善 和気(明治38年)

 ここは痴呆の1里塚 会社を離れてはや3月  
   ・・・・・・・・・・・・・・

   ・・・・・・・・・・・・・・・・この世とあの世の渡し舟 妻の助けがあればこそ
 

 この歌は1年前に栃木県の温泉宿で開かれた「県立W中学校同窓会」で当座長が宴会披露した曲である。
3年毎に転勤する教師父と共にW村に移ったのは47年前、恒例ながら、
      まずW中同級番長のイジメに遭い、
      W中先輩のイジメに遭ったが・・・昔の子沢山の時代故に
      多数の先輩弟が在籍する中1生徒からもイジメ・・・られての三重苦であった。
 それ故、お客様扱いされなかったW中同窓生との結束は固くなったし、
      先輩3年生が集団就職で村から消えた後、後輩1年生へのイジメは厳しいものとなった。
(・・・と想像する。言い訳ではないが、帰り山道でのイジメは教師息子には内緒にされた。)


 註1:(松岡正剛のWEBページ←クリック 以前記載されていたものからの一部)
         君が代  
 十六世紀、自由都市であった泉州堺の国際貿易商人、高三隆達が町に流行していた唱歌を収集し、歌と歌との情緒の連関をはかって編集した『隆達唱歌』の第一歌である。
 ちなみに、つづく第二歌は、  思い切れとは、身のま丶か、誰かは切らん、恋の道。
 と、なかなか色っぽい。玄人の女性が客と恋に落ちてなやましい。
そんな歌曲とともに、君が世は、日本各地やアジア諸国、あるいはポルトガルやスペインからの遠来の客をもてなす宴会で、綺麗どころをあげて謡われていた。
 隆達が、君が世の歌を唱歌集の第一歌としたのは、宴会に招かれた客人をことほぐ、もっともポピュラーな歌謡だったからだろう。以下・・略

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