桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

NHK花は咲く、花は、はなは、ハナワ・・連呼で座長故郷・塙町が!

2012年06月10日 | イジメ!いじめ!
 さてさて、二日前に座長故郷の塙町にある「小野田自然塾」をブログしたが、最近NHKテレビを見ると「花は、はなは、ハナワ・・塙??」と連呼する歌が流れてくるのだ。
 地方出身者が悩む事に生れ故郷が何処にあるか?の説明があるのだが、この放映歌に例えて「アノFUKUSHIMA原発の近くです」と言えばアフリカ人にも理解出来そうなのだが、サテ?喜んで良いものなのか・・・。
    
(A)ブランド地名なら容易だろうが、座長が若い頃は阿武隈山麓の片隅にある我が町を都会人に説明する事には難儀してきた。著名人も出ないし歴史的遺産もない土地なので近隣で名高い地名(例えば、白河、水戸)から辿って説明するか、何か事件発生に合わせて場所を推定させるのであるが、「吉展ちゃん誘拐殺人事件の犯人の生まれ地の隣隣り町で・・」と説明した時は、流石に後味が悪かった。
 そこで、改めてWikipediaにて1963年「吉展ちゃん誘拐殺人事件←クリック」を読んで見ると、色々と田舎心に響くモノが出てきた。

(B)桐生スバル座の隣町・前橋刑務所に入所していた犯人の本格的取り調べが始まったのは事件1年後の1964年・・・刑務所の外は東京オリンピックで大騒ぎだった。
 彼が供述する田舎・福島県石川町の様子は(座長が実際に生きた田舎生活そのままであって)、防寒用のわらボッチが初春三月でも頑張る寒さの地だし、田植え前の田んぼには生気が無いし、前年は米が不作だったのでイモ餅を作って遣り繰りする生活だし、皆子沢山の大家族(犯人実家は11人生れた)だったし、たくさん借金を頼めるような裕福な家は少なく、それで東京へ集団就職して若者が減った町には活気が無くなるし、十数年後には隣りの鮫川村(座長が三年間住んだ所)がNHKテレビで「過疎の村」として全国放映され・・そんな土地柄なのだ。

(C)今の子は田舎であっても「引き籠り」して御馳走パクパクの生活だが、その頃の若者は頑張ったものだ。犯人も身体不自由にも拘らず働いたのだが挫折したし、西隣り町の須賀川市の青年も頑張ったが挫折してしまったが、死ぬときは同じ様な事を言い残すのだ。
 犯人「ナスの漬物おいしゅうございました」享年38歳。
 青年「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」享年27歳。


(D)この事件を主題に「かえしておくれ今すぐに 作曲:いずみたく」が多くの歌手で歌われたのだが、311震災後のNHK震災主題歌「花は咲く」もこの流れと思われ・・それではと、福島会津出身の歌手・春日八郎の替え歌を再掲載して本ブログ終了です。

 H24/02/17 Utatteru #53 OZUの謡←クリック
      「陸前高田の一本松」  元歌 「別れの一本杉」
        YOUTUBE映像で謡が聞けます←クリック
 泣けた 泣けた 一人ポッチで泣いていた
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