navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

遥かなるバルカンの空の下へ-18

2008年09月30日 | 日記
しばし道草をする。*(お茶)**(いっぷく)*
いま旅をしている地域は先のユーゴ紛争以前にもその歴史に記されている国名や属領名や覇権国名がめまぐるしく変わってきている。
世界的にみてもとりわけ複雑な歴史をもっている。
まず地勢的にそうなのだが大昔からたえまなくそのときどきの周辺域列強国同士のパワーバランスに翻弄され続けてきている。
その地域に住んでいる当事者自身の都合や意志が尊重されることはまれであった。
周辺大勢力同士の利害や都合による容赦のない横暴・横専が繰り広げられいつもその結果暴風雨や嵐にほんろうされ易いバルカン半島であったしこれからもそうであるかもしれない。*(怒り)*

古代シュメール,アッシリア王国,ペルシャ帝国,古代ローマ,ローマ帝国云々と。さらにビザンティン帝国,サラセン帝国,オスマン帝国,オーストリア・ハンガリー帝国,ロシア帝国,そして近代の西欧諸列強にと。
それゆえ大昔からいつも大帝国の狭間にあったことで多様な文物と民族が往来しその複雑で多彩な歴史絵巻がくりひろげられてきたのだ。
華麗さや豪華絢爛とは縁が薄いが素朴で味わい深い風物を育んできた地域である。

ながい歴史絵巻に登場する人たちの呼称も数多く一様ではないことがわかる。
書物に書かれていたりあまり深く考えずに○○人・△△族と呼んだりしているがその定義を判りやすく言い表すのはなかなかむずかしいようだ。*(!?)*

呼ぶ立場の違いや時代で呼称がちがってくる。
それを承知であらためてこのバルカン半島を往来した人たちを眺めてみるとじつに多様でバルカンという地域の特徴をいっそう際立たせてくれる。

ざっと拾ってもみると古くはアカイア人,ドーリア人,イオニア人でいずれも古代ギリシャ人のご先祖様たちがいる。
それからケルト人,アヴァール人,ブルガール人,東ゴート族,フン族,ダキア人,イリユリア人,ローマ人,ぺチェネグ人,クマ人,南スラブ人,マジャ-ル人,ノルマン人・ランゴバルド人, ロマ(ジプシー), セルビア人, アルバニア人,マケドニア人, モンゴル人, チュルク人, チェルケス人,ルーマニア人,モンテネグロ人,クロアチア人,スロベニア人,ボスニア人,ボシュニヤック人,ポマク,トルコ人,ドイツ人、ハンガリー人、イタリア人 そしていちばん新しい呼称ではユーゴスラビア人と言う具合になる。
とくに遠いむかしとくに中央アジアや北方からやってきた人たちが多い。*(足)**(地球)**(砂時計)*

また宗教については古いほうからミトラス教,マニ教,オルフェス教,そして現代のローマ・カトリック,東方正教会,イスラム,ユダヤと多岐にわたっている。
古代地中海世界で育まれた多神教的な部分は今でもかれらの慣習にその残滓をとどめていたりしている。

現在使用している文字はラテン文字とキリル文字であるが古代にはフェニキア文字,ギリシャ文字そしてオスマントルコ帝国属領であった頃はアラビア文字も使われていた。

文化となるともう一言二言ではとうてい言い表せない重層文化でありかつそういう複雑な文化をもつ多様な民族が今もなおバルカン半島には複雑に雑居している。

とうていすべてはおぼえきれないしましてやきちんと整理しようなど大それた気を起こしようがない。
だいたいどこに視点軸を置いてはじめたらよいのかもうそれだけで大難問である。
気を入れてそういう作業を行おうとするとたぶん精神分裂を起こすのではないだろうか。
ここもそれほどの多様性に満ち満ちている地域である。

多様で雑多な民族の混在についてはお隣のトルコやコーカサス地方そして西・中央アジア地域にはとくによく見られる傾向である。
今までのところは国家ががんじがらめにしばりつけていて外からは見えにくいがあの大国ロシア連邦や中国だって実態はひょっとしたらもっと重症のように思える。*(グー)**(汗)**(困る)*

とにかく通念的な民族・国民国家概念ではとうてい解釈しきれない地域である。
そして西洋と東洋の連結地域にあり民族・文化・言語・宗教が多様でその歴史の複雑さもがバルカンと言う所の特徴でもある。

そんなことを想いうかべながらさらにバルカンの旅を続ける。*(音符)**(ダッシュ)**(車)*

”フェアープレイですか?”憂いごとです。

2008年09月22日 | 日記
ちょうどいまから3年前, ウクライナからの帰路でポーランド・ドイツ国境を通過してさらにベルリンへ向かう途上のアウトバーンでのことです。*(車)**(ダッシュ)*

白樺の林の中を延々と貫くアウトバーンから開けた時右路肩にけっこう大きないままで見たこともない看板が現れました。
青地に大きな白の大文字で唯“FAIR PLAY”とだけ書かれていました。
その区間は道路標識さえ稀にしか現れないような閑散とした耕地と雑木林風景の続くそれほど交通量も多くない所だったので“あれっ”と思いました。しかも地元の“ドイツ語”ではなく“英語”表記でした。
なぜアウトバーンで “フェアプレイ”??
しかもドイツ語ではなく英語表記にしてまで??*(グッド)**(はてな)**(驚き)*

でもそれを見た瞬間に私にはその文字が言わんとすることが良くわかりました。
元々はスポーツ用語ですがほかの場面でも良く使うことがあります。
それからベルリン近郊まで行く間に3回ほどそれと同じ看板を見かけました。
この風変わりな看板は他ではまったく見たことがなかったので今でも良く記憶に残っています。

話は変わって先月,アナトリアへの往き帰りにE-ルートと呼ばれる各国のアウトバーン上を何千KMも走ってきました。同時にその何千KMの距離を走りながら幾度も遭遇したある体験と“フェアプレイ”の意味をずっと考えていました。

いわゆる“アウトバーンのような高速道路を走る上での心がけまたはマナーについて。”といったことです。
特にドイツのアウトバーンを走っていれば必然的に起き誰でもそれから避けようがない場面でどうすべきかということです。
強いて言えばアウトバーンでの強者とも言える常々高速度で走ることが多い乗用車や高性能SUVなどを運転している人たちに対してです。

端的に言うと“無理がなく安全な追い越し・追い抜き / 追い越され・追い抜かれ方の作法とその実践”です。

核心へ入る前にまずアナトリアへの往き帰りに通過したそれぞれの土地のアウトバーンでの現状を言い表すと以下のようになります。

オランダ:マナーはまあまあである。制限速度が100~120km/hと低いので全体的に流れがゆっくりしている。傲慢・横暴な輩に時々出くわす。一応規律らしきものを感じられる。

ドイツ:マナーは他国よりも良いが走っている車の速度差が大きすぎて危険。ただし理性で抑えきれていない部分が運転者のマナーの端々に荒々しくほとばしり出ている。今のところ生々しくも限度ぎりぎりのマナーでなんとか形になっているがストレスが大きい。

オーストリア:マナーはおしなべて良く走りやすいが時々とんでもないばかがいるので注意が必要。

スロベニア:マナーはぎりぎり第及だが少なくない外国車の振る舞い(もちろん悪い)が目につく。

クロアチア:絶対的な交通量が少ないので走りやすいが少数の成金車乗りたちの無謀運転が見られる。

セルビア:血の気が多いようでマナーは良くない。成金車乗りや崩れ成金車乗りのマナーが悪い。
加えて平民車乗りや真性平民車乗りでもマナーが悪いのがいる。絶対的な交通量が少ない点で救われている。

ブルガリア:マナーはまあまあ。ただし首都ソフィアとその近郊のアウトバーンでは成金車乗りのマナーの悪さは最低かつ深刻である。外国旅行者へ与える悪いイメージも深刻。

トルコ:イスタンブールとその周辺とそのほかの地域では状況がまったく異なる。 
まずイスタンブールとその周辺ではマナーという尺度は無意味。
激烈かつ混沌としておりサバイバルあるのみ。
ルールやマナーは意味を為さないので自分の身を護るためには野性的な勘と反射神経での運動能力を駆使する必要あり。これができないとこの地域で運転をするのは危険である。  

そのほかの地域では交通量が少ないので走りやすいがここもルールやマナーよりも現実・現況を反映した走りが必要。
アウトバーンの路上には馬車・牛車・放牧の羊・ロバ・牛・馬をはじめ野良犬や亀さんと多様。
さらにアウトバーン横断中あるいは散歩中の土地の人・逆走中の積み荷満載トラックやトラクタそして炸裂したタイヤ片・落下物も日常茶飯事。
時々ダンプカーや高速バスでも150KM/Hぐらいで疾走している者がいる。

もう一度ドイツのアウトバーでの“フェアプレイ”に戻ります。
マナーは良いが速度差が大きすぎて危険であると述べましたが,そこのところを詳しく説明します。

ドイツのアウトバーンはたいてい2車線・3車線・もしくはそれ以上の車線数で構成されている。
速度制限がある区間(他車線との合流あるいは車線数減少区間・都市-住宅地近郊区間・工事区間・登板‐下降区間・渡橋区間・雨天や氷結路時など)と有名な速度無制限の区間が設けられている。
制限速度は低い方から50km/h・60km/h・80km/h・100km/h・120km/hで速度制限が無い区間でも推奨速度として一応130km/hの標識がある。
貨物車両やトレーラー車両のみ対象の速度制限区間もある。
走行している車両は貨物トラック及びトレーラートラック / 乗用車及びSUVと呼ばれる車両 / それらが牽引しているキャラバンかモーターホーム(キャンピングカー)‐旅客バス - 二輪車 などである。

ドイツの地形は北部から北東部は平坦なところが多いが中部から南部にかけては高低差が連続する丘陵地帯や森林・山岳部が広がる変化ある地形である。そこをなぞる様にアウトバーンが四通八達している。
夏以外の季節では雨降りや濃霧の天候の日が多い。特に南部は積雪がある。
交通量は通常朝夕に多くなり交通渋滞が頻繁に起きるほど。
特にゲルマン民族の大移動となる夏のホリディシーズンは南下するルート上で絶望的な渋滞が起きる。日本のゴールデンウイークやお盆の渋滞のようなもの。

ここで取り上げる問題は比較的すいているアウトバーンでは起きないが交通量が多くなってくるにしたがって発生し深刻さを増す傾向がある。
一方渋滞かそれに近い混雑状態では起きない。

では典型的な一例を上げてみます。
ややゆるやかな登り勾配が続く3車線道路でいちばん右側の第一車線である走行車線は大型貨物トレーラ-がつながって走っている。(第1車線走行組と名づける)
その隣の第2車線の追い越し車線には乗用車や小型貨物車が110km/hぐらいで走っている。(第2車線走行組と名づける)
いちばん左側第3車線の追い越し車線へ2台の乗用車が追い越しのために130km/hぐらいで相次いで車線変更して追い越し始めた。
その後方から200~220km/hのスピードで追い越し車線を疾走してきたこれも普通の乗用車3台が急接近してくる。(第3車線専門走行組と名づける)
当然,第3車線はすでに追い越し中の車がいるために急制動をしつつその車のすぐ後ろ(数メートル)に接近しつつ数珠繋ぎ状態でしばらく走ることになる。
そこへ別の普通の乗用車がこれまた230km/h以上のスピードで急接近し急制動しつつさらにその後尾へくっついて走り始める。

先頭の乗用車が追い越しを終えて第2車線へ進路変更しようとサインをだして車線変更し始めたちょうどその時,上り坂でスピードが上がらない前の大型貨物トレーラーを追い越すためにすぐ後を走っていた大型貨物トレーラーの一台が急に第2車線の前方に飛び出してくる。その大型貨物トレーラーのスピードは70km/hぐらいである。
第3車線の先頭を走っている乗用車はいま第2車線へ戻るとその大型貨物トレーラーの後を走ることになって減速せざるをえず今までの追い越し努力が元も子もなくなってしまうのでそのままもう少し前方の地点まで走り続けることになる。さらにほかの大型貨物トレーラー2台が我らもと第2車線へ飛び出してくる。

その第2車線で起きた変化に対応するため第2車線を追い越し中の大型貨物トレーラーに前を塞がれてスピードダウン余儀なくされそうな車が2台(110km/hぐらいで走行中)そしてさらにもう1台も続いてすでに数珠繋ぎになっている第3車線へ飛び出してくる。
その第3車線後方にはやはり200~220km/hぐらいで急接近そして急制動しつつある乗用車とSUVが3台せまってきている。
そのうちの2台はずる賢しこくも減速しながら一度第2車線へ入って大型貨物トレーラーの直後まで走っていきそれから強引に数珠繋ぎ状態の第3車線へ割り込む輩である。
第1車線と第2車線を追い越し中の大型貨物トレーラーらと平行してこの第3車線を数珠繋ぎになって130~150km/hぐらいのスピードで追い越し中の10数台の車を運転している人たち(自分も入ることがままある)はそれぞれにストレスが高揚していくことになる。

時間にすれば約60秒長くても90秒ぐらいの出来事なのだが特に先を急ぐらしい第3車線専門走行組である乗用車やSUVの面々はストレス=欲求不満によるイライラ感は高くなる一方である。やっと前方がすくとそれこそ全力疾走モードになって再加速し高速度(200~230km/h)で走行しつつまたその先に待ち構える次の数珠繋ぎ車列への性急な突入をくり返すのである。

持論であるが彼らの常用走行スピードが高ければ高いほど急制動+数珠繋ぎ車列への突入のくり返しはストレス=欲求不満によるイライラ感をさらに増幅することになる。
せっかく今まで速く走って短縮した(と確信している)時間がそこで延びてしまうので一刻も早く挽回せねばと苛立つのだろう。
このイライラ感がアウトバーンでのマナーとフェアプレイに大きく影響する。
マナー違反とアン・フェアープレイの総出演になる。
たいていはすぐ前の車へ接触しそうなほど車間距離を詰める挙動を執拗にくり返す。
と同時に前の車にパッシングライトを浴びせつづける。
左右に車体移動を繰り返しすぐ後から前の車にゆさぶりをかけ続ける。
前のバックミラーに見えるように威嚇の侮蔑のボディサインを投げつける。
少しでもすき間があれば第2車線へ入って数珠繋ぎの車列の右側から追い越そうとする。

推奨速度域の130km/hプラス前後で走行している乗用車や小型貨物車たち(第2車線走行組)にとってはこれらの嘆かわしい行為を常套手段とすることが多い第3車線専門走行組は攻撃的でずる賢く横暴にさえ感じる。
彼らといっしょに走るのは正直怖い。特に大きなSUVに後から煽られると生きた心地がしない。
こんな状態から事故へ至るまではほんの数歩先にある。*(涙)**(最低)**(最低)**(青ざめ)*

実際数年前ドイツの有名な○×自動車会社のテストドライバーが上述のような運転をした結果,前を走っていた女性が運転する車が運転を誤り120km/h以上の速度で中央分離帯に乗り上げ横転同乗していた幼児とともに事故死するという痛ましい事故が起きている。

何よりも大きすぎる相対的なスピード差がその原因だと思う。
必要充分に自己抑制できないほどのスピード差が。その結果マナーの喪失にそしてアン・フェアプレイにつながるのだと思う。
誰が強要したのではないその大きすぎるスピード差は彼ら自身の意思によってもたらされるものであり第2車線走行組に根本的な責任は無いと思う。
彼らはたいてい80~100km/hあるいはそれ以上のスピード差で加速・急減速をくり返しつつアウトバーンを走っているのだ。
彼らの常用走行スピードはこの数年ますます上昇してきており現状で180~230km/hぐらいである。数は少なくなるがさらにその上のスピード域(~250km/h)で疾走する輩もいる。
なぜそうだと判るかと言われれば折々にそういう高性能車に乗る機会があるからでほぼ実態は把握できているつもりである。

自分は高性能で安全な車を運転しているのだからいくらハイスピードで運転していても安全なのだという思い違い,いや思い上がりがあるのでは。
アウトバーンではほかの車達もたくさん走っているのだぞ!
そういう大事で基本的な認識が希薄か無いのだろうか?
ここでも自分本位の人たちが多いのである。
もちろん例外もいないではないが…
そして憂うべきはアウトバーンではその総量(そういう走りができる車に乗り実際にそのように走行する第3車線専門走行組)がさらに増加中である。

疾走する傲慢でマナーを守ろうとせずアン・フェアープレイをする第3車線専門走行組は言わばアウトバーン上の高所得者(車)であり第2車線走行組と第1車線走行組は中・低所得者(車)や貧困層であり社会的弱者(車)ともいえる。

運転しているのはごくありふれた普通の良市民であるという声もどこからか聞こえてくるが,第3車線専門走行組になれるような高性能で高価格の車を所有できアウトバーンで運転を始めるとマナーもフェアプレイもどこかへ消し飛んでしまうのだろうか。
それとも車の性能と格が運転する人を凌駕しているので並みの人格ではその車に侮られ高性能に翻弄されてしまうのだろうか。
分相応でなく格負けなのか?そうと思わざるを得ないような輩が多すぎる。

思うに第3車線専門走行組であっても車が高性能ではなくかつ速度差が小さいと前述のストレスが少なくなるはずだ。
ひと昔前(15年以上前)はまだそういう状況だったのだが…

ここアウトバーン上でも憂うべき社会的現況が反映されているのかもしれない。
こういう状況が一昔前と較べてもさらに悪くこそなれ良くなる兆候が見えないのはとても憂うべきことだ。

補足であるが、それを可能にしたのが自動車生産技術の目覚しい向上でありとくに欧州市場を席巻中の高性能ディーゼルエンジン車の台頭だと想う。
ビジネスモデルである乗用車やSUVで言えば,地元ME社-BM社-AU社-VW社-PO社やSA社-VO社-RE社-AR社-PE社-FO社-RE・R社などの車達だ。まさに激戦状態である。わが日本車たちもその激戦に参加しつつある。

おしなべて加速抜群で最高速度実力値もめっぽう高くしかもディ-ゼル燃料で走り燃費が良い上に燃料代がガソリン車と較べて割安であると。
金さえ出せば誰でも買え所有できるのである。
このアウトバーンでのフェアプレイの問題に限らず,今の世相では社会的格差の広がりとともに技術の進歩と経済的発展と伸張がもたらすこのようなネガティブな側面がさらにエスカレーションするのではと危惧されます。
ドイツ以外のアウトバーンを走ってきて同じような兆候がいたるところで見られたのでつい重いため息が出ます。

地球温暖化に伴う環境異変ほどではないがそれは身近な憂いごとです。
*(!?)*

マグロのしょうが煮

2008年09月11日 | 日記
冷凍庫にマグロの切り身が四切れあったのでふと思いついてしょうが煮をつくりました。
ちょうど良い味加減に煮込むことができました。
明日は暖かい炊き立てご飯にのっけていただきましょう。

こんな献立が良く合う, そんな陽気になってきました。*(グッド)**(ニヤ)*

憂いごとを言う前に1件ご報告です。

2008年09月09日 | 日記
夕方,加入している自動車損害保険代理店へ行って事故の事後処理手続きをしてきました。

それというのもおとといの土曜日午後,買い物に行った先の駐車場で駐車中にまた、またですよ左後ろ側をけっこう広範囲にわたって塗装が削れボディが凹むほど当てられたのです。

偶然といおうか丁度自分の車が目の前で傷つけられているその場にその時居合わせたのです。
買い物が済んでショッピングワゴンを押して買い物バッグを自分の車に入れようとリアトランクを開けようとしたその直前の出来事でした。

相手の車を運転していた老紳士は素直に自分の過失を認め(状況からしてそうせざるをえないですが)それから約1時間半ほど書類への書き込み等をして帰宅しました。
がっかりです *(すっぱい)**(最低)**(困る)**(涙)****

2年弱ほど前にもその同じ駐車場で停車中に右後フェンダー部をぶっつけられた事がありました。
あの頃はわずか1年の間にその事故を除いてほかに延べ5回駐車中にどこの誰かは知らぬが当て逃げされていました。

今回の事故はしばらくそういうことがなかった(ドアの傷や凹みは相変わらず増え続けてますが)からよけいです。

ましてや2週間前にはほぼ1年分に匹敵するぐらいのながい距離を走りぬいて無事無傷でアナトリアの旅から帰ってきたのにです…。
その1件が起きたショッピングセンターの駐車場までは自宅から20KM,往復でもわずか40KMの距離のところでした。

運が悪いといえばまあそのとおりですが。今回もやれやれ*(すっぱい)*でした。*(ジロ)*



路上を走っていての運・不運は最悪の場合事故へつながってしまうというのもありますね。
アナトリアへの往き帰り特にドイツのアウトバーン上で幾度も幾度も体験しそれからずっと考えてきたことです。
おととい駐車場での出来事に遭遇してからこの数週間ずっと考え続けてきたあのことを書かずにはいられなくなったので次回はそのことを書くつもりです。*(はてな)**(ニヤ)*






遥かなるバルカンの空の下へ-17

2008年09月06日 | 日記
プロムナードの右端が小さな船着場になっていてそこから街の中に向かう旧バザール路が広場から伸びている。
*(波)**(椰子)**(うるうる)*

広場の真ん中にはオフリド守護聖人と敬われている聖クレメントの背の高いブロンズ製立像が行きかう人たちを見守っている。広場の一角には大きな店構えのレストランやカフェがある。
テント地の庇が届かない路上までせり出して並べられたテーブルについて寛ぐ保養客らしき人たちの雑談を背中に聞き流しながらその旧バザール石畳路をぶらつく。

西欧ホリディスタイル風の家族連れも多い。
机ひとつ椅子二つで営業している小さな旅行代理店や間口はやはり小さいけれども豊かな品揃えの本屋などが続いている。
しばらく行くとセンスの良いレザー服飾品やバッグ類などの店もある。 その前後には一抱えほどある大きさのイコンの木彫りを並べて売っているお店もある。幾つかの小さな装飾店や結構大きな装飾貴金属店にはとても質のよさそうな美しいオフリド・パールの装飾品が良く目につく。
ここでも真珠が採れるのだろうか?

この旧バザール路は賑わっていると言ってもほどほどの賑わいで好ましい。
車ははいって来られないのでときどき歩行者に混じってのんびりうろついている近所の飼い猫を何匹か見かける程度である。
だから自分の好きなペースで好きなようにゆっくり寛いで見歩きできる。
港からぶらぶら歩いて15分たらずで終わりになってしまうぐらいの長さしかない。
特に何かが秀でているわけでも高級品店が連なっているわけでもないのにけっこうリッチで満ち足りた気分にさせられる。
何か良くわからぬがそんな風情がある小路である。

たまたまあった本屋さんを覗いてみたらこの旅に出る前から欲しかった地図が置いてある。さすがは地元の本屋だけのことはある,しばらく手にとって見比べてみた。
マケドニア語はわからないけどきれいな写真と地図が組み合わせた内容のあるとても参考になりそうな観光ガイドブックを見つけることができた。
順番を待って350ディナール=5.8ユーロ支払ってそれを購入した。

おいしそうな匂いが漂っている途中のレストランやアイスクリーム屋が気になりつつも先へ進む。
もう昼時をすぎているのでお腹が空いて来ているのだ。
路がゆるやかに左に弧をえがいているところにさしかかるとマケドニアの民芸品を売る店があって道路側の壁いっぱいに民族衣装を陳列している。
明るい赤を基調にした民族衣装や民芸品がとてもきれいだ。

やがて家並みのあいだに建つモスクの白いミナレットが見えたと思ったらちいさな広場に入り込んだ。

一本の大きなスズカケの木が涼しそうな木蔭を落としている。
この老木は樹齢800~900歳にもなるらしい。
ここ小さな広場の中央にはさらに涼しげな噴水があった。蚕がキラキラする細く柔らかな糸を吐いて繭珠を絡めるようにいくつもの丸い放物線を吹き上げている。
水しぶき入りの涼風をくぐりながらその広場を通り過ぎて細い街路を進んでいくとなにやらごたごたと猥雑で騒がしくなってきた。

その先で青空マーケットが開かれているのだった。
青空といってもここの夏は焦げるほど日差しが強いからそれぞれテントを張るように屋根幕を張って日差しをしのいで店を開いている。
そういう店が幾店も幾店も連なっている。
作りは素朴だが大小長短そろって日本の和ぼうきに良く似たようなものがある。おなじほうきもろこしを束ねてつくられている。

台所用品や日用雑貨を並べている一角をすぎるとそこからはほとんどは野菜や果物一色の売り場が広がっている。
見るからに新鮮でよく熟れた赤・黄・緑・青・橙色などなど色鮮やかだ。陽光の中にはちきれんばかりピチピチした商品たちが売り台からこぼれ落ちそうなほど盛り上げて売られている。
マケドニアの明るい夏陽に恵まれて育った野菜や果実たちである。

土地の買い物客たちに紛れてそんな所を歩き回っていたらあまりにもおいしそうなマスカット葡萄が並べてあった。
威勢の良い大兄いに一粒味見をさせてもらい特においしそうなところを指差してひと房分を買った。
両手で持つぐらいの分量500gで25ディナール=0.41ユーロだった。

しばらくはその豊かな産物に溢れたマーケットを覗き歩いた。
歩き疲れてきたのでどこかに腰掛けて一休みしたくなった。

さっき来た路をたどって船着場前の広場へふたたび戻ってきた。
冷たい水がこぼれ落ちている石造りの水飲み場が広場にありさっき買ってきた葡萄をその水で洗ってやった。
そして小雀たちが戯れているそばのベンチにこし掛けそこで甘い太陽の香りのする葡萄を食べた。
ときどきは近寄ってくる雀達にその甘い葡萄の幾粒かを投げ与えながら。

今日はこれからアルバニアへ入ってアドリア海の港町ディユレ(DURRES) まで行く予定である。

オフリド湖岸に沿って南へ走っていくと国境が在るはずである。
国境線はこの湖の南岸から湖中1/3のところにひかれている。

その途中東へ折れて標高1700mほどのガリチア山脈を越えるとほぼ同じくらいの大きさのプレスパ湖がある。その湖の中ではマケドニア・アルバニアそしてギリシャの3つの国境線が錯綜している。

マケドニアという所はその長い歴史上でも境界線がしばしばあちこちへ動くところである。
今のこの辺の国境線も将来またどちらの方へか動くのだろうか。

街外れにあったガソリンスタンドで手元に残ったマケドニア・ディナール分を払ってガソリンを入れた。
お金を払うときお店のレジにいた娘がいきなりオランダ語で話しかけてきた。
オランダにいる親戚を頼って1年ほど住んだことがあるという。すこし話をしてみたら私の車のナンバープレートをみてアジア系オランダ人と思ったのだそうだ。
まだ残っていたディナールコインでよく冷えたコーラ・ライトを1本買って渇いた喉へ流し込んだ。
体中の汗がスッと退いていった。

オフリド湖周辺にはいくつも立ち寄ってみたい古い教会や古跡がいくつもある。
特に古代ローマ遺跡やマケドニア正教会らは西欧教会のように大きく暗く仰々しく厳しくなくてよい。
アルバニア国境へ行く途中湖岸に建つ聖ナウム修道院の容姿はとても可愛く見えた。
そばを通り過ぎただけで立ち寄る時間はない。

そしていよいよアルバニアへ入る。午後4時過ぎになっていたがまだまだ太陽は頭上でぎらぎらと強い陽光を落としている。*(晴れ)*

こんな所に国境検問所があるのだろかと思えるようなオフリド湖を見下ろす湖岸のくねくねした細い1本道上にそれがあった。*(山)**(進入禁止)**(はてな)*