navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

遥かなるバルカンの空の下へ-15

2008年06月29日 | 日記
夜中にふと目がさめた。
ベッド用のランプが点いたままでその明かりがとてもまぶしかった。だからランプを消し忘れたまま寝入ってしまったのだと思った。

すぐランプを消さなければと枕もとのスイッチを押してみた。
寝ぼけた頭でできたのはそのくらいだった。
だが期待に反してほかのランプが点いたり消えたりしたがそのランプは点いたままで変化はなかった。

あれっどうなっているのだろう?

そのままで目をつぶって寝続けようとしたがやっぱり無理がある。
眠かったがしぶしぶベッドからでてこんどは別の壁にある他のスイッチを押してみた。
そうすると部屋の出入り口とバスルームにあるランプが点いたり消えたりした。

念のためもう一度枕もとの二つのスイッチを押して見るとこちら側のランプはたしかに点いたり消えたりするのだが、向こう側のランプは最初からそうであるように点いたままで消えないのだった。

おかしなことがあるものだと思った。
こんなに明るい部屋では眠れないではないか,奇妙なホテルに泊まったものだと思った。

しかしである。
その点いたままのランプをもう一度よく見てみた。
その消えないランプの傘から窓側のカーテンに向かって幅30cmぐらいのひかりの帯がすこし傾いて延びていた。
たしかにそのように見えた。
そのひかりの帯は左のカーテンと右のカーテンの合わせ目に吸い込まれているように見えた。

でも何かがおかしい。
点いたままになっている向こう側のランプを覗き込んで見ることにした。

こうなったら何がいったいどうなっているのかを突き止めるしかないと思った。
ベッドの上を這って移動してそのランプを覗き込んだ。
するとそのとき右頬と耳の辺りをあの温かく柔らかな感触に包まれた。
あれっ,ひかりの帯の流れが...

その瞬間にすべてがわかった。

枕元の目覚まし時計の針は7時10分を指していた。
夜中ではなくもうとっくに夜が明けていたのだ。

ランプの明かりがまぶしいのだと勝手に思いこんでいたが実は締め切ったカーテンのわずかなすき間から射しこむ強烈な朝日のひかりの帯がちょうどベッド横のランプの傘に当たってまるでそのランプ自身が点いているように見えたのだった。

そのからくりをひっぺがすつもりで勢い込んでカーテンを開けようしたが,暴力的な閃光が部屋の中に飛び散った。
まるでそうすることを拒絶されたようなものである。
まぶしくて明るすぎてとても目を開けていられない。
反射的にカーテンを閉め戻した。

こんどは細心の注意を払ってほんの少しだけカーテンを開けてみたが再び占め戻した。
起き抜けの身にはとても耐えられないほどのまぶしさだ。
それではとテレビを観て目を覚ましてからあらためてカーテンを開けることにした。

頃合いを見計らってこんどは思い切ってカーテンを開け拡げてからバルコニーにでた。
カーテンの向こう側は青空がすがすがしいマケドニア晴れであった。
そして目の前に早朝の眺望がひろがっている。

バルカンの蒼穹が上から1/3ぐらいを,その下はコソヴォに連なる山並みが陣幕を張り巡らせたようにスコピエの街の向こうに見える。

眼下にひろがるスコピエの街とその一帯はかすかな朝靄の海に沈んでいた。
早朝の空気は爽やかで微かに樹木の匂いを含んでいる。
そして生まれたばかりで初々しい陽光が朝景色のなかで躍動している。
またしばらくの間我を忘れてその雄大な眺望に魅入っていた。

こういう眺望をもつ所に生まれ育った人たちの情感や感性はそこからどのような影響をうけるのでであろうか。
自分が生まれ育った所や今住んでいる所とくらべるとずい分違だろうことは容易に想像がつく。

ヴァルダリス風がコソヴォの山々からゆっくり下りてきてさらに途中の渓谷を通り抜けてエーゲ海へ向けて吹きおろすと言う冬の季節はまた違った顔をみせるのだろう。
ゆっくりと身支度をしてから下の階へ朝食をいただきに行った。

今日スコピエの街では唯一博物館へ行ってみたかった。

食堂にいた若い給仕さんに頼んで行き方の略図をかいてもらった。
A4ノート半分ほどの大きさの紙片に手書きされた簡略地図だ。
その給仕さんがマケドニア語で一生懸命説明してくれたのだがよくわからなかった。

街の地図は持っていない。

西欧州側では名前をきいたことのないようなどこかの小さな町でもその土地にあるたいていのホテルでは街歩きのための小地図ぐらいは必ず置いてある。
なにもわざわざ本屋やキオスクへ行って購入する必要はない。
ホテルのフロント係りに聞けばたいていただでくれるものだが,ここではまだそういうものはない。

昨年ウクライナに行った時もどこのホテルにもそのような便利で気の利いたものは置いてなかった。

昔からロシア人がたくさん訪れる一等級保養地であるクリミア半島のヤルタでさえそうであった。
だからそういうところは訪れる観光客に媚びていない手垢に汚れていない観光地ズレスレヤレしていない。

旧東欧圏にはたとえ遠路はるばる訪ねていく内容と観光的価値がある大きな街でも外国人旅行者用には観光ガイド1冊発行されていないところが普通である。
西欧やその他の観光先進地域からみれば地元の観光産業力が未発達なのだ。

個人的にはなぜかそういう地域にとくに興味をおぼえる。
探してもガイドブックはおろか1舗の地図さえ手に入らないようなところがもっと食指がうごくのだ。

たいていそういうところでも観光的内容は申し分ないのであるが近隣地域以外の土地から訪れてくる人はまだそれほど多くない。
概してそういう土地の人たちは素朴でのんびりしている。これがよいのだ。

だから何かに追いまくられ,速いペースで見て廻ることが多い有名観光地(経済効率至上主義的観光地)のようなストレスは皆無である。
そしてたいてい物価が驚く(ニンマリする)ほど安い。
まだあまり知られていない“穴場”である。

手間ひまを惜しまず少々の不便さなど気にしなければまだまだ“穴場”は意外とあちこちにある。

チェックアウトをしてホテルのある南側の丘の中腹からスコピエの中心街へ向かって走り出した。
めざす所は行き方を教えてもらったはずの博物館である。

でも見つからなかった。

ほんとうはあんまり暑いので手書きの地図だけを頼りにスコピエの街中を車で探し続けるのがおっくうになって,次の目的地オフリドへ一刻も早く行きたくなった為である。

そうと決まれば,ほんとうは勝手にそう決定したのであるが,“善は急げ”,である。
一旦はヴァルダル川の向こう側へ渡って一路テトヴォ/オフリド方面をめざす。

どういう訳か意に反して目指す方向とは反対であるアテネ方面のアウトバーンへ乗ってしまた。
いったん乗ってしまうとなかなか下りられずようやく方向転換できたのは郊外にあるスコピエ空港=アエロドローム・ペトロヴィッツ降り口であった。

せっかくだからと空港前の涼しそうな木陰に車を停め一休みした。
こういうのんびりしている所だからそんなことができるのであって,昨今たとえば成田空港前などで一休みなどしようものならおそらく○×取調室かなんかに即ご招待されるのがオチだろうな。

ここでは望んだとおり誰一人声もかけてくれなかった。

そのあと予定通りスコピエの街中を通り抜けてM4/E65をテトヴォへ向かう。
とくにコソヴォのプリシュティナへ向かうM3/E65と分かれる手前までの数百メートルのあいだバザールと雑貨商のちゃんぽんのように見えるものが道路の両側に溢れていた。

その辺りの街並みはわいざつ感がただよいひたすら汚くそうぞうしくおおぜいの人たちがうごめいていてなにか悪の雰囲気も漂わせている。
犬や猫も小さな子供たちも,そこここにつり下げられ無造作に並べられた雑多な商品も何もかもが日差しにさらされてうっすらかぶった埃が鈍く反射していた。

郊外の開けた街並みを通り抜けてもう一度ヴァルダル川にかかる橋を渡るとふたたびアウトバーンに入る。

右手の山あいに見え隠れする紅い瓦屋根の家並みのなかに真っ白いミナレットがまるで大きな鉛筆を立てたように見えるようになってきた。

炎天下アウトバーンの道端に人が座っている。
箱詰め採れたてぶどうをいくつも地べたに並べた物売りでじっと客が停まってくれるのを待っているのだ。

しばらく続いていたのぼり勾配がやがて下り勾配になってテトヴォの街が一望に見えるところにきた。
テトヴォの背後にはマケドニアで最も高い2600~2800m級の山峰がつらなっている。
はるか高みまで黒々とした樹木の山肌を見せている。

なんとなく畏怖感を漂わせる山容である。
これらの山々からヴァルダル川の支流がいくつも流れ出ている。
源流があるゴスティバー方面へ向かって山峡地帯を走り続ける。

料金所を通り過ぎてからは曲がりくねった上り坂の狭い道が続くようになった。
ドライブをするのには絶好の道路である。

このルートでは数台の対向車以外はまったく見かけない。
ほとんど一人だけで走ることになった。
天気も景色も抜群である。*(晴れ)**(グッド)**(ニヤ)*

目指す目的地オフリドへはもうすぐだ

遥かなるバルカンの空の下へ-14

2008年06月22日 | 日記
マケドニアへ入ると走行風にのって微かに甘く鼻をさすアスファルトの匂いが車内に流れ込んできた。
よく見ればまだ黒々とした路面がめだつ開通してからあまり月日が経っていないアウトバーンのようだ。

真夏の太陽に焼かれたその黒い路面からめらめらと陽炎が立ちのぼる片側2車線アウトバーンを走り出した。*(晴れ)*

ウインドウグラスの先にはカラカラに乾燥した枯れ草ばかりが目立つ地面とときおり思い出しように生えている低い潅木の茂みが幾つかある。

このへんの地形はわずかなこう配をもった盆地のように見える。
そのはるかかなたには低い丘陵がかすんで淡いふちどりをつけている。
そんな風景の中,ゆるやかなカーブを描いてつづくアウトバーンをのんびりと走る。*(音符)**(車)*

道路標識に標されている呼称がM1/E75に変わった。
呼称の後半分のE75はセルビアでも同じであった。

このアウトバーン(ここではアウトパットと呼ばれる)は南下しつづけるとお隣のギリシャへ入り港町テッサロニキを経てギリシャ半島南端にある首都アテネに至る。
半島の西から南には陽光きらめくエーゲ海がたおやかにひろがっている。*(波)*

じつはこのE75という道路信じがたいことに アテネで行き止まりではなくその先に延びてとおく離れたクレタ島にまでつながっているのだ。
とはいっても海の上に橋や道路があるわけではない。
手元の道路地図にそう記されているのだ。
大きな島であるクレタ島東部にあるやはり小さな港町がE75の終着点だそうだ。

それでは反対側の終着点はどこのあるのかを調べてみた。
まだ訪ねてみたことはないが欧州大陸の北のはずれスカンジナビア半島の最北地点バレンツ海(北極海)に臨むフィヨルドの入り江にあるノルウェーの小さな港町がそれであるそうだ。

E75の総延長距離はなんと4340Kmもある。
ほぼ欧州大陸南北方向の大きさに匹敵する。*(地球)*

ここM1/E75アウトバーンの大部分は2004年にアテネで開催されたギリシャ・オリンピックの時に整備された新装成った道路なので道幅がゆったり広く取ってある。

たぶん普段も今日ぐらい少ない交通量なのだろう。
他の車や大型貨物車らが多く道路がこんでいるとよく起きることだが,マナー違反の車にじゃまされいらいらさせられたりただひたすら流れに乗って他の車と同じペースでじっと我慢して走るしかしょうがないと言うようなことがないので,自分にあったペースでのんびり走ることができる。

のんびりとは言っても120km/hぐらいスピードで淡々と走っていたら前方の路上とその路肩にたくさん人だかりがしているのが見えた。

まさかマケドニアでは車のかわりに人間様が群れ歩くためにアウトバーンがあるのではないだろうに。
なんだろうか?と減速しながら精一杯注意しつつそこへ近づいて行った。*(はてな)*

40~50人ぐらいの子供連れもまじるどこにでも居るような風態の若者と大人たちが群れ集まっていた。
その辺りの様子や雰囲気から判断するにどうやら交通事故ではなさそうである。
見えるのは人ばっかりで車が一台も見えないのだ。
でもバイクが何台か路肩に停まっている。

群れ集まる人たちのあいだをすり抜けてさらに前方に進んでいくとやっと何事が起きているのか判った。
真っ昼間交通量が極端に少ない真新しいアウトバーン上でスポーツバイク同士による白熱した公道スプリントレースが繰り広げられていたのだ。

人だかりは近くに住んでいるらしいその仲間とやじ馬連中らしき人たちだった。
ちょうど2車線ある本線路面上に臨時に決めたスタートラインに2台ずつ並びだれかの合図でスタートが切られるレースのようだ。
数百メール前方がゴールになっているらしい。

こういうレースでは2台が全力加速をおこないゴールに先に到達した方がウイナーになる。*(車)**(ダッシュ)**(お金)**(ニヤ)*

昨今映像やビデオではよく見るしそしてけっこうあちこちで行われている非合法的な公道レースだ。
十数秒ほどでレースの決着がつき,その後はUターンをして反対車線走ってみんながいるスタート地点へ戻ってくる。
そして次のレースが新たに始まるしくみになっている。危険ではあるがお手軽に楽しめるゲームである。

さっと流しみた範囲では参戦バイクはぜんぶで7~8台中大型排気量の日本製バイクとイタリア製バイクであった。

マケドニア公道・グランプリレーストラック?を観客に見送られながらゆっくり走り抜けていくとき反対車線をかん高い排気音を響かせてさっきのスタートラインへ戻って行く2台のバイクとすれちがった。
そのうちの一人のライダーはなんとヘルメットを被っていなかった。
*(青ざめ)*
その時は“おおっヘルメットも被らないであぶないな~”と驚いたがよく考えれば自分がバイク乗り始めた10代半ばごろ(もううん十年前になるが)はやっぱりヘルメットを被っている人は白バイライダーかごく限られたライダーだけだった。
ほんとうはバイクは持っていてもヘルメットを持っている人はごく稀だった。

当時でもヘルメット着用が義務付けられたのは高速道路走行時のみで,路上を走るときライダーもパッセンジャーも区別なく誰でも被らなければならなくなるのはそれからしばらくのちのことだった。

小中学生のころ叔父さんや兄貴のバイクのリアシートへ乗せられて近在へ出かけていった時だってヘルメットは一度も被ったおぼえは無い。

自分で乗り始めたころだって夏の暑い時はサングラスにビーチサンダル履きT-シャツ短パン姿で乗っていたこともあった。

そして16才の夏休み,バイトで稼いだ金で憧れのヘルメットを手に入れ自慢げに被っていたら“おまえまるでカミナリ族のように見えるぞ!”と言われてがっかりしたのを憶えている。*(最低)**(困る)*

そういう輩とはまったく無縁潔白で自分ではまったく別のイメージを思い描いていたからなおさら不本意だった。

あのころはそんな時世だった。
そしてここではちょうど今がそんなご時世まっただ中のようである。

そんな想いを巡らせていたら突然はっとした。
そうだ,昨日も今日もアウトバーン走行中に危ない目に遭っていたのだった。
のろのろ走っていて後から全力加速で走ってくる彼らにぶつけられたら困るのでバックミラーで後方を注意しながら急いでその場を後にした。

国境からスコピエまではすぐだった。M1/E75からM4/E65にとちゅうで乗り換えてスコピエ・テトヴォ方面に向かって国境からもわずか50kmの距離だった。

アウトバーン路線が終わりそのまま走り続けると市街地に入っていく。

時刻ももう午後6時過ぎになっていたので今日の宿さがしをしながらさらに街中へ入っていく。
予約も当てもないので街の中心地と思われるほうへ行けばどこかに泊まれるホテルに出くわすだろうといういい加減な探し方である。

気がつくといつの間にかヴァルダル川を渡って市街地の南側へ入っていた。
大きくて立派そうな名前のついた高層ビルホテルは幾つか見かけたがそういう宿泊代が高いところへ泊まるつもりはないので素通りしていく。

スコピエは余り大きな街ではない。
少し走って中心街から外れそうになったらすぐU-ターンして再び夕方の交通混雑の流れに飲み込まれながら走りつづける。

ほんの10分間ぐらい街中を走り回ったら道端に小さなホテルのサインが目に入った。
そのサインをたどっていくとだんだんと中心街から遠ざかっていく。
なんかごみごみした仕事帰り風の人たちが多い場末の街並を通り抜けてそれからは曲がりくねった道幅の狭い上り坂になってきた。

そんな感じだからはたしてこの先に自分が探しているようなホテルがあるのだろうかと疑い始めたちょうどその時、急勾配な坂の右手にそのホテルがあらわれた。
中心街からは南の方角になるすこしはなれた高台の中腹に建てられた新しくモダンな造りの中型ホテルであった。

ゆったりした駐車場へ車を止め階段を上ったところにあるホテルの入り口からさらに階段をのぼって誰もいそうにない受付へたどり着いた。

受付にはだれもおらず机の上においてあったベルを叩いてしばらく待った。
すると温厚そうでで体の大きなマネージャー風の大兄が階下からあらわれた。

すぐやり取りを始めた。
英語が通じた。

部屋はある。
朝食付きで30ユーロである。
明日の朝チェックアウト時に精算する。
部屋を見せるからついて来い。
2階にあるスコピエの街並みに面した部屋だ。

広々とした部屋に大きなツインベッド,冷蔵庫,衛星チャンネルテレビ,エアコンつきで風呂とシャワー室にトイレがある。
大きな窓の外はバルコニーがある。
よい眺めだろう。
ホテル内のレストランでの夕食OKである。
車は駐車場の好きな所へ停めてよいし無料だ。
ここは街中と違ってはるかに安全である。

けっこうです。
これはこちらのセリフである。

けっこう毛だらけもんだいなし舶来上等気に入った。
運がよかった。
これは独り言である。

してこのホテルに泊まることに即決した。

その部屋のバルコニーからの眺めは絶景だった。
もってきたTENTO・7x35ソビエト製の双眼鏡でしばらくの間スコピエの街並みとその背後に連なるコソヴォの峰峰を眺めつづけた。

それからさっき通ってきた街並みをなぞってみたり素通りしてきた高層高級ホテルビルと高みに掲げられた大きな広告サイン,それから街外れにある屋外市場のような猥雑感が立ちのぼっている一角などをながめていたが一向に見飽きないのだった。
 
街を南北に分けて流れるヴァルダル川にかかる橋も見えた。
その川幅は余りひろくはなかった。

そして蒼穹の左側へ夏日が落ちかけて少しずつ街並みも背後の山容も裾野もみんなあかねいろに色づいてきた。
すぐ眼下の紅い屋根瓦の一つ一つのひだひだがつくる陰影がさらに濃くなってきた。

そのうちに暮色が濃くなっていく景色の中にあちこちに明かりが灯ってきてそれがますます目立ってきた。やがて夕闇がゆっくりと音もなくその眺望に幕をひいていった。

眼下に見えるのはヴァルダル川いや天の川のように見えるスコピエの街灯かりだけになった。*(三日月)*

明るい話題です

2008年06月20日 | 日記
食事をしてテレビをつけたまま居間ですこしうたた寝をしてふと目を覚ましてテーブル上の置き時計を見たらもう10時半でした。
薄暗くなってきていたので部屋の明かりをつけました。
これって今晩のお話です。*(ウインク)*

そうなんです,もう夏至のころ,日差しが長くなって今日のように天気がよいと陽が沈んでからも10時半から11頃までまだ薄明かりが残っています。

朝も夜が明けるのが早いですね。
でも目が覚めるのはちょっとずれますが。
もうひかり溢れる明るい夏の季節です。
*(晴れ)**(ニヤ)*

リッター290円とは...

2008年06月13日 | 日記
堅調で天井のない値上がりを続けるガソリンの値段のことです。

欧州域でガソリンの値段が1地番高いのがここオランダで¥255~290/Lそしてディーゼルでは¥235/Lですが,ノルウェーではディーゼルが¥276/Lもします。*(怒り)**(すっぱい)**(青ざめ)**(困る)*

南のトルコでは農家でトラクター用のディーゼルがやはり¥265/Lもするのでろば動力に切り替えている人たちが多いそうです。
そのためろば1頭の相場が7倍ぐらいに跳ね上がっているそうな。
それでもディ-ゼルでうごくトラクターよりよっぽど経済的とか。*(ニヤ)*

こんな燃料価格の高騰に見舞われている欧州ではここ一月ほど前から各地で抗議デモやストライキ交通妨害が頻発しておりさらにエスカレーションし拡がリつづける様相を見せています。
犠牲者もすでに2人でているほど。*(青ざめ)*

抗議行動を起こす人たちの事情と気持ちがよくわかります。働くほどビンボーになるんですから。*(困る)*

食品もガス電気代もみんな値上がっていますので私らビンボー人はどうすればよいやら。
さて, ...生活防衛策をどうするかです。
*(怒り)*